瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『三田村鳶魚日記』(18)

・皆川家との関係(4)
 昨日引いた『三田村鳶魚日記』昭和七年六月二十六日(日)条ですが、書き振りからしてこれが、5月4日付(15)に見た、大正11年(1922)8月13日に絶縁を申し渡して以来10年振りの、皆川豊治(1895.4.25~1948.5.11)との再会であったようです。
 さて、皆川氏がこのとき丁度満洲長春(新京)にいたことについては、4月17日付(06)以来度々言及している「国立公文書館/アジア歴史資料センター」のアジ歴グロッサリー「インターネット特別展「公文書に見る「外地」と「内地」―旧植民地・占領地をめぐる「人的還流―」の「植民地官僚経歴図/皆川豊治」を参照すれば明らかです。ここでは【参考資料】として挙がっている各種紳士録を見て置きましょう。紳士録には家族の記載もあるので、三田村氏の義妹である妻のみさを(操)や、後年、三田村氏の日記に頻繁に登場することになる子供たちの年齢も判明するはずです。
 まづ「人事興信所編『満洲国名士録 康徳元年版』1934年、180-181頁。」ですが、国立国会図書館デジタルコレクションで白黒(102コマめ)とカラー(104コマめ)で閲覧出来ます。
・第十版人事興信録別册附録『〈康 徳/元年版〉満洲國名士録』昭和九年十月二十八日發行・人事興信所・17+218
 一八〇頁下段16行め~一八一頁上段、

皆川豐治〈簡任二等、國務院總/務廳理事官、人事處/長兼恩賞處長   /山形縣在籍    〉
 妻  みさを 明二九、八生、福井/
        高松龍吉妹
 男  廣 居 大一五、九生
君は山形縣人皆川茂右衞門の四男にし/て明治二十八年四月二十五日を以て生【一八〇】る大正九年東京帝國大學法科大學獨法/科を卒業し同年南滿洲鐵道會社に入社/し東亞經濟調査局に勤務す同十年退社/翌年司法官試補となり同十二年檢事に/任ず爾後東京仙臺若松盛岡秋田仙臺各/地方裁判所勤務を命ぜられ昭和三年以/降特に思想檢察に力を盡せり大同元年/五月滿洲國建設に當り其招聘に應じ退/官滿洲國最高檢察廳檢察官となり後國/務院總務廳理事官に任じ當初秘書處長/を勤め次で人事處長に轉じ康徳元年三/月恩賞處新設に當り同處長を兼ぬ又官/衙建設計畫委員會臨時訂立條約準備各/幹事被仰付家族は尚長女千里、(大一二/九生)二女智子(昭四、三生)二男莞/爾(同六、一一生)兄建藏(明二五、/七生、現戸主)同妻みつ(同二七、一/〇生、山形、勝木堅定二女)及其子女/養兄忠藏(同一七、一〇生、山形、齋藤/彦右衞門三男)同妻しえの(同二六、一/一生、山形、渡邊彌助妹)及其一子弟/富之丞(同三五、九生)同妻とし(同四/五、一生、兵庫足立建樹長女)あり姪/公(大四、六生、兄建藏長女)は山形縣/人水口九郎右衞門に嫁せり(新京市羽/衣町四ノ二ノ二電三五五五


 これによって妻のみさを(1896.8生)との間に、長女千里(1923.9生)長男廣居(1926.9生)次女智子(1929.3生)次男莞爾(1931.11生)の4人の子供がいたことが分かります。次男が生後半年であったので、皆川氏は新京(長春)に単身赴任して臨時司法部官舎に起居していたのでしょう*14月17日付(06)に引いた江戸城のトイレ、将軍のおまる 小川恭一翁柳営談には「子どもを二人もうけました」とありましたが、小川氏は廣居・莞爾兄弟の2人にしか会っていないようです。
 さらに兄弟とその妻まで取り上げられています。皆川建蔵(1892.7生)は山形県議、鶴岡市議会議長で、曾孫が現・鶴岡市長皆川治(1974.10.3生)です。皆川富之丞(1902.9~1945.8.17)については後述します。
 さらに、長春で三田村氏の世話をしている栗山茂二(1898生)ですが、『満洲國名士録』には六八頁6~14行めに、

栗山茂二〈簡任二等、北滿特別/區高等法院推事  /石川縣在籍    〉
君は石川縣人にして明治三十一年を以/て生る大正十二年東京帝國大學法學部/獨法科を卒業し昭和二年朝鮮總督府判/事に任じ京城地方法院判事に補せらる/後京城覆審法院判事に轉じ大同元年滿/洲國建設と共に聘せられて司法部法務/司長となり同三年現職に轉じ今日に至/る(哈爾濱市北滿特別區高等法院内)

と簡単に紹介されています。『三田村鳶魚日記』では後述するように「栗山夫妻」とありますので妻がいたはずですが記載がありません。
 栗山氏も皆川豊治と同様に満洲国建国に伴って招聘された人物で、東京帝国大学法学部の、皆川氏と同じ独法科の後輩に当たることが注意されます。(以下続稿)

*1:5月10日追記5月9日付(20)に引いた『三田村鳶魚日記』昭和七年六月二十九日条に「皆川一同」とあるので一家で移っていたのでしょう。よってここは見せ消ちにします。