瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

杉村顯『信州の口碑と傳説』(07)

・「南信地方」(2)南安曇郡
 昨日の続き。
 214頁4行め~274頁8行め「南安曇郡」12題、但し10番め、254~269頁5行め「有明山」は6項に分かれており、合計で17話である。
 青木純二『山の傳説 日本アルプスとは15話が共通する。但し【1】と【9】は、同じ主題であるがかなり異なっている。すなわち【1】は御伽草子『物草太郎』を延々引用するところも共通するのだが、『山の傳説』は全て現代語訳しているのに対し、本書は登場人物の発言を原文のまま引いているのである。――私は当初、8月23日付(02)に引いた「自序」にあったように「図書館で諸書を渉猟し」た成果として、商業学校の国語漢文教師らしく、活字本であろうが『御伽草子』に当たり直し、雰囲気を出そうと努めたものかと思っていた。しかし(雰囲気を出そうとしたことに変わりはないが)これは実は、青木純二『山の傳説』の典拠になっている本に杉村氏も当たっており、その本が『物草太郎物語』を全文、原文のまま引用しているのである。しかし、詳細は省略するが、現代語になっている地の文については、やはり『山の傳説』を参照した痕跡が窺われるので、両者の関係は「≒」部分一致とした。【9】は橋の名からして異なるが、これはやはり『山の傳説』の典拠となった本に従ったので、『山の傳説』の「雜志橋」はその本に指摘されている恋愛に絡んだ説を発展させた、殆ど創作と云って良いものとなっている*1
 要領は前回に同じ、まづ本書の部立てと仮の番号、題と頁を示し、次いで典拠と思われる『山の傳説』の篇・仮の番号・題・頁を示した。
南安曇郡【1】物草太郎の話(214頁4行め~223頁)
  ≒北アルプス篇【60】若 宮 明 神(穗高岳)170頁4行め~175頁8行め
南安曇郡【2】白龍太郎の話(224~227頁)
  ←北アルプス篇【57】穗 高 神 社(穗高岳)162頁7行め~164頁
南安曇郡【3】お  玉  柳(228~231頁7行め)
  ←北アルプス篇【59】お  玉  柳(穗高岳)167頁10行め~170頁3行め
南安曇郡【4】滿願寺の小僧火(231頁8行め~233頁)
  ←北アルプス篇【61】滿願寺の小僧火(穗高岳)175頁9行め~177頁5行め
南安曇郡【5】燒 嶽 の 涙 池(234~237頁2行め)
  ←北アルプス篇【62】山 上 の 池(燒 岳)177頁6行め~178頁10行め
南安曇郡【6】長兵衛ヶ池(237頁3行め~239頁6行め)
  ←北アルプス篇【70】長 兵 衛 ヶ 池常念岳)190頁5行め~191頁
南安曇郡【8】ナメラ淵の大蛇(243頁4行め~251頁1行め)
  ←北アルプス篇【47】梓 川 の お 里(梓 川)134~140頁
南安曇郡【9】雜  食  橋(251頁2行め~253頁)
  ≠北アルプス篇【46】雜  志  橋(島 々)124頁8行め~133頁
南安曇郡【10】有明山/二 山の脊のび(255頁5行め~256頁1行め)
  ←北アルプス篇【40】脊  の  び有明山)114頁4~8行め
南安曇郡【10】有明山/三 タラの木樣(256頁2行め~257頁)
  ←北アルプス篇【39】タ ラ の 木 樣有明山)113頁~114頁3行め
南安曇郡【10】有明山/四 山鳥の征矢(258~263頁6行め)
  ←北アルプス篇【41】山 鳥 の 征 矢有明山)114頁9行め~118頁2行め
南安曇郡【10】有明山/五 魏磯城の巖窟(263頁7行め~267頁3行め)
  ←北アルプス篇【43】神  籠  石有明山)119頁9行め~121頁5行め
南安曇郡【10】有明山/六 馬羅尾谷の信の宮(267頁4行め~268頁)
  ←北アルプス篇【44】信  の  宮有明山)121頁6行め~123頁6行め
南安曇郡【11】參議秀綱と奥方の死(269頁6行め~271頁)
  ←北アルプス篇【48】秀 綱 の 死(徳本峠)141~143頁1行め
南安曇郡【12】槍ヶ嶽の播隆上人(272~274頁8行め)
  ←北アルプス篇【64】播 隆 上 人槍ヶ岳)180~182頁4行め
 解説を加えるとまた長くなるので今は割愛する。今後必要があれば幾つか取り上げて検討して見ようと思っている。
 他に8月18日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(105)」に指摘したように、南安曇郡の話が『信州百物語』に【21】【22】【30】の3話、採られている*2
 『山の傳説』に共通しないのは次の2話。
南安曇郡【7】義民中萱嘉助(239頁7行め~243頁3行め)
南安曇郡【10】有明山/一 瀧の澤の劔摺鉢(254頁5行め~255頁4行め)
 この2話についても、やはり『山の傳説』の典拠となった本に材を得ていることは確実である。(以下続稿)

*1:この『山の傳説』と本書の、共通の典拠とも云うべき本については、目下覆刻版を借りて来て検討を進めているが、まだ途上なので書名は明かさずに置く。8月23日付(02)に引いた乙部泉三郎「序」に、信州の伝説を纏めた、適当な本がないかのような文言があったがそんなことはないので、信州の伝説を良く調べたことのある人なら見当が付くであろう。その結果を報告する際に「ざふしばし」の伝説の詳細にも及ぶつもりである。

*2:【30】の「槍ヶ岳温泉」もしくは「二子岩」も、現在の地図では探せない。『山の傳説』では「明治九年旧九月」の「二十三日(1876年11月8日)の夜」に「湯治場」建設のため山に入っていた「山麓の村民二十一名」が大雪渓の大雪崩の犠牲になった、とあり、『信州百物語』では「明治九年の九月」で旧暦となっていない。実際、どこの村の人間なのか(南安曇郡の村ではなく、北安曇郡、或いは飛驒の村民なのかも)分からないのだが仮に南安曇郡として置く。