瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子市老人クラブ連合会創立50周年記念誌『八王子・昭和の語り部』(2)

 昨日の続きで、本篇の「八王子・昭和の語り部」を見て行こう。
 17頁(頁付なし)は扉、18頁「は じ め に」は、15頁の橋本晴重郎顧問と同様の趣旨説明がなされている。
 そして19頁から左右2列に寄稿が支部ごと、クラブごとに並べられて行く。126~127頁「八老連 支部支部長・クラブ会長」がクラブの一覧を兼ねているが、これを見るに、寄稿者のいないクラブもあれば、これに載っていないクラブからの寄稿もある。なお「第2支部」から始まっているが、第1支部はない。第5支部もない。第11南支部・第11北支部、第16東支部・第16西支部のように分割されている支部もある。第18支部まで、18の支部がある。
 この支部分けについては125頁の下に小さな白地図があって、丸数字で支部名を示すとともに主な隣接自治体と市内の名所を幾つか記載するが、市域の南東部にがあって「絹の道」とある。そしてこれで見ると番号が打たれていないところがあって、どうも第1支部と第5支部は、八王子市老人クラブ連合会(八老連)に参加していないらしい。130~131頁「八老連の歩み」を見ても支部の設立や脱退については記述されていないので、どうして参加していないのかは分からない。
 それはともかく、118頁までが会員の寄稿で、119~122頁に写真ページがあり、そして123頁「【お礼とお詫び】」に、編集について説明がある。7行め「‥‥、個人情報保護の観点、予算の制約などを考慮しました結果、‥‥」として、10~18行め、

1. 寄稿文の文字数制限を800字程度と募集したが、それを大幅に超える寄稿文は/  800文字程度に編集した。
2. 寄稿文に添えられた写真は予算の制約から集団写真などに限定した。
3. 創立50周年記念式典の写真を掲載するために発行が遅れたので、寄稿文中に記/  載された年度を一部修正した。
4. 標題のない原稿については編集委員会で付けさせていただいた。
5. 寄稿文中の個人名については、標記をアルファベットにした。
6. 寄稿者の所属支部・クラブ名は平成24年度の名称を使用した。
7. 誤字・脱字を修正し、難しい漢字にはルビを振った。

との編集を加えたことを断っている。そうすると「標記」ではなく「表記」が、寄稿文そのままではないことはもちろん、微修正だろうけれども、本文の内容にも手が加えられていることになる。
 写真は寄稿文中には挿入されておらず119~122頁の写真ページに「写真で見る昭和の八王子」として纏められている。
 113頁右11行め~118頁「第18支部」には12人が寄稿している。まづ「南大沢柚子の実会」の3名、次いで「鑓水弥生会」4名、「松木福寿会」4名、最後に「ブライトシルバー別所」1名だがこの別所の老人クラブは「八老連 支部支部長・クラブ会長」の一覧に出ていない。「第18支部」は南大沢と鑓水と松木の「3クラブ」だけになっている。
 鑓水の4名のうち2名は『ふるさと板木』の「家と人と」に家族写真が出ていた。すなわち、鑓水弥生会の1人めとして114頁右34行め~115頁左36行めに「わが戦争体験」を寄稿している「大塚 實」は、冒頭114頁右36~38行めに、

 この世に生をうけたのは大正8年で、生糸商/人3代目大塚忢郎吉の孫として10人兄妹の四男/としてこの世にでてきました。‥‥

と自己紹介しているが、『ふるさと板木』を見るに14頁下「大塚 実」家の「戸主」が「実 50」である。大正8年(1919)生だからやはり『ふるさと板木』の「家と人と」の年齢は、10月12日付「ふるさと板木編集委員会『ふるさと板木』(2)」に推測したように、昭和44年(1969)の誕生日に於ける満年齢らしい。それからもう1人が鑓水弥生会の4人め、116頁左20行め~右10行めに「鑓水の地名の起こり」を寄稿している「小泉 茂」で、『ふるさと板木』19頁上「小泉 茂」家の「戸主」の「茂 46」である。そうすると小泉茂は大正12年(1923)生と云うことになるようだ。平成24年(2012)の寄稿とすると大塚氏・小泉氏とも90歳前後の高齢であった。(以下続稿)