瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

校舎屋上の焼身自殺(28)

川奈まり子『実話怪談 でる場所』(2)
 ①並製本にはなく、②文庫版に新たに追加されたのは、256~258頁「文庫あとがき」のみである。
 ここに、本書の成立についての記述がある。――本書に収録される話は全て著者・川奈まり子(1967.11.9生)本人或いは川奈氏に近い人物が体験したことになっているので、読んでいるうちに本書の成り立ちは何となく理解出来るようになっているのだけれども。
 256頁2~11行め、

 二〇一四年の暮れから二〇一六年の春にかけてニュースサイト「しらべぇ」で連載/していた「実話系怪談コラム」の中から、怪異が起きた場所が明確なものだけを抽出/して、『実話怪談 出没地帯』という単行本にまとめた。私が上梓した初の怪談実話/の単著だった。本書は、それを文庫化したものだ。
 連載を始めた時点では、商業ベースで発表した怪談は『赤い地獄』というホラー小/説集に収録した随筆風の短編一作だけだった。怪談実話の書き手として無名だったか/ら自分の体験もしくは自分に近しい人から聞いた話を書くほかなく、それにまた、長/年溜め込んできたネタを吐き出すのが楽しくて仕方がない時期でもあった。
 それだけに、あらためて読み返してみると、SNSで募った怪異の体験者を電話イ/ンタビューして蒐集した奇譚からなる近作と違って、‥‥


川奈まり子の実話系怪談コラム】の連載は①の刊行後も、2016年12月7日の「【第五十一夜】生霊返し」まで続いたらしい。
 実話怪談と云うのは恐ろしく沢山出ていて、私は体験談には左程興味がある訳ではないので、まづ手にしない。当ブログでは八王子城跡だの道了堂跡だの坪野鉱泉なんぞを取り上げているけれども、廃墟や心霊スポットを訪ねるような趣味もないし、書籍だけでもとんでもない数があって、ネット上にはそれこそ掃いて捨てるほど(私もその類にされているかも知れぬが)あって、そこで肝試しに行った連中の体験談を読んでも、そのつもりでそんな時刻にそんな場所に行けば何か見えたり聞こえたりするような気分になるのだろう、くらいにしか思えないので、わざわざ探して読もうとは思わない。
 しかし、作家専業でやって行けるくらい、電話インタビューで体験談を語りたいと云う人がいて、その体験談を買って読もうと云う人がいる訳である。私でさえくらくらするのに、こういうことにまるで関心のない人たちからしたら別世界に見えるのではないか。
 それはともかく、私が川奈氏の本を手にしたのは、2018年10月8日付「閉じ込められた女子学生(05)」に述べたように全くの偶然からであった。念のため断って置くと、女優時代の活躍も全く存じ上げない。
 257頁3~9行め、

 現在五一歳の私だが。三〇代の終わり頃までは職と肩書がめまぐるしく変わり、真/面目な文学研究者だった父を嘆かせてばかりいた。馬鹿さというか若さというか野蛮/な冒険主義に一段落がつき、森村誠一塾長の小説教室で小説作法を学んで四一歳で作/家デビューしたものの、初めの二、三年は官能小説を書いていた。それが、『実話怪/談 出没地帯』を担当してくれた加藤摩耶子さんやスタジオ・ダラの中西如さんなど/奇特にして有能な編集者さんたちのお陰で、実話奇譚や怪談実話と銘打った本を出せ/るようになり、最近になって恐る恐る怪談作家を名乗りはじめたというわけだ。


 加藤氏や中西氏の名前は①には全く見当たらなかった。ところで「41歳で作家デビュー」とあるが、①の著者紹介には「一一年『義母の艶香』で小説家デビュー」とあったし、28話め「分身」にも①250頁1行め②254頁2行め「‥‥、小説家デビューした二〇一一年頃‥‥」とある。満41歳の2009年頃から何か活字媒体に書いていたのかも知れないが、矛盾している。43歳とするべきではないか。
 それから「真面目な文学研究者」の父については、13行めに「父の共訳書『六朝・唐小説集』」が挙がっていて、著者本人も Twitter でたまに触れているように、高橋稔(1936生)と判明する。

 これら近著の著者紹介に拠れば、昭和11年(1936)東京都生、東京大学大学院人文科学研究科中国文学専攻博士課程単位取得退学。私立武蔵学園高等学校教諭を経て、昭和49年(1974)東京学芸大学講師、昭和50年(1975)助教授、昭和52年(1977)教授就任。平成5年(1993)山形大学教育学部教授。平成15年(2003)定年退職、と云うエリート研究者で、高島俊男(1937.1.16~2021.4.5)も学年が同じなのかどうか、ほぼ同年で、同じ学歴で同じ職場だったことになる。そう云えば私の指導教授も漢文ではないが高橋氏と同年生で東大卒で、大学に就職するまで私立武蔵高校に勤めていたと聞いたか著者略歴で読んだかして、私立武蔵高校は東大卒の学者の卵を引き受けるエライ学校なのだと思った記憶があるのだが、気のせいかも知れない。(以下続稿)