瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

大和田刑場跡(27)

 11月17日付(19)に触れた大沢都志夫「酒井濤江介正近について」(「刀剣と歴史」第六九三号)はまだ閲覧の機会を得ない。この間暖かかったときに油断して急に寒くなったために風邪を引いてしまった。女子高講師時代、一冬に一度は咽喉を潰していたのを思い出した。やはりしばらくはおとなしくしていようと思う。
 それはともかく、この論稿の要約と思われる、東屋梢風のブログ「新選組の本を読む ~誠の栞~」の、2015/11/04「名和弓雄『間違いだらけの時代劇』」の【酒井濤江之介正近 さかいなみえのすけまさちか】を見る限り、大沢氏は後藤安孝「武州下原刀の研究(十九)――武蔵太郎安貞――」(「刀剣と歴史」第六三六号)を参照していないようだ。
 大沢氏が酒井正近の伝記に関して依拠したのは、次の本であるらしい。
・本間薫山 校閲/石井昌国 編著『日本刀銘鑑』第三版(昭和五〇年 四月二五日初版発行・昭和五一年 七月二〇日二版発行・昭和五四年一二月一五日三版一刷・昭和五六年 六月二〇日三版二刷・昭和六二年一〇月二〇日三版三刷・平成 六年 八月二〇日三版四刷・平成 八年一一月二〇日三版五刷・雄山閣出版・102+1684頁)

 石井昌国(1916.11~1990.1.4)は本間順治(1904.4.16~1991.8.29)の弟子で、40年来の蓄積を纏めた大著である。
 860頁下段7行め~861頁下段15行め「正近 まさちか」に15人の正近が列挙される*1が、そのうち最も記載量が多いのが11人めの正近である。861頁中段14行め~下段2行め、

▢「濤江介正近作之」「濤江介正/ 近」「正近作」「於高尾正近作」細/ 川正義門。本国奧州白河。天保末/ 年より武州八王子小比企村住。/ 弘化。武藏。(見出・銘録・総覧・刀/ 苑)「年紀」弘化三、嘉永六、安政/ 二(五六歳作)。<注>八王子市高尾/ 山薬王院に「奉献高尾山飯繩大/ 権現酒井濤江介正近武蔵太郎安/ 貞神前斎戒沐浴一百日謹作之」/ (安政二)の太刀あり。明治初年/ 多摩浅川河原にて打首になる。/【861中】 そのわけは偽作者のためという/ が、小栗騷動の関連ともきく。


 前付6~10頁「凡   例」によると、記号▢は「新々刀工・現代刀工」で、出典の略語「見出」は『古今鍛冶銘早見出』(安政3)、「銘録」は『新刀銘集録』(嘉永3)、「総覧」は『刀工総覧』(大正7~)、「刀苑」は『刀苑』(昭和41~)である。
 安政二年(1855)に五十六歳と云うのは11月13日付(15)に見た、後藤氏の引用する高尾山薬王院安政二年に奉献した太刀に添えた「高尾山奉剣名尊帳」に拠っているのであろう。しかしこれは前年冬に書かれたものだから、やはり寛政十一年(1799)生が正しいようだ。――日本刀販売専門店「つるぎの屋」の「刀 濤江介正近行年五十歳(武蔵)」の太刀に「濤江介正近行年五十歳/弘化五年春壬正月日」との銘があり、弘化五年(1848)に五十歳とすれば確かに寛政十一年生である。
 なお『日本刀銘鑑』第三版861頁下段19~25行め「正親 まさちか」として2人挙がる2人め22~25行め、

▢「武州八王子住正親」「酒井正/ 親」正義門。酒井涛江。嘉永ころ。/ 武蔵。(銘録)<注>正近同人。八王/ 子住。

とあって、村上孝介『刀工下原鍛冶』では別人としている「正親」を、石井氏は同一人物と見做している*2
 これについては「刀剣しのぎ桶川店」の正親の剣」に紹介されている「武蔵八王子住正親/安政二年八月日」との銘のある刀に問題がなければ「正近=正親」と云うことになりそうだ。この店は大沢都志夫の「しのぎ本店」の支店で、本店が店主の死去により閉業した今も営業を続けている。(以下続稿)

*1:1227~1291頁「昭和五四年八月/増 補 篇 一一四七工」1274頁に「正近」2名「正親」1名追加。

*2:12月12日追記】村上氏の書名を『武蔵下原鍛冶』と誤っていたのを訂正。