・八王子市老人クラブ連合会創立50周年記念誌『八王子・昭和の語り部』(1)
さて、昨日見たようにこの本には鑓水弥生会の小泉茂によって鑓水の地名に関する寄稿が為されている。すなわち116頁左20~21行めの飾り枠にゴシック体左寄せで「鑓水の地名の起こり」そして細いゴシック体で右寄せ「[18]鑓水弥生会 小泉 茂」とある。数字は支部の番号で黒い四角に白抜き。
1段落め(22~30行め)、
鑓水の地名の起りは不明である。地元にも伝/えはなく、新編武蔵風土記にも「イカナルユヘ/ンニテ起リシ地名カ言ウコトヲシラズ」と記し/てある。私の考察であるが、恐らく鑓水の土地/は水成岩が隆起して、その上に富士の火山灰が/積もった土地なので降った雨が深く地下に浸透/しないのだと思う。各谷戸より流れ出す小川の/斜面に岩が露出していて、水の滴りが随所に見/受けられるのもそのあらわれである。
蘆田伊人 編、大日本地誌大系『新編武蔵国風土記稿』五(昭和六年十月十五日印刷・昭和六年十月二十日發行・非賣品・雄山閣・二+三七六頁)を見るに、七二~九七頁『新編武蔵風土記稿』卷之九十七「多摩郡之九 柚木領」に、八五頁下段、系図に続いて最後の3行から八七頁下段2行めまでが「○遣水村」である。その最初の2行に、
○遣水村 遣水を、或は鑓水ともかく、いかなるゆへに/て起りし地名と云ことをしらず、‥‥
とある。水利については八六頁上段6~11行め、
‥‥、この村山間にて谷々多く、大抵/山谷と平地と相半せり、陸田多くして水田少し、用水は/村内の溪間より出る清水をひき、或は天水をたゝへて漑/く處も多ければ、しばしば干損を患ふ、又霖雨頃は谷々/の清水溢れて作物を害することもあり、土性は赤眞土に/して瘠土なれば、專ら糞培の力をかりて播種せり、‥‥
ともあって、雨が続くと溢れるが、水が涸れることもしばしばであったようだ。「岩が露出してい」るようでは確かに保水力は低そうだ。
2~3段落め(31行め~右3行め)、
このような地層なので、宅地の裏の斜面に槍/の穂先のような金具を着けて何mか突けば、い/とも簡単に水が流れ出してくる。その水口に竹/槍状に先端を尖らせた青竹を水口に打ち込み、/流れ出た水を甕*1または桶に貯えて使用した。こ/れが鑓水の語源だと思う。
また一説には、茶室の庭に設けた「つくば/い」の手水鉢に水を引いたものを遣水とも言/う。いずれも竹の先から出る水口は似たような/形である。この方法はこの地方独特のもので他/【左】所には、通用しないから「ヤリミズ」という普/通名詞は普及することなく、ただ固有名詞とし/てのみ残ったのだと思う。
ここに説明されている生活用水の獲得方法は、8月13日付「道了堂(96)」に見た、かたくら書店が発行していた絵葉書「八王子の絹の道点描」の1枚「呼び水/ 生活用水、今尚昔の侭」がそれであるようだ。(以下続稿)
*1:ルビ「かめ」。