瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

杉村顯『信州の口碑と傳説』(6)

・「南信地方」(1)東筑摩郡西筑摩郡諏訪郡
 昨日取り上げた「北信地方」は、地理的に見ても青木純二『山の傳説 日本アルプスとは無関係であるはずなのだが、何故か『山の傳説』に含まれていた北信地方の2話(更級郡・小県郡)が、採録されているのである。
 その点、「南信地方」――安曇郡明治12年に南北に分割)筑摩郡(明治12年に東西に分割)伊那郡(明治12年に上下に分割)諏訪郡は、全て日本アルプスに接しているから、当然のことながら、両者共通する話が多い。
 そこで、「南信地方」は郡ごとに分割して確認することとする。特に分量の多い北安曇郡南安曇郡を単独で、それから上伊那郡下伊那郡を纏めて、そしてまづ、残りの東筑摩郡西筑摩郡諏訪郡を見て置くこととする。
 184頁と185頁の間に頁付のない扉「南信地方」がある。
 185~191頁3行め「東筑摩郡」4題。
東筑摩郡【4】入山邊溫泉の話(188頁8行め~191頁3行め)
  ←北アルプス篇【68】入山邊の湯(王ヶ鼻山)187頁3行め~188頁
 これも前回見た「北信地方」の2話と同じく、混入と云うべきである。ここも両者の書き出しを比較して置こう。
・『山の傳説』187頁4~6行め

 北アルプス信濃の連山、王ヶ鼻と鉢伏との山合ひに、さゝやかな存在を知られてゐる入山邊の/湯。――その溫泉にまつはる奇しくも哀しい物語。*1
 何時のことかは知らぬ。‥‥*2


 王ヶ鼻は現在では美ヶ原の名称で知られている。松本市の東方で北アルプスと云うよりむしろ、中央アルプスに連なっているが、もちろん中央アルプスの範囲外である。或いは「北アルプス(に対する)信濃の連山」と云った気分なのであろうか。
・『信州の口碑と傳説』188頁9行め~190頁3行め

 東筑摩郡の空に聳える北アルプス連峯、王ヶ鼻と鉢伏との山峡に、ほ*3【188】のぼのと湯煙りを立てゝゐる入山邊の溫泉、此處にも亦一つの哀戀悲話/が殘つてゐる。*4
 遠く戰國の頃だと云ふ。*5


 こちらは間違いなく「北アルプス連峰」で、どんなに割り引いても別の場所を指しているとは読めない。それから『山の傳説』が時期不明とするのを「戦国の頃」と指定している。或いは、両者に共通の典拠があるのかも知れないが、確たる根拠があって時期を限定したとも思えない。すなわち、青木純二「深夜の客」=「晩秋の山の宿」*6と、杉村顕「蓮華温泉の怪話」の間に指摘される、かなり自由な書き替え振り*7からして、話の内容から見当を付けて、何となく「戦国」としたように思われるのである。
 この調子で1話ずつ検討を加えては、10月まで続けないといけなくなる。これ以降の各郡は複数の話を『山の傳説』から得ているので、とにかく先に気付いただけ列挙してしまおう。要領はこれまでと同じく、まづ本書の部立ての郡名と、郡ごとに仮に附した【番号】、題と頁・行を添えた。そして次の行に『山の傳説』の部立てと部立てごとに仮に附した【番号】、題(山の名)と頁・行を添えた。『山の傳説』に依拠したと見られる話は「←」で典拠であることを示し、「≠」は同じ伝説を扱っているが依拠していないと見られる話。なお今回出て来ないが、一部共通するものは仮に「≒」で繋ぐこととした。
 東筑摩郡に続いて、191頁4行め~214頁3行め「西筑摩郡」9題。
西筑摩郡【2】阿古太丸の話(193頁5行め~195頁)
  ←北アルプス篇【72】阿古太丸の話(御 嶽)193頁2行め~194頁3行め
西筑摩郡【3】興禅寺の狐檀家(196頁~202頁2行め)
  ←北アルプス篇【73】興禅寺の檀家(御 嶽)194頁4行め~197頁
西筑摩郡【4】地藏峠の夫婦木(202頁3行め~204頁)
  ←北アルプス篇【75】縁結びの木(御 嶽)199頁~200頁10行め
西筑摩郡【5】兄妹地藏(205~206頁)
  ←北アルプス篇【74】兄妹地藏尊(御 嶽)198頁
西筑摩郡【7】寝覺床の浦島(207~209頁)
  ≠北アルプス篇【77】寝覺の床(御 嶽)202頁9行め~210頁4行め
 4題を『山の傳説』から得ていると思われる。このうち「興禅寺の狐檀家」については、杉村氏の怪異小説集『怪談十五夜』にも関係するので、別に取り上げて検討を加えて見るつもりである。
 以下、南安曇郡北安曇郡上伊那郡下伊那郡と続くが分量が多いので追って取り上げることとして、先に最後の376頁4行め~393頁「諏 訪 郡」4題を見て置こう。但し4題め「八ヶ嶽」は後述するようにそれぞれ独立した内容の3話から成り、ここには取り上げないが376頁4行め~382頁、1題め「諏訪七不思議」は7つに分割されている。
諏訪郡【4】八ヶ嶽/一 阿弥陀如來の水裁判(386頁6行め~388頁5行め)
  ←南アルプス篇【26】背 く ら べ八ヶ岳)297頁11行め~299頁9行め
諏訪郡【4】八ヶ嶽/二 昇天した大蛇の話(388頁6行め~389頁)
  ←南アルプス篇【28】大 蛇 昇 天八ヶ岳)302頁9行め~304頁2行め
諏訪郡【4】八ヶ嶽/三 姫  の  湯(390~393頁)
  ←南アルプス篇【31】姫     湯八ヶ岳)307頁5行め~309頁
 八ヶ岳の話を杉村氏はもう1話「南アルプス篇【27】南の家(八ヶ岳)」を、8月18日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(105)」に見たように『信州百物語』に、利用している。
 ところで最後の話の「姫湯」もしくは「姫の湯」だが、現在八ヶ岳周辺にそのような温泉はなく、甲斐武田家の智将とその同族だと云う、愛し合う2人の親の名も、聞いたこともなければ検索しても全くヒットしない。それほど手の込んだ話ではないが、どうも、作り事らしく思われるのである。(以下続稿)

*1:ルビ「きた・しなの・れんざん・わう・はな・はちぶせ・やまあ/そんざい・し・いりやまべ/ゆ・をんせん・く・かな・ものがたり」。

*2:ルビ「い つ・し」。

*3:ルビ「ひがしちくま ごほり・そび・きた・れんぽう・わう・はな・はちぶせ・さんきやう」。

*4:ルビ「ゆけむ・た・いりやまべ・おんせん・こ ゝ・あいれんひ わ/のこ」。

*5:ルビ「とほ・せんごく・ころ」。

*6:昭和3年(1928)7月の「サンデー毎日」に懸賞入選作として掲載された白銀冴太郎「深夜の客」と青木純二『山の傳説』所収「晩秋の山の宿」の関係は、8月12日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(099)」に述べた。念のため本文を8月16日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(103)まで比較して、異同の殆どないことを確認している。すなわち白銀冴太郎は青木純二の筆名なのである。その検証は後回しにしていてまだ詳細に及んでいないが、8月10日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(097)」の最後に述べた見当で誤りないはずである。

*7:この点に関しては「深夜の客」と「蓮華温泉の怪話」を比較して、2018年8月12日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(31)」及び2018年8月13日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(32)」に具体的に指摘してある。但しこれら1年前の記事は東雅夫の白銀冴太郎=杉村顕道同一人物説に従う恰好で書いている。