瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(116)

 昨日の続き。
『稲川怪談 昭和・平成・令和 長編集』第三章「怖い場所」の4話め、154~170頁「八王子の首なし地蔵」は、154頁2行め~161頁「お地蔵さんの祟り」に続いて、162~170頁「八王子怨霊地帯」と題する、道了堂跡の首なし地蔵の話になる。冒頭を抜いて置こう。162頁2~8行め、

 ある番組でね、
「稲川さん、八王子にある『首なし地蔵』に、行きませんか?」*1
 って言われたんですよ。『首なし地蔵』があるってことは、聞いていました。触ったり、いじったりす/ると、事故で死んだり、とんでもない祟りがあるっていうこともね。ただ、首なしの意味がわからなかっ/たんですよ。*2
 八王子は昔、機織りで有名な村でしたから、「シルクロード」、絹の道があるんですよ。山梨から東京に/つながって行くね。今は寸断されましてね、細い山道になってますね。*3


 しかし、一読「八王子怨霊地帯」と云う題に引っ掛かったのである。道了堂跡の話だけなのである。何故「地帯」と題しているのか?
 それもあって、2022年12月22日付「稲川淳二『稲川怪談』(3)」に見た「出典・初出一覧」にあった平成7年(1995)刊の初出、リイド文庫『稲川淳二すご~く恐い話 PARTⅡ』を確認することにしたのである。
 書影と刊年月日等は2022年12月15日付「『稲川淳二のすご~く恐い話』(1)」に、細目は2022年12月17日付「『稲川淳二のすご~く恐い話』(3)」に示した。90~103頁に「第16話 八王子怨霊地帯」として収録されている。
 上に引用した部分は、改行位置や細かい言い回しが違っているものの、殆どそのまま、93頁5~14行めに出ている。
 すなわち、1行空白を挟んで93頁4行めまでの3頁分には、もう1つ、別の場所での体験が語られていたのである。そう、八王子の心霊スポット2箇所を抱き合わせたから「八王子怨霊地帯」と題していたのである。『稲川怪談 昭和・平成・令和 長編集』の「出典・初出一覧」は24話中17話に(原題:‥‥)の註記がある。この「八王子怨霊地帯」こそ「地帯」でなくしたんだから改題すべきだったと思うのだけれども。
 そのもう1箇所は「八王子城址」である。これは番組収録なのかどうか、分からない。ただ「ダチョウ倶楽部」も同行していたと云った辺りが、時期を特定するヒントになるであろうか。
 しかし「八王子城址」は本題ではない。「首なし地蔵」に戻ろう。
 この話がいつまで遡るのか、稲川氏の怪談を余り聞いて来なかった私にはちょっと難問で、昨日触れた2022年4月14日付(033)を書いた時点では2011年発売のDVD『稲川淳二の絶叫夜話~怪奇談~』を挙げるのがやっとであった。
 しかし、2022年2月12日付(007)以降検討した、Wikipedia「道了堂跡」項に、「稲川淳二による首なし地蔵の怪談[6]」の註に「6.^ 稲川淳二真夜中のタクシーなど。」とある「真夜中のタクシー」をクリックすれば、Wikipedia稲川淳二 真夜中のタクシー」項にて「首無し地蔵」の題で語られていたことが分かったはずなのである。何故かそれをしなかったために、11年遅いものを挙げていたのであった。
・『稲川淳二 真夜中のタクシー』2000年7月13日発売・ヴィジット

 ここでは、

 やね、今からもう10年くらい前ですかねえ。東京の八王子にね、首なし地蔵ってところがあるから、それ、取材しないかって言われたんですよ。‥‥

と語り始め、最後はADの怪異体験をオチまで語ってから、少し間を置いて、

 この、首なし地蔵。××××か前に私、訪ねたんですよ。今いないんですよねえ。何処に行ったんでしょうねえ。

と思わせ振りに語り納めている。「××××」は再生速度を落として聞いても聞き取れなかった。――この辺りは「地蔵のたたり/お地蔵さんの祟り」の結末を流用したようでもあるし、実際に、座像の首をすげるために一時的に道了堂跡から移していたのかも知れない。
 さて、リイド文庫『稲川淳二すご~く恐い話 PARTⅡ』はこのゲームより更に5年遡る訳だが、その前にそもそもの切っ掛けのTV番組の収録があった訳である。(以下続稿)

*1:ルビ「はちおう じ 」。

*2:ルビ「さわ/たた/」。

*3:ルビ「はた お /やまみち」。