・竹書房文庫『ライブ全集①'93〜'95 稲川淳二の恐怖がたり〜祟り〜』(4)
本書に載る話のうち、既に検討を始めている首なし地蔵と淡谷のり子の体験談については、別記事にて検討する予定である。今、他の話について細かく検討する余裕はない。ここでは差当り2022年12月25日付「稲川淳二『稲川怪談』(5)」に取り上げた、ナオ・バーズ・バーで聞いたという話について『稲川怪談』と比較して置こう。
本書では342~345頁「31 闇夜に泣く赤ん坊」346~360頁「32 サーファーの死」と連続して収録されている。両方とも平成6年(1994)2年めの怪談ライブが初出である。
前者は『稲川怪談 昭和・平成・令和 長編集』第二章「怖い噂」の4話め「ナオ・バーズ・バー」の前半「闇夜の赤ん坊」である。「出典・初出一覧」には「闇夜の赤ん坊 (原題:闇夜に泣く赤ん坊)ユニJオフィース」とある。
後者は『稲川怪談 昭和・平成傑作選』第二章「怖い噂」の10話め「長い死体」で「出典・初出」は『稲川淳二のすご~く恐い話 PARTⅡ』第7話「サーファーの死。そして…」である。
前者の冒頭を見て置こう。342頁3~11行め、
私、荻窪にセコイ、小さな店、やってるんですよ。
ほとんど1年に3、4回しか行かない店なんだけれど、ただ設計が好きでやった/だけでねえ、その店は、荻窪に、あるんですよ。
その店、お客さんがまた変わった人が多いんだ。
アートディレクターなんかも多くてね、でもその中でも最高の変わり種は、お坊/さんでしょう。お坊さんが来るんですよ、店に。
若い坊さんで、妹さんと来る。
その妹さんも、これまた面白い方でねえ、彼女の親類がやはりお寺やってて、彼/女、ある時手伝いに行ったらしい。【342】
本書では店の名前を出していない。
後者の冒頭は次のようになっている。346頁3~7行め、
今、お話した妹さんの体験談、結構、怖いんですけどね、お兄さんのほうのお坊/さんも、
「稲川さん、私もあるんですよ」
って身を乗りだして言う。
この人、坊さんのくせに、サーファーなんだ。
そうすると本書の「31」と「32」の2話は、坊さんと妹が来店した折に、2人が直接稲川氏に語ったことになる。夜の店の346頁1行め「常連客」なのだから、荻窪界隈か、中央線沿線に住んでいるものと思う。妹も一緒と云うことは、その辺りの家族経営(?)の寺の人間なんだと。『稲川怪談』では「31」を坊さんが語ったのか、妹が語ったのか、どちらとも取れたが、本書を見る限り稲川氏は「妹」本人から聞いたことになる。
しかし、2022年12月26日付「稲川淳二『稲川怪談』(6)」に見た「稲川淳二 オフィシャルサイト」に拠れば、NAO Bird's Bar は平成3年(1991)8月オープンである。そうすると(稲川氏の言う通りだとすれば)稲川氏はせいぜい10回くらいしか行っていない勘定になる。本当に常連なのだろうか、たまたま来店していただけなのではないか、との疑問が生ずる。
いや、稲川氏の云うことを何処まで信じられるのか、と云う問題が、そもそも存在する訳である。――1月12日付(1)に見た「ライブ10周年を迎えて」に「今現在ツアーやなんかでお話ししている内容とは少し違ったりしてい」ると稲川氏本人が断っているところであるが、この「妹さんの体験談」、本書と『稲川怪談』とでは、大筋は同じだが細かいところが異なっている。いや、その意味でも(色々問題はあるにしても)「当時のライブの雰囲気を味わっていただくため、話の内容は当時のものを忠実に再現してい」る本シリーズの資料的価値は高い。
さて、何処が違うかと云うと、本書では上記の通り「親類」の「寺」の「手伝いに行った」ときのことになっているのだが、『稲川怪談』では次のようになっている。107頁8行め~108頁3行め、2022年12月25日付「稲川淳二『稲川怪談』(5)」の引用の続きになる(一部重複引用)。
お坊さんのご実家は地方にありましてね、普通お寺は、「◯◯山」って、山で呼びますけどね、そのご/実家は文字通り山の中にあるんだそうですよ。
地方というのは、いろいろな行事があって、この方のお父さんはまだご存命なんですが、実際のところ/【107】妹さんが行事なんかは仕切っているんですね。で、翌日檀家*1さんの葬儀があるって言うんで、本堂はもち/ろん、広間とかお墓の掃除をして、次の日の準備をすると、すごく遅くなるわけですよ。で、その日も、/妹さん、全部済ませて帰ってきた。もう日は落ちていて、‥‥
となっていて、実家の寺の手伝いに行ったことになっている。――この、暗くなってから歩いて帰る途で、怪異に遭遇するのだけれども、設定上『稲川怪談』の云う実家の寺か、本書のような親類の寺とするかで、大きな違いが生じると思うんだがどうだろう。
本書のようであれば、親類の寺の手伝いだから、遅くなってからでも帰ろうとするのはおかしくはない。泊まるのを遠慮して、慣れない道でもないから夜道を帰る、と云うのも分かる気がする。
しかし『稲川怪談』のように実家の寺で、しかも翌日が葬儀の当日だとすれば、そのまま泊まって、翌日も手伝ってから帰れば良いだろう、と思ってしまう。妹が仕切っているのは、母親が死んでしまったからなのだろう。むしろ常駐しなくて良いのか、と思う。葬儀の度に戻っていたら大変だ。それにしても、兄の〝坊さん〟は何処の寺の所属なのだろう。何故「地方」から離れて「荻窪」の稲川氏の店の常連客(?)になっているのだろう。但し『稲川怪談』の書き方だと妹が荻窪の店に来ていたかどうか分からない。実家を出て少々距離はあるものの徒歩で通える辺りに住んでいた、と云うことになるのかも知れない。うーむ。
それ以上に違っているのは結末である。『稲川怪談』では、110頁6~15行め、怪異に襲われた妹が、
(もう、どうしよう)
って思ってたらね、ツルってね、肩のところに何か乗るんだって。首を、そおっと回して、横目で見た/らね、自分の肩に小ちゃい赤ん坊の手が乗っていて、
「あーっ!」
って泣いたんだって。妹さん、そのまんま気絶してしまって、あとからお寺の人が見つけてくれて、助/けられたそうですよ。
翌日、お寺で檀家さんの葬儀の準備をしてたら、小さな柩が運ばれてきたそうですよ。それ、赤ん坊/の遺体だったんですね。*2
(昨日泣いてたのはこの子だったのかな)
って思ったそうですよ。
やはり『稲川怪談』では歩いて通えるところに嫁いでいる、と云う設定に変えているようだ。昭和末か平成初年の頃のはずだから、携帯電話など持っていない時期のことで、妹の夫が実家の寺から遅くなっても帰って来ない妻を心配して寺に電話を入れたところ、もうとうに帰りました、との返事、地方で他に立ち寄るようなところもないので、誰だか分からないが「お寺の人」が妹の嫁ぎ先までの道を辿ってみたところが、途中で倒れている妹を見付け、寺に連れ帰った、と云うことになるのだろう。そんな訳で、当初は手伝うつもりのなかった翌日の葬儀の準備にも立ち会ったことで、偶然小さな柩を目撃することになった、と云うことになりそうだ。
ところが、本書には翌日に件がないので、なんで赤ん坊の霊に襲われたのかは分からない。かつ、もっとくどく、煽るような話し振りで、見えたものも、横目で、手を見るどころではないのである。結末部分を抜いて置こう。345頁6~15行め、
アア――ァ、アア――ァ、アア――ァ、アア――ァ、アア――ァ、アア――ァ
〝ありえないありえない、こんなこと、絶対にありえない!〟
アア――ァ、アア――ァ、妹さん、もう一生懸命、お題目を唱えて、必死で、そ/の上がってくるものを耐えていたんだけど、
ニャアア――ア!
いきなり大きな声で間延びしたように鳴いたんで、彼女も、一瞬、気が緩んで、/振り返ってしまった…………したら…………肩のところに、顔が……………………/あったんだ――――。赤ん坊の、―――――顔。
ニヤッ
と、それ、笑ったそうです………………。
『稲川怪談』には「お題目」のような、宗派を窺わせるような要素はない。「鳴いた」はおかしいようにも思うが、当初は子猫に付けられていると思っていたと云うことなので、この表記もアリかも知れない。
ここで思い出したのは、2018年3月11日付「山岳部の思ひ出(8)」に簡単に触れた、高校の同級生(女)から聞いた、私の高校から遠からぬ山寺の息子の体験談である。――塾などで遅くなって帰って来るとき、舗装はされているけれども街灯もない山道を20分くらい登って帰って来ることになるのだが、父の住職から絶対振り向いてはいけないと言われていた、と云うのである。なんか付いてくんねんて。と。なんで分かるんや、と聞くと、顔の横まで来てる、と。――まぁそんな話だったように記憶しているのである。(以下続稿)