瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

北杜夫『マンボウ響躁曲』(1)

北杜夫マンボウ響躁曲 地中海・南太平洋の旅
 本書に関しては、10月30日付「赤いマント(292)」に単行本の第二刷を借りたこと、10月31日付「赤いマント(293)」に『南太平洋ひるね旅』の「H嬢」が畑中幸子の実名で回想されていることに注意して置きました。
 その後、単行本の第一刷と文庫版を見ることが出来ましたので、ここにメモして置きます。
・単行本文藝春秋・245頁・四六判上製本
・昭和五十二年十一月一日 第一刷・780円
・昭和五十三年 一 月十日 第二刷・780円
 カバーは一致。私の見た第一刷はカバー折返しが半ば切除されていますが、第二刷は保存されており、カバー表紙折返しは右側(0.7cm)は表紙の地色が割り込み、残り(19.4×5.7cm)は紫色地、カバー裏表紙折返しは左側(1.2cm)は表紙の地色が割り込み、残り(19.4×5.6cm)は紫色地、それぞれ紫色地の中央に白で一房の葡萄とその周囲に葉と枝を描いており、左右対称になっています。
 この葡萄のカットは、カバー背表紙の中央やや下に紫で縮小されて入っています。カバー背表紙の上半分は紺色で標題、下部にゴシック体水色で「北 杜夫」とありますがこれは褪色しております。最下部に黒の明朝体の横並びで版元名。
 カバーは折返しを除いて、黄緑色と緑がかった黄色で、ローマ帝国時代の水道橋の写真が刷られています。
 カバー表紙には紫色のロココ調の、上下2つの枠のある装飾があり、横組みで上部の狭い枠にゴシック体水色で「北 杜夫」その下やや左寄りに紺色の明朝体で副題。中央やや下の大きな枠には、カバー背表紙と同じ紺色のタイポス(大きさも同じ)で標題が、4字と3字の2行の中央揃えで入っている。
 カバー裏表紙、右下隅に横組みで「文藝春秋¥7800026-334330-7384」とある。
 本体の異同は奥付の、第一刷発行日の左の空白だったところに第二刷発行日が追加されていることのみ。
 見返し(遊紙)は青、扉はクリーム色の獣皮用のエンボス加工をした薄い紙で、上部中央に黄緑色のゴシック体縦組みで「北 杜夫」と著者名、中央に紫色のロココ風の飾り枠(カバー表紙のものとは別)があって、中に横組みで、大きく黄緑色のタイポスで4字と3字の2行で標題、その下に紫色の明朝体で副題。下部中央に黄緑色の明朝体縦組みで版元名。
 1頁(頁付なし)は「《目次》」、3頁(頁付なし)扉は中央やや上にゴシック体で標題、その左側やや下に明朝体で「地中海・南太平洋の旅」の副題。
 5頁(頁付なし)は「マンボウ響躁曲」の扉。7頁から本文。7頁は初めの9行分を空白にしている。1頁19行、1行43字。193頁(4行め)まで。
 195頁(頁付なし)は「マンボウ南太平洋をゆく」の扉。197頁はやはり9行分空白にしてから本文。245頁(16行め)まで。
 245頁の裏、中央に3行、まづ明朝体で「《初出誌》」とあって、2行め「マンボウ響躁曲」11字分の縦線があって「『文藝春秋』」すぐ下に割書「(昭和52年1~6月号連載「マン/ボウ出鱈目泰西 旅 日 記」改題)」、3行め「マンボウ南太平洋をゆく」7字分の縦線があって「『文藝春秋デラックス』(昭和51年8月号)」。
 次いで奥付、その裏に「北 杜 夫 の 本」の目録、『怪盗ジバコ』620円と『快妻オバサマ vs. 躁児マンボウ(母・斎藤輝子との対談)Ⅰ・Ⅱ』各690円、それぞれ4行の紹介文。(以下続稿)

北杜夫『南太平洋ひるね旅』(1)

新潮文庫2118(1)*1
・昭和四十八年 四 月二十五日 印  刷・昭和四十八年 四 月 三十 日 発  行(233頁)¥ 140
・昭和四十八年 四 月 三 十 日 発  行・昭和 六 十 年十一月二十五日 二十一刷(235頁)定価320円
・昭和四十八年 四 月 三 十 日 発  行・昭和六十一年十一月 三 十 日 二十二刷(235頁)定価311円
 書影は10月26日付「赤いマント(288)」に貼付して置きました。
 内容は、近所の図書館で二十二刷を借りて確認していたのだけれども、より早い時期の刷――「後記」に(一九七六年附記)が追加されていないものを見たいと思って、今月、また都内の図書館へ自転車を漕いで出掛けた折に、予約してその区立図書館の蔵書を借りて見ました。その図書館のOPACでは「出版年月  1978」となっていたのですが、図書館OPACの刊年の情報は、結構当てにならないのです。いえ、初版の年が入力されていて所蔵されているのが後年の刷であることは、ごく普通のことです。同じ区立・市立の複数の図書館に、刷の違う同じ本が所蔵されている場合、一々それぞれ館ごとの本の発行年を入れたりしませんから。しかし、たまに初刊の年、本書の場合は「1973」が入っていないことがあるのです。そうすると、実際に所蔵している本の発行年が入れてあるのかと、一応は思って見る訳です。そこでわざわざ出掛けて手にして見ると、初刷だったり全く別の年の刷が所蔵されていたりするのです。何故初刊年でも所蔵されている本の発行年でもない年が入力されているのか、良く分かりませんけれども、とにかく行って、実物を見てみないことには実際に所蔵されているのが初刷なのか、後刷なのか、全く分からないのです。
 さて、先日私が出掛けた都内の図書館は、事前にネットでOPACを検索してみるに、初刊から5年後の年が入力されていた訳です。区内に1冊しか所蔵されていませんので、所蔵している本の刊年が入力してあるのかなと思って、それでも二十二刷より前の刷と云うことになりますから、念のため確認のため、予約して置いたのです。
 ところが、出て来た本を見るに、何と初刷だったのです。そうすると入力してあったデータ「1978」が何処から出て来たのかが愈々謎ですが、その後ネットでOPACを検索して見た別の市立図書館も1冊のみの所蔵で「出版年月:1978年」となっています。そこで今日、借りに行って見たところが、消費税導入前のカバーで、奥付を見るに「二十一刷」なのです。‥‥ここまで来て初めて、どうやら図書館が使い回している本書のデータに誤りがあって、昭和48年(1973)の西暦換算を誤って「1978」としてしまったのではないか、との見当が付いたのでした。
 それから、意外なことに、この初刷は二十二刷(及び後に見た二十一刷)とは頁数が違うのです。
 先月から借りている近所の図書館のOPACデータは「出版年 1986/形態事項 235P 16」となっていて、きちんと所蔵している二十二刷の発行年と頁数を入れております。ところが先日出掛けた都内の図書館のOPACは「出版年月 1978/ページ数・枚数 235p/大きさ・形態 16cm」となっていて、所蔵している初刷とOPACデータで、刊年と頁数が違っているのです。
 今日出掛けた隣の市の図書館のOPACデータ(所蔵しているのは二十一刷)では「出版年月 1978/税抜価格 ¥240/ページ数 235p/大きさ 16cm」となっていて、価格が初刷と二十一刷・二十二刷の中間になっています。――そうすると、発行年を「1978」とするデータは、昭和53年(1978)の実際に定価240円だった本に基づいているようにも思われるのです(都内と近所の図書館のOPACは価格を掲載していません)。いよいよ奇怪で、こうなると「¥240」となっている本を実見すべく、別の図書館の本にも当たって見たくなるのです。
 私が都内各区の図書館から同じ文庫本(の刷違い)を何冊も借りて回ったのは、この、書棚で手にするまで、或いは書庫から出してもらうまで、何年の刷なのか分からない、と云う愉しみがあったからで、そして借りて帰って並べて見て気付いたカバーや本体の異同が、いつ、どのような理由で生じたのか、もう少し確かめて見たくなって来るのです。それに、昭和の頃の刷は(他に所蔵がなければ貴重と言えなくもないのですが、そういう配慮がなされないまま)次第に廃棄されて姿を消して行っておりますから、うかうかしているうちに調べる手懸りを失ってしまうかも知れません。そこで私は、都内勤務の頃、当ブログの「改版」或いは「改装」のカテゴリーの記事をせっせと上げていたのでした。
 普通、書物ブログですと自らの蔵書について述べるので、蔵書家の tweet もそうですが、そこから蔵書家同士の交流も生まれるのでしょう。しかし、私は物を持っておりませんので、当ブログの記事に書いた以上のメモは(続稿のために準備して投稿しないままになっているものも多々ありますが)ありません。後から問合せられても答えられません。所蔵している図書館も、私が借りに行ったときに棚にないなんてことになったら(或いは私が借りている間に予約が入って延長出来なくなっても)困りますので、 明示しておりません。
 いえ、図書館蔵書はブックコートフィルムでカバーが外せなくなっていますし、そのカバーも、バーコードや分類票で見えなくなっているところがあったり、カバー折返しが切除されていたり、そもそもカバーが保存されていなかったり(函がないのは仕方がないですが)、飽くまで参考資料程度のメモにしかなりません。しかしながら、森鴎外夏目漱石芥川龍之介太宰治の文庫本について諸刷を列挙して見せたように、都内の公立図書館巡りをすれば同じ本を何十冊も見得ると云うのが、私にとっては非常に魅力的で、歩くのも好きでしたから、事前に所在を調べずに、仕事帰りに図書館に立ち寄って棚を一巡して、これは見たことのないカバーだとか、異版だとかに気が付くのが、ささやかな愉しみであった訳です。
 ふと、久し振りに同じ本を3冊並べて見て、OPACでは分からない事実に気付いて、こんな感慨に耽ったものでした。――近年の鼻の症状の悪化は(甚だしく悪化したのでないので、Stay home 期間まで対処しないままになってしまいましたが)都下の勤務になったせいかと、すなわち、花粉症なのに杉の山に近い場所に勤務することになってしまったことで悪化させたのかと思って、昨年来、勤務時間を減らし、杉山から遠く図書館の多い都内への転職を考えておったのですが、9月に手術を受けて(勤務時間を減らしていたおかげで、余り気兼ねせずに休むことが出来ました)鼻は詰まらなくなりましたし、こんな時世になって見ると(今度はこの通った鼻で初めて体験する花粉症がどうなるか気になるところですが)都下の勤務のままで良いのではないか、と思うようになっております。(以下続稿)

*1:11月27日追記】何故か頁数が(223頁)もしくは(225頁)と誤っていたので訂正した。