・『信州百物語』の典拠(1)日本傳説叢書『信濃の卷』
昨日まで眺めて来たように、杉村顕『信州百物語』及びその姉妹篇『信州の口碑と傳説』には、青木純二『山の傳説 日本アルプス篇』から、特に日本アルプスに関連する地域について、相当数の話を採っていることが明らかである。しかし中には、8月28日付「杉村顯『信州の口碑と傳説』(07)」に指摘した南安曇郡の「物草太郎の話」ように、『山の傳説』の「若宮明神(穗高岳)」に似ているが、引用される御伽草子『物草太郎物語』を、青木氏は全て現代語訳しているのに対し、杉村氏は会話部分を原文に戻していると云う異同があった。
これについては、当初、杉村氏が『山の傳説』に拠りながら御伽草子を参照して一部、原文に戻す作業をしたのだろう、と考えたのだが、杉村氏の『信州の口碑と傳説』『信州百物語』が先行書の引き写しから成っているのと同様、青木氏の『山の傳説』にしても(言い方は悪いが)そんな真面目な(?)作り方はしていないはずである。
と、ここで青木氏の素姓についての報告を未だしていなかったことに気付いた。従来明らかにされている経歴に若干の追加をする用意が出来ているが、しばらく典拠の問題に取り組んだ後で触れるつもりである。
それはともかく、青木氏の『山の傳説』にも、やはり手軽な粉本があるはずで、杉村氏は『山の傳説』に拠りながら、時にはその同じ典拠をも参照しながら『信州の口碑と傳説』を纏めたのである。
この、両者に共通する典拠が、既に8月24日付「杉村顯『信州の口碑と傳説』(3)」に書名を挙げた、藤澤衞彦編著『日本傳説叢書/信濃の卷』なのである。
【原 本】大正六年七月二十一日印刷・大正六年七月二十三日發行・日本傳説叢書刊行會・口絵+7+7+22+480頁
【復刻版】初版1977年12月10日刊・すばる書房・定価6500円・A5判上製本
原本は国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧出来る。
私が参照した復刻版は、アート紙の扉と口絵2葉、藤澤衞彦「序・山嶽傳説に多幸なる信濃國*1」7頁、編著者「緒 言」7頁、「目 次」22頁と続くが、「緒言」七頁1行めに「本卷には、二百五十一篇の傳説/を蒐めてあるけれども*2」とあるが「目次」には(二五二)まである。
差当り、話数の少ない『信州百物語』の依拠している話を、8月18日付(105)と同じ要領で挙げて置こう。『日本傳説叢書』の各話は、目次に通し番号、分類と『日本傳説叢書』での分類ごとの番号(算用数字)、題、当時の地名が字まで(或いは副題)、頁が示されている。本文では通し番号がなく、題に括弧で市町村(町村の字の多くは省略)を添える。ここでは本文の題と地名に拠り、目次の通し番号を添えた(原本は半角漢数字だが再現出来ないので全角とした)。さらに本文の頁・行を示した*3が、これに加えて『日本傳説叢書』が括弧に入れて明示している典拠も添えて置いた。
【1】女夫石の話(284~290頁7行め)
←(四五)女夫石(上高井郡高甫村)119頁4行め~128頁4行め(口碑)
【2】諧謔全享の話(290頁7行め~292頁8行め)
←(一〇〇)諧謔全享(北安曇郡舊駒澤村)255頁9行め~257頁8行め(「信濃奇勝録」)
【3】水沢山の天狗の話(292頁9行め~294頁6行め)
←(一一二)水澤(東筑摩郡波多村字水澤)269頁10行め~272頁4行め(「信濃奇勝録」)
【4】七久里の湯の話(294頁7行め~297頁3行め)
←(一五六)七久里の湯 ―別所温泉(小縣郡別所村)335頁8行め~339頁3行め(口碑)
←(一五七)結縁の神(小縣郡別所村)339頁4行め~340頁11行め(「信濃奇勝録」)
【5】鬚の玄三の話(297頁4行め~298頁6行め)
←(一六五)玄三のお鬚(南佐久郡野澤町)347頁8行め~348頁(口碑「信濃奇勝録」)
【6】蟇合戰の話(298頁7行め~299頁2行め
←(一九五)蟇合戰(北佐久郡諏訪の森)391頁9行め~392頁7行め(口碑「信の奇勝録」)
【7】小袿の美女の話(299頁3行め~301頁)
←(二四一)小袿美女(下伊那郡下川路村)446頁2行め~449頁1行め(「信濃奇勝録」)
【8】二つ山の話(302~303頁3行め)
←(二四二)二つ山(下伊那郡山本村)449頁2行め~450頁2行め(「夫木集」)(口碑)
【9】一つ目鬼の話(303頁4~11行め)
←(四三)一つ目鬼(上高井郡須坂町)115頁8行め~116頁8行め(「信濃奇勝録」)
【10】神戸の銀杏の話(304~305頁10行め)
←(五〇)神戸の銀杏(下高井郡舊神戸村)135頁5行め~138頁(「信濃奇勝録」)
【11】蛍合戰の話(305頁11行め~306頁10行め)
←(六〇)岩鼻(埴科郡南條村字鼠)155頁8行め~156頁(「宮川氏記」「信濃奇勝録」)
←(六一)岩鼻の螢合戰(埴科郡南條村字鼠)155頁8行め~156頁(「信濃奇勝録」)
【12】雨宮の猊踊の話(306頁11行め~309頁1行め)
←(六七)雨宮の猊踊(埴科郡雨宮縣村大字雨宮)166~170頁6行め*4
【13】色形灰の御像の話(309頁2行め~310頁)
←(七三)色形灰の御像(更科郡鹽崎村)188頁8行め~191頁(「正源妙儀抄」「繪詞傳」)
【14】投草履の話(311~312頁1行め)
←(一〇五)投草履(松本地方)263頁3行め~264頁8行め
【15】牛伏寺の話(312頁2行め~313頁10行め)
←(一一八)牛伏寺(東筑摩郡片丘村東内田)277~279頁7行め 「信濃奇勝録」
【16】猿猴屋敷の話(313頁11行め~315頁1行め)
←(一二九)兼好屋敷(西筑摩郡神坂村字湯舟澤)295頁11行め~297頁1行め
【17】香炉岩の話(315頁2行め~316頁4行め)
←(一八六)香爐岩(北佐久郡三井村大字香坂)374頁3行め~375頁5行め(「信濃奇勝録」)
【18】永寿王丸の話(316頁5行め~317頁)
←(一八七)永壽王丸(北佐久郡三井村大字安原)375頁6行め~376頁(「信濃奇勝録」)
←(二三七)萱垣御殿(下伊那郡鼎村字山村)443頁6~12行め(口碑)
続く【19】「蓮華温泉の怪話」から【30】「槍ケ岳温泉の話」までの12話については、8月18日付(105)に見たように青木純二『山の傳説 日本アルプス篇』に拠っていると思われる。但し『日本傳説叢書/信濃の卷』は青木氏の典拠でもあるので、一部共通する話もある。これらについては、改めて確認する必要があろう。それはともかく「蓮華温泉の怪話」以前の18話は、8話めまでと、18話めまでの2回、『日本傳説叢書/信濃の卷』を順に繰って抜いて行った話の書き替えなのである。
次回、残りを検討し『信州百物語』をどう評価すべきか、私見を述べたい。(以下続稿)