瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(122)

・杉村顯『信州百物語』の評価(3)
 9月15日付(118)の続き。
 前回(昨日)も問題にしたが、② 著者が判明したことも、本書が復活を遂げる(?)に与って大いに力があったと思われる。
 作者も成立事情も分からぬまま本書を読んだ場合、「怪奇」でないただの「伝説」多数と云う標題と内容の齟齬は、読者をして本書にネガティヴな印象を与えただろうと思われる。ところが、これに「杉村顕道」と云う地方で特異な活動をした作家の作品としての位置を与えることで、不思議とこの標題と内容の齟齬が味のように感じられてしまうのである。かつ、「蓮華温泉の怪話」は後に怪談集『彩雨亭鬼談 箱根から来た男』が評価されることになる杉村顕道の、若書きの作品と云うことになるので、その意味でも単なる「木曾の旅人」の関連作(或いは改作)以上の意義が、ここに認められていたような気がするのだ。
 叢書東北の声11『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』に収録された杉村氏の次女・杉村翠の談話「父・顕道を語る」にて、父の小説について5節め、444頁下段15行め~446頁下段8行め「仙台に暮らす」に、446頁上段3~11行め、

 けれども、やはり筆で生活する夢はあったようです。/この時期に小説をずいぶん出しています。昭和二十/一(一九四六)年から昭和二十二(一九四七)年にかけ/て、『怪談十五夜』『新 坊ちゃん伝』『女学校物語』/『嵐の中の天使』『からくれない』『緋牡丹の歌』『未/亡人』などを出しています(『怪談十五夜』『新 坊ちゃん伝』『からくれない』は友文堂書房。ほかは野村書房)。怪/談は『怪談十五夜』だけで、あとは佐々木邦先生流/のユーモア小説が多いようです。

と触れている。

 佐々木邦(1883.5.4~1964.9.22)については1節め「東京時代」及び2節め「三人の師 佐々木邦折口信夫金田一京助」によると、2018年8月11日付(30)に触れた國學院大學高等師範部(1927~1930)、ここで折口氏・金田一氏に師事したのだが、その前に在学した明治学院大学文藝科(1924~1927)で師事し、実家の「戸山脳/病院が潰れたときには、佐々/木先生のお宅でしばらくお世話になっていたみたい/です」と云う(439頁下段4~7行め)。但し佐々木邦「明治学院大学」HP「明学について/明学×人明治学院ゆかりの人々」の「佐々木邦」項に拠ると、戦後、明治学院大学教授(1949~1962)を務めているが、杉村氏が在学していた頃は「1919年4月から7年間、明治学院高等学部で英語講師を務め、平行して作家活動に励んだ」とあって、大正15年(1926)3月まで高等学部で教鞭を執っていたようだ。そうすると杉村氏が佐々木邦に師事した初めは、大正13年(1924)に入学した明治学院大学ではなくて、その前の高等学部だったのではないか、と思われるのだが「父・顕道を語る」は明治学院大学以前の学歴に触れていないので断言は出来ない。
 それはともかく「三人の師 佐々木邦折口信夫金田一京助」の節の最後、440頁上段9~15行め、

 父はユーモア小説もずいぶん書いていますが、あ/れはやはり佐々木邦先生の影響でしょうね。怪談を/書いたのは、折口信夫先生の影響なんじゃないかと/思います。最初の著書『信州の口碑と伝説』は、折/口先生の民俗学に影響されたところが大きいんじゃ/ないでしょうか。それがやがて怪談趣味に繋がった/のだと思います。

と述べ、怪談趣味の淵源を折口氏の民俗学に求めている。そして3節め「『信州百物語』の刊行」の節、8月23日付「杉村顯『信州の口碑と傳説』(2)」の最後に引用した、長野での教師生活について『新 坊ちゃん伝』から処女出版の『信州の口碑と伝説』に触れた続きに、440頁下段19行め~441頁上段3行め、

‥‥。二冊目の『信州百物語 信濃怪奇伝説/集』も郷土史の本ではあるのですが、小説仕立てに【440】なっているお話もあって、これがやがて戦後の『怪/談十五夜』や『彩雨亭鬼談 箱根から来た男』に繋/がったのでしょう。

と『彩雨亭鬼談 箱根から来た男』までの筋を引くのである。
 確かに、『信州百物語』の「小説仕立て」の話が『怪談十五夜』から『彩雨亭鬼談 箱根から来た男』に繋がって行ったと云うのは、私も当たっていると思う。(以下続稿)