瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(24)

・ハイキング本の記述
 廃屋となっていた道了堂が解体された年が昭和58年(1983)とされていることについては、2月19日付(13)まで縷説したWikipedia「道了堂跡」項の影響が大きいと思うのだけれども、近年の出版物でもこの辺り、どうなっているのか確認して置こう。最近の、暇で元気で好奇心旺盛な高齢者の健康志向を反映してか、身近な場所にある史蹟を訪ね歩く本が近年数多く刊行されている。今回は隣の市の図書館で借りた、A5判並製本5冊をざっと眺めて置きたい。いづれも図版印刷のため、本文にマットコート紙を使用していて、かなり重い。

・十菱駿武『多摩の歴史遺産を歩く ――遺跡・古墳・城跡探訪2009年7月1日 第1版第1刷発行・定価1800円・新泉社・171+xi頁
 十菱駿武(じゅうびし・しゅんぶ。1945生)は本書刊行当時山梨学院大学教授、現在は山梨学院大学客員教授。170~171頁「おわりに」の前半に生れてから項後学を志し、そして現在に至るまでの研究者としてのキャリアについて略述し、後半に本書執筆について述べている。
 カラー口絵4頁(頁付なし)、1頁(頁付なし)扉はカバー表紙と同じレイアウトで文字を若干小さくしたもの。3頁(頁付なし)「はじめに」に執筆の意図と内容が説明されている。13~15行め、

 本書では、東京都旧西多摩郡、旧南多摩郡多摩地域と、神奈川県の旧橘樹郡、旧都筑/郡を多摩地域多摩丘陵としてくくり、現存する遺跡や歴史遺産・博物館・里山を歩く一/二コースを設定しました。多摩丘陵は武蔵野に較べて高低差もあり、‥‥

とあるように、研究者の著したガイドブックらしく、博物館や遺跡・古墳などに重点が置かれている。しかし登呂遺跡や五色塚古墳のように、見学用に整備されている訳でもないので、こう云ったものに知識や理解がないと殆ど何もないところを歩かされた、と云う感想にもなり兼ねない。
 なお、収録されているのは西多摩郡の青梅を除いてほぼ多摩川の右岸に限られている。多摩川の左岸に広がる武蔵野台地は含まれていない。橘樹郡都筑郡(神奈川県川崎市横浜市)は南多摩郡(東京都八王子市・町田市・日野市・多摩市・稲城市)の丘陵地が切れ目なく連続しているから、一括りに扱うのも不自然ではない。
 4~7頁(頁付なし)「目次」
 8頁(頁付なし)は下部に横組みで「章扉地図の凡例」は囲み(5.5×6.0cm)に「遺跡など」として灰色の太い楕円、「本文で触れている消滅した遺跡」として灰色の太い破線の楕円、白い点線を抜いた黒い太線は「歩いた道」、黒く太い破線が「バスルート」、そして2つの細長い「▼」に挟まれた間に「18分」とあるのは「区間に要する時間の目安」とある。山岳地図だと四捨五入して10分単位で示すものだが171頁1行め「‥‥各コースを三回以上は歩いた」と云う下調べがこのような分単位の表示を為さしめているのであろう。その下に小さく「*地図の複製、写真・図版の引用・借用先は巻末にまとめて掲載しました。」とある。
 9頁(頁付なし)は中扉で標題と副題が縦1列。
 10~11頁(頁付なし)「1 青梅の歴史遺産を歩く」の章扉地図で、凡例にあったように遺跡の範囲が灰色の太線で囲われている。地図は細かく等高線が入り、建物が1棟1棟記載されたもので、左開き(横組み)の後付ⅰ~ⅱ頁9行め「写真所蔵提供」の最後、ⅱ頁8~9行めに、

*1~10章扉地図  東京デジタルマップ
 11・12章扉地図  川崎市都市計画図、横浜市都市計画図

とある。ちなみにⅱ頁10行め~ⅲ頁は「図版出典(一部改変)」も学術書の註記のようである。ⅳ~ⅶ頁「索 引」は「●遺 跡」138項、「●博物館・美術館・歴史的建造物自然と公園」47項、「●自然と公園」85項、「●寺社・碑・塔など」55項と分類して左右2列に示す。遺跡が多いところが類書と異なるところであろう。ⅷ~ⅸ頁「関連歴史系博物館・教育委員会リスト」は住所と電話番号も示す。ⅹ~ⅺ頁「参考文献」。
 長くなったので道了堂跡を取り上げている70~83頁「6 小比企丘陵・絹の道の歴史遺産を歩く」の内容は次回確認することとしよう。(以下続稿)