昨日の続き。
・杉村顯『信州百物語』の評価(4)
但し『信州の口碑と伝説』や『信州百物語』の「小説仕立て」の話は、「近刊豫告」にあったように杉村氏の「流麗伸達の行筆」が生み出したものではなく、青木純二『山の傳説』や、藤澤衞彦編著、日本傳説叢書『信濃の卷』に収録された情話風の話をほぼそのまま取ったもので、話によっては幾らか書き替えもあるが、凡そ独自色を云々出来るようなものではない。
しかし、巧いと云うほどではないにしても、このような文章の執筆に手慣れた青木氏や藤澤氏の行文をなぞって見たことは、後に杉村氏が独自の材料を料理する際に役立ったのではないか、と思う。
『信州の口碑と傳説』と青木純二『山の傳説』の関係は、8月26日付「杉村顯『信州の口碑と傳説』(05)」から8月31日付「杉村顯『信州の口碑と傳説』(10)」に掛けて指摘した。日本傳説叢書『信濃の卷』との関係には及んでいないが、ここでは1点だけ、情話風の話について指摘して置こう。
・上水内郡【1】久米路橋(42~50頁)
←(三二)水内橋(上水内郡水内村)94頁11行め~103頁8行め(「英文みだれ草」)
『信州百物語』と青木純二『山の傳説』の関係は、8月18日付(105)に、『信州百物語』と日本傳説叢書『信濃の卷』の関係は、9月1日付(106)及び9月2日付(107)に指摘した。
『信州の口碑と傳説』も『信州百物語』も、編纂物である上に杉村氏が依拠資料を勝手に改変した箇所があって、民俗学の資料になるようなものではない。ただ、『信州の口碑と傳説』は口承文藝関係の資料集や論考に、しばしば「参考文献」として挙げられている。確かに長野市在住期間に執筆した『信州の口碑と傳説』には、8月23日付「杉村顯『信州の口碑と傳説』(02)」に引いた「自序」にあるように、直接取材した内容が含まれているようである*1。しかしながらそれも余り多くなく、かつ文献に依拠したものとの区別が付かないので切り離して考えることが難しい。すなわち、民俗資料としての位置付けも、杉村氏の依拠資料の確認をこれまで怠って来たために、土地の古老から聞き集めたものと云う伝説集にありがちな先入観からそのような扱いを受けたまでであった。しかし、そういうものに紛れ込んでしまう程度には抑制された行文で、そもそもが才筆が発揮されないような話柄が多いことも確かである。
すなわち、杉村氏が伝説を題材にしてユーモア小説の語り口を活用して綴ったのは、終戦直後の『怪談十五夜』に始まるのではないか。信州関連の話、9月10日付(113)に見た「温泉寺奇譚」と「蛻庵物語」について、『信州の口碑と傳説』の「大沼池の龍神」及び「興禅寺の狐檀家」そしてこの依拠資料「興禅寺の檀家」と比較したとき、ここで初めて作意を論じられる程度の進境を見せていると云えようかと思う。大体が、戦前の『信州の口碑と傳説』及び『信州百物語』の「小説仕立て」の話は、実は依拠資料からそれほど離れていないのである。そのことは「蓮華温泉の怪話」の本文について確認したし、今後「雪女郎」について確認して行くつもりである。(以下続稿)