瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(359)

 昨日見た「大日」第二百三十四號掲載の水島爾保布「巢鴨より」の続きは、別の流言の紹介になる。赤マント流言そのものには特に戦時色は指摘出来ないが、続いて紹介される2種類の流言は戦時色を色濃く湛えている。思い当たる資料及び先行研究の全てに目を通す余裕はないが、少しは見た上で取り上げることとしよう。
 水島氏はこの連載でもう1回、赤マント流言に触れている。
・「大日」第二百六十九號(昭和十七年 四 月十三日 印刷納本・昭和十七年 四 月十五日 發  行・定 價 金 參 拾 錢・大日社・五四頁)
 前後の号は「巢鴨より」だがこの号では、四九~五〇頁18行め「旅先より」と題しておりその最後、五〇頁下段16行め「‥/‥。(四月四日月岡溫泉にて)」とある。新潟県北蒲原郡本田村(現・新発田市)の月岡温泉である。――その旅中で聞いた流言を取り上げ、第二百三十四號の「巢鴨より」で赤マント流言に続いて取り上げた橋が舞台となっている流言に及び、11~13行め「‥‥思へば前年の赤マントのせ/むし男の出現や、髯の長い爺さんが笊をもつ/て酒を買ひに來たなんていふのは、‥‥」と赤マント流言にも触れて締め括っている。「橋の悲劇」流言や「大日」第百三十八號の「巢鴨より」での、笊で酒を買いに来た老爺の話の詳細な紹介は別に記事にすることにする。

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・關寛之『日本兒童宗教の研究』(昭和十九年十一月二十日 初版印刷・昭和十九年十一月廿五日 初版發行・定價十八圓+特別行爲税相當額一圓廿六錢・彰考書院・六+二+一一+八四八頁+附録)
 奥付の著者名に「せき ひろ ゆき」とルビ。844頁(頁付なし)は殆ど余白で左側やや上寄りに、

     著  者  略  歴
關  寛 之 明治二十三年十二月三日生る。
東洋大學、日本大學にて心理學、兒童心理學、宗教心理學等を講ず。
著書 兒童學原論、高等教育心理學、高等教育兒童心理學其他

とある。
 赤マント流言の発生は、「都新聞」の報道等から昭和14年(1939)2月中旬と目されるのだけれども、昭和15年(1940)9月刊、同盟通信社調査部 編『國際情報戰』のみ、2020年5月13日付「同盟通信社調査部 編『國際宣傳戦』(10)」に見た、東洋大学教授関寛之の「走行説」に従ったものか、2020年5月14日付(244)に見たような、独自の説明をしている。
 そこで、関氏の説に遡って確認したいと思って逢着したのがこの本である。しかし、マイクロフィルムに拠るものと思われる国立国会図書館デジタルコレクションの画像は、時局柄もあって印刷が悪く、甚だ読みにくい。分厚いためにノドの部分が歪み、薄く写って、しばしば読み得ない。私は利用した資料は出来るだけ内容全体の確認もして置きたいと思っているのだが、大部ではあるし、目を通すのが中々大変である。そこで、こんな資料に逢着するような暇人は私の他に中々現れぬだろうと高を括って、2020年10月9日に赤マント流言に触れた3箇所の頁と原文をメモしただけの草稿を作って、そのまま放って置いたのだが、昨年末、国立国会図書館デジタルコレクションがリニューアルされて、全文検索出来るようになってしまった(岸田総理風に)。私がそれなりに苦労して見付けた3箇所が、検索であっさりヒットしてしまう。いや、年末、2022年12月30日付(328)から早速、全文検索の恩恵にも浴している。「大日」を初めとする当時の雑誌に赤マント流言の記事があることだって全文検索でヒットしなければ、全く気付かなかっただろう。しかし色々困ったことになったと思って、女子高時代の同僚が先月久し振りにメールを寄越して来たのの返信に、一くさり懸念を述べたのであった。それは改めて当ブログの記事にすることにしたい。
 とにかく、これで、あまり priority 云々を言っておられなくなった。国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索でヒットしてしまう文献について、発見などと云う訳には行かぬであろう。これで、個人送信サービス以前から別ルートで見付けていて、しかし記事にせずに置いた文献の幾つかについて、発見者づらが許されなくなった。
 ただ『國際宣傳戦』のように(これは私が見付けたのではないが)国立国会図書館に所蔵されていない文献も、少なくないのである。そうすると、これまで埋もれていた雑誌の記事が脚光を浴び、逆に本になっているものの方が埋もれてしまうなどと云ったことにもなりかねない。いや、国立国会図書館デジタルコレクションのリニューアルで新たに判明した、私の調査対象の資料を処理して行くのだって何年掛かるか分からないのだが、やはりこれに頼り過ぎること、そして初出・再録の確認を怠ることは、厳に慎みたいと思っているのである。(以下続稿)