瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

祖母の蔵書(187)吉屋信子②

 昭和20年代吉屋信子の本は、何処かに持ち込むつもりで早い時期に持ち出していた。
 それは、もう手にすることもあるまいから、もう少々研究(?)してから古書店に持ち込もうと思っている。
 2023年7月26日付(116)に取り上げた『吉屋信子全集』は、ゴキブリか何かに背表紙を囓られた本も混ざっていたが若い古本屋に全部引き取ってもらった。
 ここには、若干新しいもので、近隣の市の図書館にある本と比較出来たものを纏めて置こう。
・『私の見た人』昭和三十八年九月三十日 第 一 刷・昭和四十七年十月 十 日 新装第一刷・定価 五〇〇円・朝日新聞社・286頁・並製本(高さは四六判、幅はB6判)
 Amazon では初版と朝日文庫大人の本棚みすず書房)の書影は示すことが出来るのだが、新装版の書影のみ示せない。
 カバーは表紙折返しから裏表紙側折返しまで、フリーハンドで描いたらしい横線、紫色と橙色を交互に9本ずつ合計18本。カバー表紙最上部中央に縦長の明朝田横組みで標題、その下に著者名「吉屋信子」を添える。その下に灰色で花のイラスト。カバー背表紙、上半分に縦長明朝体の標題と著者名、最下部、17本めの紫色の線と18本めの橙色の線の間に明朝体横組みで版元名、カバー裏表紙もやはりこの2本の線の間、左寄りに「500円 0095-254051-0042明朝体と細いゴシック体。折返しには文字なし。
 本体表紙、中央に茶色でカバー表紙と同じ、花のイラストがカバーより若干下に入っている。本体背表紙、茶色で標題・著者名・版元名。本体裏表紙、そして折返しがあるのだけれども、文字はない。
 この記事を準備し始めた2023年7月28日の時点では、国立国会図書館デジタルコレクションでほぼ同版の初版が「送信サービスで閲覧可能」になっていたが、今は「国立国会図書館限定公開」になっている。しかし隣の市の図書館で借りられるので手放しても良かろう。
・『随筆・私の見た美人たち』昭和四十四年十一月十日第一刷・定価 五五〇円・読売新聞社・270頁・B6判上製本

※ 帯あり、書影に同じ。
 標題は奥付に拠る。ルビ「ずいひつ・わたくし・み ・び じん」あり。5頁(頁付なし)中扉にも同じ標題(ルビなし)。カバー表紙・背表紙・本体背表紙・扉には楷書体で「随筆 私の見た美人たち」とあり、1頁(頁付なし)目次の扉には「私の見た美人たち・目 次」とある。
 カバーは和紙風、カバー表紙の帯に隠れているところに文字はない。カバー背表紙は表紙と同じ標題と著者名をやや縮小して「随筆 私の見た美人たち 吉屋信子」と配し、少し離して下部に「読売新聞社」とやや小さく細い楷書体で入れる。他に文字はカバー裏表紙の最下部右寄りに「550円」とある。鶴亀の紅型風の柄がカバー表紙では8割ほど占めるが、右に進むに連れて上から白地が増し、カバー背表紙では柄は 3/4 程、カバー裏表紙は上半分が白地である。カバー折返しは少し柄が入り込んでいるが白地。カバー及び帯の上からビニルカバー掛かる。
 本体の表紙は白の牛皮風の角背、文字は背表紙にカバー背表紙と同じ文字黒で、を少し窪ませて更に縮小して、標題と著者名の間を空けて入れている。
 帯は書影に同じ朱色地に白抜き。表紙側は以下の紹介文。

長い作家生活を通じて、今も鮮やかに著者|の心に残る女性たち、近代史を彩どりジャ|ーナリズムをにぎわした日本の美女たちの|姿を、犀利な眼で浮き彫りにした珠玉の随|筆集。       読売新聞社刊/定価 550円


 帯の背表紙側「読 売 新 聞 社 刊」ゴシック体。
 裏表紙側、子持ち線の間に「主なる内容」やや小さくゴシック体、続いて明朝体で、

梨本伊都子、中上川あき、尼寺巡礼、藤蔭静樹、花柳寿|美、古河不二子、岡田静(万竜)、入江たか子、栗島すみ|子、山田順子、北村兼子、沢田はぎ女、平塚らいてう |銀の煙管とダンス、沈丁花とちらし鮨、沈丁花匂う頃、|ノーベル文学賞作家の家、わが日記物語、郷愁、たべも|のの話 など

と6行、「煙」は旁の上部「西」になる字体、最後の「など」は「主なる内容」と同じ大きさ。
 今、隣の市の図書館から第二刷を借りている。序でに比較して置こう。帯やビニルカバーは保存されていないが、カバーや見返し・扉など装幀は変わりないようだ。異同は奥付の発行日、第一刷は1行に字間を詰めて入っていたのが第二刷はやや小さく2行「昭和四十四年十一月 十 日 第一刷/昭和四十五年 一 月二十五日 第二刷」となっていることのみ。
・吉屋千代 編『吉屋信子句集』昭和四十九年三月三十日 第一刷発行・昭和四十九年七月 十 日 第二刷発行・定価一五〇〇円・東京美術218頁・B6判上製本函入
 隣の市の図書館から第一刷を借りて比較することが出来た。丸背の布表紙等、装幀は変わりないようだ。ここではまづ、図書館蔵書が保存していない函についてメモして置こう。天地と背表紙側は焦茶色地で、背表紙側に本体の背表紙の上部に銀で入っている標題と、下部に横並びで小さく入っている版元名が、白抜き(クリーム色に見えるが焼けか)で入っている。本体の表紙の文字はこれだけであるが、函には表紙側、上部中央に同じ標題が黒で、裏表紙側の最下部右寄りに黒で小さく「¥1,500/0092−0131−5167」とある。
 奥付の上部には横組みで、左上に「著者略歴」とあってその右下から明朝体で7行、うち4行めまでは一致、5~7行めは第一刷では、

俳句は,宗有爲子で(鶴)に投句,/のち虚子について勉強した。
1972.7.11 没,77歳

となっていたが第二刷では「宗有爲子」が「宗有為子」に、歿年が「1972」ではなく「1973」に訂正されている。
 奥付下部の縦組み部分では、標題に続いて極小さく発行日が2行、第一刷では「昭和四十九年三月十五日 印刷/昭和四十九年三月三十日 発行」で、続くゴシック体下寄せ「定価 一五〇〇円」と1字分空いていた。
 祖母の蔵書には「料金受/取人払」で「[神田局承認/624]差出有効期間/昭和50年4月/10日まで  」の「〈吉屋信子句集〉」専用の「読者カード」が挟まっていた。
 更に何冊か追加して古書店に持って行こうと思っているのだが、ここに追加するか、別に記事にするかは追々考えよう。(以下続稿)

飯盒池(10)

 飯盒池の話にはなりませんが2020年3月29日付(09)の雑談の続きになるので一応その通し番号で続けます。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 飯盒池については、2020年3月21日付(01)から9日続けて確認してみました。
 そのとき見付かった課題、平野威馬雄『日本怪奇物語』の記述の確認などが、そのままになっておるのですが、まだ『日本怪奇物語』は見ておりません。しかしながらそれ以外の材料が幾つか溜まって来ましたので、今回はそれを片付けて置こうと思っております。
 さて、当時はコロナが流行し始めた頃で、まだワクチンもありませんでしたから、今その辺りのことを書いている箇所を読み返すと嘘のようです。しかし、東京オリンピック強行に味を占めて大阪国際博覧会も強行するようです。そんな、そっち寄りの政策を取る維新に票を入れる人が少なくなく、そして最大野党がそんな維新と共闘したがっているようでは、全く歎息するよりありません。能登半島地震も合せて、本当に悪い教訓になりました。
 それはともかく、2020年3月29日付(09)に一旦切り上げるに当たって、松谷みよ子『現代民話考』について、出来れば原資料そのままの形で新編『現代民話(考)資料』として出して欲しいとの注文を出したのですが、続けて色々と検索して見るうち、どうやらその実現は難しいようだと気付かされたのでした。
 『現代民話考』の前置き部分を読むと「松谷みよ子民話研究室」のスタッフの名前が度々登場します。その同じ名前が本文の方にも度々登場して、最終的な決定は松谷氏がしていたのでしょうけれども、資料の整理・分類・要約と云った作業は民話研究室のスタッフが担当していたと察せられます。
 ところが、この松谷みよ子民話研究室、2013年5月に松谷みよ子事務所(法人・有限会社)となっていたのですが、今はスタッフはいなくなって、著作権管理を専らにしているらしいのです。
 その末期の様子は「松谷みよ子公式ホームページ」により察することが出来るのですが、日付が分かりにくいので何時なのか俄に分からない記事が少なからずあって困ります。そこは諸氏の Twitter の投稿も参照しつつ組み立ててみましょう。――松谷氏は1972年に東京都練馬区東大泉6丁目26番6号の自宅の庭に私設図書館「本と人形の家」を開設していたのですが、ボランティアスタッフの引退のため2012年12月8日から一時休館しておりました。その再開が予告されていた矢先の2015年2月28日に松谷氏は老衰で死去、「本と人形の家」は4月18日に再開したのですが、その後ニュースにもならずに閉館となってしまいました。公式ホームページの2015年8月10日付「◎黒姫高原に行って参りました」は「先日、代表を含めスタッフ数名にて、挨拶をかねて黒姫童話館へ行って参りました。」に始まる近況報告で、黒姫童話館の前で6人(男性1名、女性5名)で撮った写真も掲載されています。これがスタッフの存在が窺える最後の記事で、8月15日付と9月11日付で松谷氏の長女瀬川たくみが「◎戦後70年の終戦の日に思う事」及び「◎自然の恐ろしさ」を投稿してからしばらく更新が途絶えてしまいます。
 その後「著作権管理について」なる文章が投稿され、ここに「松谷みよ子事務所は内部の私物化が発覚したため/対外的に一時閉鎖をする事態となりました/その為、法人から個人事業に1月より変更します」なる告知が為されているのですが、日付が分かりません。現在 Twitter(現 X)では2016年6月2日にこれに反応した Tweet が確認出来るばかりです。そうすると、夏に黒姫高原に出掛けてから、色々な問題が発覚し2016年(もしくは2017年)1月に個人事業に移行、事務所を瀬川氏の自宅(滋賀県大津市)に移した、と云うことになりそうです。大泉の家と「本と人形の家」については、当初「母の自宅はできれば、記念館のような形にして、文庫も開放したいのですが、しばらくお時間を戴きます。」との希望を表明しておりました。私は当時ここまでを確認して、先行に不安を抱きつつ、たまに検索してどうなったか続報を待っていたのですが、結局実現せず松谷氏の自宅の土地は売却され、建物は2021年2月に取り壊されてしまいました*1。その際に、まだ本がそのままになっていたらしいのですが、これは(義理の祖母の蔵書を処分しつつある私からしても)仕方ないことで、――遺族が引き受けたとしても保管場所に困るし結局はただ保管するだけになってしまう*2。何処か公開も出来るような場所に引き受けてもらうよりない訳です。私設にせよ図書館蔵書であった本ですから市場で喜ばれるとは思えません。勿体ないとは思いますが、大泉でなくとも松谷氏の「記念館」或いは「文庫」の構想が実現しない限り、蔵書は処分せざるを得なくなっていたのでした。


 しかしながら取り壊し直前、蔵書が遺族の所有でなくなった時点で「地権者のご理解の下、急きょ有志が貴重な本をレスキュー」と云うことになっております。選んでいる余裕もないでしょうから「貴重な本」だけ運び出したのではなく残ったままになっていた本をごっそり纏めて持ち出したのでしょう。しかし、持ち出した本、公立図書館が今更引き受けるとも思えませんから、それこそ私設図書館でも開設して公開にでもしない限り、ただ保管するだけになってしまうでしょう。どうするつもり、いや、今どうなっているのでしょうか。
 ここまで、松谷みよ子民話研究室改め松谷みよ子事務所、及び「本と人形の家」の行末に少々拘泥ってみたのは、もう30年以上前になりますが、3~4度松谷氏に情報提供したことがあったからで、あれはどうなったのか、いえ、一応写しのある(はずの)私の資料なぞよりも、他の、厖大にあったはずの「現代民話考」のための自筆報告の行方が気になるのです。いっそ馘首されたスタッフが持ち出していてくれたら、とさえ思います。あかんことでしょうが。いや、廃棄されていなければ良いのです。ただ、捨てずに置いてあるだけでは、余り意味はありませんが。(以下続稿)

*1:2月20日に建物を撮影した写真の tweet、その次は3月20日の更地になった写真の tweet になってしまうので、正確な時期は分からない。

*2:そして関心が薄れ忘れ去られた頃にこっそり処分する、等と云う展開もありそうです。