瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山折哲雄セレクション『生きる作法』(1)

 3月15日付「紫式部『源氏物語』の現代語訳(1)」及び3月16日付「大河ドラマ「平清盛」(1)」の続き。
山折哲雄セレクション 生きる作法Ⅰ『無常の風に吹かれて』2007年4月25日 第1版第1刷発行・定価2,400円・小学館・428頁・四六判上製本

山折哲雄セレクション 生きる作法Ⅲ『日本人のゆく浄土』2007年9月17日 第1版第1刷発行・定価2,400円・小学館・428頁・四六判上製本 揃いだったらもう少し高く売れたかも知れない*1が、残念ながら『Ⅱ』を欠いていた。
 透かしで右上から左下への縞模様のあるクリーム色の紙を使った帯(5.5×46.0cm)には、文字は全て明朝体(仮名は縦長)で『Ⅰ』は赤で、『Ⅲ』は青で刷られている。
 背表紙側、縦組みで2行、『Ⅰ』は「日本人の   /こころの巡礼」『Ⅲ』は「死と再生の  /深遠なイメージ」とあり、最下部に横組みでやや小さく「小学館」。カバー背表紙では若干上にやや太い字で「小学館」とあるのがこの帯で隠されている。
 表紙側、『Ⅰ』は右側に縦組みで「あるがままの生、あるがままの死を、/素直に/受けいれてみたい。」とあり、左側、上を空けて「あなたは死の準備が/できていますか?/じっくりと生き方を考える/「山折哲雄セレクション」です/小学館    定価2520円[本体2400円]」4行めは大きくシリーズ名は太い。5行め、版元名は上に寄り、定価は少し離れる。[ ]は文字囲。『Ⅲ』は横組みのみで「人は死んだらどこへいくのか?」左寄せ、1行弱空けて以下3行は右寄せ、句読点はぶら下げで「浄らかな死にあこがれる/日本人固有の死生観、自然観、美意識、/宗教意識などについて考えます。」次いで左寄せでやや小さく「小学館    定価2520円[本体2400円]」高さは同じ。
 裏表紙側、やはり横組みでまづ『Ⅰ』は「生と死の響きあいが聞こえる」、『Ⅲ』は「どう生きて、どう死ぬか」として、左側中央に長方形(1.2×4.0cm)の内側をそれぞれの色で淡く網掛けをして、この囲みの中のみゴシック体「山折哲雄セレクション生きる作法【全3巻】」【 】は外側に縦線、内側は二等辺三角形2つの組み合わせ。その右側に横線(6.4cm)4本を罫線にして「|Ⅰ 無常の風に吹かれて|Ⅱ 生老病死の人生八十年|Ⅲ 日本人のゆく浄土|」左寄せ。
 折返しは裏表紙側の右上寄りに、カバー表紙のシリーズ名と標題を詰めて縮小して配置し、その下に横組みで『Ⅰ』は「387678」『Ⅲ』は「367680」とある。
 ついでに『Ⅱ』の書影も貼付して置こう。 なお、『Ⅰ』134~135頁の間、『Ⅲ』184~185頁の間に愛読者カードが挟まっていた。
 学者と云うより評論家として活躍しているだけあって、具体例として持ち出される文学作品、人物や逸話が豊富で、それこそコロナウィルスで隔離されて、微熱もあって何かの準備のための読書をする訳にも行かなくなって、しかしながら全く何もしないではいられない、と云ったような按配になったら、この本など丁度良い暇潰しになりそうだ。ただ今のところ、花粉症以上に具合が悪い訳ではないので、‥‥しかし昨日辺りから檜花粉が混ざって、いよいよ具合が悪くなって来たのだけれども、これも処分することにした。
 山折哲雄(1931.5.11生)がいつまで読まれるのか、分からないけれども今も元気で昨年も何冊も本を出しているくらいだから(そのうち、どのくらいが自身で、新たに執筆した文章なのか分からないが)、しばらくは図書館に行けば見られるだろう。従って、カバーや本体はメモして置かなくても良いだろう。カバー折返しは唐草模様が表紙折返しは下部、裏表紙折返しは上部に侵入している他は、白地で文字はない。分類票に隠れることが多いカバー背表紙最下部については既述。本体の表紙は見返しと同じ柄で、文字は丸背の背表紙に、カバー背表紙と同じ文字が黒一色で印刷されているのみ。

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アイシスガイアネット 編/日本オーガニックコスメ協会 監修『オーガニックコスメ厳選303』2009年4月26日 第1刷発行・定価1600円・双葉社・183頁・A5判並製本

 303種のオーガニックコスメを全成分とその使用目的とともに紹介している。しかしながら、11年前の値段である。資料的価値はあるかも知れないけれども。

*1:3月21日追記】それでも『光圀伝』よりも20円高く売れた。

左巻地蔵(1)

 私が小学生の頃、小学校の郷土研究クラブの顧問が、校内放送でこの地蔵にまつわる伝説を紹介していた。
 当時、兵庫県明石市高丘3丁目にあり、一度見に行ったことがある。
 道路に面したコンクリート壁に穿たれた横穴に安置されていたように記憶するのだが、久し振りに思い立って地図検索して見るに、 高丘3丁目ではヒットせず、1kmほど南南西の明石市大久保町大窪1213の光触寺の門前がヒットした。
 同じ名称の地蔵が近所に紛らわしく2つあるとも思われないから、私の知っている左巻き地蔵が、その後、光触寺*1に移されたのだろうと思うのだけれども、世間には於岩稲荷のように同じ(?)ものが向かい合わせに2つあったりもするのだから、念のため、さらに検索して見るに、「明石市大久保町の商店街 パレットおおくぼ」HP地域情報「大久保歴史探訪」第1回「光触寺(こうそくじ)2014.10.28*2に、

 又山門の右手に<左巻き地蔵>の祠がありエプロン(よだれかけ)の下に左巻きの型が付いて珍しいのでそう呼ばれているそうです。確かではありませんが僕の記憶では昔左巻き地蔵は高丘の沈丁花公園の場所にあり地蔵盆などで見たような気がする幼少時の思い出がありますがあてにはなりません。

とある。署名はなく「僕」が誰だか分からない*3
 そこで今度は「高丘の沈丁花公園」で検索して見るに、明石市高丘3丁目18番の「高丘ジンチョウゲ公園」がヒットした。ストリートビュー(2015年3月撮影)で現地を確認(!)するに、この公園の南側は石垣になっているが、その東端近く、2~3mほど方形に後退させて、コンクリート製の祠を建ててある。壁に開けた横穴に安置されているように思っていたのは記憶違いだが、別にはっきりした記憶があった訳でもない。しかし、観音開きの扉が灰白色の鉄格子であるのは何となく見たことがあるような。しかしながら現状、何の供物もなく、正面から撮影されていないので鉄格子の中が見通せないのだけれども、どうも、何もないように見えるのである。
 とにかく、当時の場所はここで間違いないようだ*4
 「パレットおおくぼ」HPの地域情報「大久保豆知識」もやはり記事が少なく「大久保昔ばなしは怪獣ファンタジックワールド!vol.1」2014.10.28 第1回目「 喰ケ池と左巻き地蔵 」と、「大久保昔ばなしは怪獣ファンタジックワールド!vol.2」2015.09.19 「 青池の龍 」の2つだけである。――尤も、あまり頻繁に更新されても読むのが大変だけれども。
 この「喰ケ池と左巻き地蔵」には(参考:あかし昔ばなし)とある。兵庫県立図書館HPで資料検索するに、
神戸新聞明石総局 編『あかし昔ばなし』昭和53年・明石文庫の会・156頁
神戸新聞明石総局 編『あかし昔ばなし』昭和58年8月・明石文庫の会・156頁
の2点がヒットする。私の明石市在住はこの2点が刊行された間に、丁度収まる。Amazon楽天では取り扱っていない。画像検索してヒットする、障子に身振りを交えて語る大人と、興じて笑う小児2人(姉と弟であろう)のシルエットの装画は見たことがあるようである。しかし内容は覚えていない。左巻き地蔵の話も、私の聞いた話はこんなドラマチックな内容ではなくて、――あるとき通り掛かった旅人が見たら、蛇が左巻きに巻いていたので左巻き地蔵と云うようになった、と、それだけの話で、何故、蛇が地蔵に巻き付いていたのだが、どうも偶然、通り掛かった旅人が目にした、と云った按配で、その辺りの説明は全くなかったように思う。
 だから、地蔵に左巻きの痕跡があるのを確かめようとした覚えがない。いや、鉄格子の中だし、涎掛けがあったかどうか、それも覚えていないが、掛かっていたとしたらよく見えなかっただろう。
 さて、私が来た当時は、この辺りは宅地造成されていたけれども、何故か分譲されておらず空地だった。これは、2015年3月撮影のストリートビューで見る近隣の家が新しく見えるのと合致する。(以下続稿)

*1:一般社団法人 明石観光協会」HP「観る」の「光触寺」項には特に記述はない。なお「アクセス方法」が「JR「明石駅」より北東へ徒歩15分」と説明されているが、「明石駅」ではなく「大久保駅」から、である。

*2:今のところ「大久保歴史探訪」には2014年10月28日付の「第1回」しか投稿されていない。

*3:名前や出身校、業種はともかく、年齢だけは知って置きたい。

*4:ネット上で辿るに、seiyo39 のブログ「散策とグルメの記録」の2009年09月13日「光触寺 太閤秀吉三木城攻めの明石での本陣」に、既に光触寺の門前に移って久しいらしい、小さな堂舎の写真が掲載されている。