引用が多くなるとどうもその前後左右に余裕があり過ぎるのが気になるのでブログのデザインを変えて見た。私は「はてなダイアリー」当時のデザインが気に入っていたので、それに似ているものにしてみたのである。ただ、文字が小さい。150%に拡大して見ている。これに限らず、諸事なかなか思ったような按配にはならない。
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さて、本書は2013年11月4日付「赤いマント(014)」に触れたように、3番めに収録されている「赤いマント」を国立国会図書館の館内端末で初出誌「三田文學」にて閲覧し、当時ほぼ通説のようになっていた『現代民話考』に載る唯一の赤マント流言の体験談の時期が誤りであること*1に気付く切っ掛けとなったのです。
その日は時間がなかったため、国立国会図書館では本書に辿り着けなかったのですが、帰宅してから、当時私は岩佐氏のことも知らなかったので、まづ岩佐氏で検索して Wikipedia「岩佐東一郎」項を見るに、随筆集を何冊も出しており、時期から見て本書だろうと見当を付けて蔵書検索してみるに、偶然某市立中央図書館に本書が所蔵されていることが分かって、初出誌のメモと対照させることが出来たのでした。
ただ、当時私が借りて見た本は、緑色の製本用布クロスの表紙(丸背)に改装されていて、元の装幀は分からなかったのですが、今度原装の本を見ることが出来たのです。但し複数の古書店のサイトに写真が上がっている函は失われていました。
とにかく、久し振りに某市立中央図書館本を借りて来て、比較して見た次第です。
表紙は高さ 18.6cm、表紙・裏表紙とも小口側から 9.9cm のところまで青灰色の和紙で包んであります。残りは白の洋紙で、表紙・裏表紙とも 0.1cm 幅の溝があって、表紙のみそこに金箔を置いています。そこからノドの窪みまで表紙は 2.5cm、裏表紙は 2.8cm、丸背部分は 3.5cm あって、文字は宋朝体に少し窪ませたところに青緑色で上半分に「〈隨/筆〉くりくり坊主」、下寄りにやや小さく「岩佐東一郎著」とあります。
見返し(遊紙)は濃い水色、扉も同じ濃い水色の紙を使っており、細い毛筆でごく薄い赤の草書で、上部にフリーハンドを2周させて描いたような円(約 7.0cm)があって、バス停のように上部をかすれた横線で仕切ってその上に「筆 隨」ここのみ横書き、下に「くりくり/ 坊 主」この標題の右に「岩佐東一郎著」姓は円からはみ出ており、もちろん円はここで切れております。標題の左には「書物展望社版」こちらは「書物」のみ円に食い込んでいて、やはりここで円が切れています。
某市立中央図書館本はこの扉から存していますが見返しは普通の黄土色の模造紙を使っております。
本文の用紙は縦 18.1cm 横 12.4cm、某市立中央図書館本は 17.8×12.1cm で製本に際して、天・地と製本のためにノドを裁断したようです。これは図書館の製本し直した本には良くあることです。小口は殆ど減っていないように見えます。――原装本は天が群青色に塗られていて、これは版元のしたことか、旧蔵者のしたことか分からないなと思って某市立中央図書館本をよく見ると、一見、天に色は着いていないのですが、よくよく見ると巻頭「もくろく」から本文「三〇」頁まで、小口側の天に薄く群青色が裁ち残されておりました。
なお、写真を見るに函には全体的に薄い赤の円を、他の円と重なるところは切って、たくさん散らした柄になっておりまして、表紙側には上部に薄い緑色で、扉と同じような円に標題、但しこちらの円は切れ目がありません。著者名は円の右に縦組みで「岩 佐 東 一 郎」左には「第 三 隨 筆 集」そして下に横組みで「版 社 望 展 物 書」下線、少し下に「2601 夏」とあり、右下に恐らく黒で「¥ 2.50」とあります。背には文字がないようです。(以下続稿)