今回は飯盒池には触れませんけれども、前回の続きとして。
『現代民話考Ⅱ 軍隊』冒頭の「軍隊考」で、松谷みよ子の民話観の特徴が窺われる記述を、もう1箇所抜いて置きましょう。――佐々木喜善『聴耳草紙』に載る、源平の戦や大坂の陣にまつわる話*1を紹介して、単行本23頁1~6行め・文庫版27頁1~7行め、
軍隊や戦争が民話になるのですかという人たち、また、戦争を民話にしてはいけない|という人た/ちもいる。しかし、遠いはるかな昔、源平の戦の鍋の話や柿の木の話が、そ|して土喰婆の話が民話/とは何ぞや等と考えたこともない村人の間で語り、残されている。|人間とはそういうものだと思/う。ただ、源平の頃からの、ささやかな戦争の民話を大切|に語り継いできたのは人間の生をいとお/しむ愛があればこそ、出来たことだった。今、|私たちが十五年戦争を語り継ぐだけの愛があるかど/うか、そこが問われるところではあ|るまいか。
と訴えるのです。つまり、人間に生をいとおしむ愛があれば、今は民話かどうか疑問に思う人が少なからず存在する、十五年戦争(満洲事変+支那事変+太平洋戦争)の話も、将来必ず民話になるので、問われているのは私たちの意識なのだ、と云う訳です。
しかし、現実にはどうでしょうか。戦争は映画やドラマの主題以上の意味を持っているでしょうか。或いは今、コロナウィルスによる抑圧生活が1年続けばまた違った形で戦争めいたものを自分のこととして身に堪えて感じることが出来るかも知れません。後は、もう、3月26日付(6)の最後に追記した、NHKスペシャル『映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た』の映像をカラーにして、自分たちの肉体と見比べながら、白黒映像では感じづらかった現実感を拷問のように味わわされるくらいしか、方法がないように思うのです。――山端庸介(1917.8.6~1966.4.18)の昭和20年(1945)8月10日撮影の長崎の写真を、私は冷静に見ることが出来ますが、これに同行していた山田栄二(1912.6.4~1985.7.5)のスケッチのように色が付いていたら、まともに見られないでしょう。カラーに慣れた私たちには、第二次世界大戦の映像が、白黒であることでどこか現実味に欠ける、過去のことのように感じられてしまうように思うのです。そして今、映像の世界でカラーで死体を見ることは、ほぼありません*2。全てモザイクが懸かりますし、そもそも撮影されない。シリア内戦もそのために、やはり身に迫って来ない。たまにSNSに挙げてしまう個人がいますけれども。
文字の使用が限られていた時代に、口伝えによって過去の事実を伝えるしかなかった民衆と、私たちとでは、風化の進み具合がどうしても違って来ると思うのです。
ではどうするか、妙案はありません。その点で、松谷氏が、自分が聞きかじった僅かな話例を拡大解釈して恣意的な民話論を展開するのではなく、これだけの材料を実際に集めたところ、――実践を伴ってこのような形で纏め上げたことは、大いに評価するべきでしょう。とにかく纏まった形になっておれば、私たちに愛が不足していても今後、参照され、活用される機会は幾らでも得られます。もちろん、様々な留意点がありますが、そう云ったところを割り引いて、後は私たちが如何に活用するか、に懸かっている訳です。
ただ、私としては『現代民話考Ⅱ 軍隊』に載る話の大半は体験談として参照されるべきもので『聴耳草紙』に載るような民話にはならないと思います。それから、これは繰り返し述べて来たことですが、『現代民話考』全体の取り纏め方に大いに不満があります。すなわち、1人の人物の体験が、分類案に沿って分割されていることで、元の報告ではどの順番であったのか、話者・回答者の素姓についても、もう少々詳しいところが知りたいのです。回想の類いには記憶違いが付き物で、疑問点を究明するには、いつ頃の、どのような人物による報告なのか、そう云ったことが必要になって来るからです。年齢と学年の齟齬にしてもそうです。そのような情報が薄く、かつ、誤りも多い。ですから、もし報告の原文が残っているのであれば、そのまま出版することなど出来ないでしょうけど、せめて閲覧可能にしていただきたいのです。いえ、多数の報告をしている回答者に関しては、その原文を新編『現代民話 考 資料』として纏めてもらえると有難いのです。贅沢な望みでありますが、このままではちょっと使いにくいし、十分に背景を踏まえないまま恣意的に利用してしまうケースがこれからも後を絶たないことでしょう。
飯盒池に直接関わらない雑談が続いたところで一旦切り上げましょう。最後に、私が知っていたもう1つの類話について述べるべきですか、これは遠からず投稿するつもりの、続稿にて述べることとします。(以下続稿)
*1:【4月3日追記】前者は「一二六番 ワセトチの話」の「平家の高鍋(その二)」と「ならずの柿(その三)」、後者は「一二七番 土喰婆」。ちくま学芸文庫『聴耳草紙』(二〇一〇年五月十日 第一刷発行・定価1300円・552頁)では前者は399頁5行め~400頁のうち、(その二)399頁10行め~400頁1行め(その三)2~5行め。後者は401頁1~10行め。
*2:以前、明治・大正・昭和の戦前から昭和20年代くらいまでの事件・事故で、そういうものを撮した写真がネット上にも散見されましたが、現在、殆どヒットしなくなりました。図書館にあったそういう写真を配慮なしに載せていた本も、開架には見当たらなくなっています。当然の配慮ではありますが、つい20~30年前と現在とで、同じ事件を眺める際に、土台となる部分で大きな違いがあることに注意して置くべきでしょう。【追記】こういったことについては、2014年9月28日付「浅間山の昭和22年噴火(1)」に述べたことがあった。