瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

大和田刑場跡(28)

 昨日、濤江介正近の年齢、それから正親同人説の参考になろうかと刀剣販売店がネット販売している「正近」もしくは「正親」銘の刀を取り上げて見た。
 美術品には偽物が少なくないことは承知している。私が大学院の修士課程のときに学会発表し、博士課程のときに研究の一端を論文にした、江戸時代後期の画家は、高校日本史の教科書に載るくらい有名人だったので、偽物が大量に出回っていて、古書店や古美術商の目録にも結構な値段で堂々と掲載されていたりしたものだった。濤江介正近はそんな有名人ではないから、そんなに偽物もないだろうと思うのだが、新選組で人気のある近藤勇土方歳三沖田総司とも絡むのであれば、そこを狙った偽物が作られていないとも限らない。
 いや、そうすると「於京信濃國住人浮州鍛之」等と偽名を刻んだ理由がいよいよ分らない。そもそも村上孝介は、どうして「浮州=正近」と断定出来たのだろう。
 もちろん、11月24日付(25)に注意したように名和弓雄も、森満喜子の短刀が「信濃路」のものでないばかりか「京」で材料を整えて作ったものでもないと直感して「短刀の鉄や肌から‥‥武州下原刀ではないか」と疑って村上孝介に問い合わせたのだった。そうするとやはり、八王子近在の特徴を備えていた訳だから京に於いてだの信濃国の住人だのと刻んだ点が「偽物」であり、浮州は「幽霊刀工」と云うことになる。
 しかし、私にはそのような勘も関心もないので、集め得た資料を片端から列挙するしか能がない。
 他に刀剣販売店がネット販売で写真を掲出しているものとしては、「銀座 誠友堂」が「短刀 於高尾正近作」として「安政二年二月/森屋定尭佩之」裏「於高尾正近作」と読める刀を載せている。但し「二月」の「二」は読みづらい。これは高尾山薬王院に奉献した大太刀と同時期に、高尾で一百日斎戒沐浴していた間に拵えたと云うことになるのだろう。この酒井濤江介正近の探索を始めた11月11日付(13)に引いた村下要助『生きている八王子地方の歴史』に「高尾の〝住正近〟をいうものがいる」と云うのは、村下氏の云う薬王院の大太刀ではなく、こうした「於高尾」銘の刀の存在からであろう。
 いや、それにしても、村下氏が濤江介正近が「大和田河原の処刑場で処刑され」たと書いていたものだから延々「大和田刑場跡」の題で追跡して来たのだが、結局村下氏より他に大和田刑場での斬首を云う者がいない。
 なお『間違いだらけの時代劇』の「沖田総司君の需めに応じ」に関しては、東屋梢風のブログ「新選組の本を読む ~誠の栞~」の、2015/11/04「名和弓雄『間違いだらけの時代劇』」の他に、新選組刀剣の研究家権東品(1951生)との共著『新選組史再考と両雄刀剣談』のある新選組史研究家汐海珠里のブログ「新選組 徒然日記」の2019-06-07「改めまして、総ちゃんの刀? 12019-06-08「改めまして、総ちゃんの刀? 2」に、日野の郷土史家・新選組研究家谷春雄(1926.5~2004.3)からこの刀について権氏が聞いたことなどを交えての紹介がある*1
 それから、クラウドファンディング「READYFOR」の増山麗奈「~文化で人々の心をつなぎたい~ 日露共同で映画「歳三の刀」を!」の「活動報告」2020年05月20日「近藤勇の火縄銃に込められた新撰組の近代化への葛藤」に紹介されていた、古武道雑誌「月刊秘伝」編集顧問で、町田市で島津健康塾を運営している島津兼治(1938生)が所蔵する火縄銃を、自ら見に行って2020-07-12「鴨さんの火縄銃」に、銘文を(正しく読み直して)報告している*2。「前芹澤鴨用/任近藤勇氏望 酒井正近改造 於八王子/元治甲子正月」 とあると云うのだが、少々疑問なのは甲子革令の説に従って文久四年(1864)が改元されて元治元年になったのは二月二十日である。――本物だとしても後で入れたことになる。或いはこれを以て偽物作りがよく調べずに入れたのだ、と見做す人もあるかも知れない。
 もちろん、私では現物を見に行っても判断出来ないので、当然生ずるであろう疑問として一応指摘して置く次第である。
 さて、随分長くなったがこの辺で一旦切り上げることとしよう。今日は耳鼻科に行って、待合室でずっと近くにいた若い女性が診察室で「コロナかも知れぬがそれは内科で」と言われていた直後に診察室に呼ばれて鼻から管を咽喉に突っ込まれて「これは随分酷い」と言われた。しかし思えば高校時代はこれ以上に酷かった。休み時間ごとに血の混じった痰を切りに洗面台に直行していたのだから。しかし若かったからそれだけ酷くても何とでもなっていたのだ。家人にも伝染してしまったらしく、家人の症状は微熱と頭痛と咳である。私はとにかく痰で、鼻腔と咽喉と舌の根を繋いだ輪ゴムのように執拗い痰が、切れずに居座り続けて苦しい。痛い。そう云えば先週の火曜、職場で始終苦しそうな咳をしている若者が近くにいて、頼むから無理せずに休んでくれと思いながら、早々に切り上げて帰って来たのだったが、そのときにもらってしまったのかも知れない。と、これは家人に先刻指摘されて思い出した。どうも最近、物覚えが悪い*3。(以下続稿)

*1:12月1日追記】「交えて紹介されている」としていたのを改めた。

*2:12月13日追記】この火縄銃のことは12月13日付「森満喜子「濤江介正近」(5)」に改めて取り上げ、その際に島津氏と汐海氏の対談が「月刊秘伝」2020年9月号に掲載されていたことを知った。

*3:28日追記】今日出勤してケロッとしている当人を見掛けなどするうちに、先々週の木曜だったような気もしてきた。どうも、よく分からん。詳細な日記でも付けておれば分かるのだが、そんなものを付けても始末に困ると思って止めて久しい。試刷りの感熱紙の裏に日記を書いて、数十冊になったのだが、多分今更自分でも読み返すこともなさそうだ。実家の倉庫に積み上がっている。しかしもう符丁で付けていたことなぞは何の事やら分からなくなっていそうだ。それでも地下鉄サリン事件当日や日比谷線中目黒駅列車衝突事故の見聞を細かく書いたところは当ブログにスキャンして上げて置きたいと思っているのだけれども。あと九品仏のお面被りとか。