瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田口道子『東京青山1940』(6)

・日記本文(1)
 版元の岳陽舎HPでは、本書について「この本の内容」で以下のように紹介している。

戦時体制が台頭し始めた1940年、あらゆる社会システムが戦争に向かって準備を整え始めたころ、赤い表紙に「皇紀」2600年の文字が躍る日記帳に毎日の出来事を記していた著者は、8歳の小学生であった。
それから5年、1945年の敗戦までどん底の生活の中でも幼い愛国心に燃え、小さなわだかまりを感じながらも逞しく生きぬいた人々を活写する。
1940年体制」が時代のキーワードになりつつある現在、当時の東京の暮らしと変わりゆく世相風俗を、貴重な写 真70点余を交えながら綴った「子どもたちのもう一つの昭和」の記録。


 Amazon 詳細ページの「商品の説明」は以下のようになっている(最後の「著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)」は省略)。紹介文の本文は2字下げ。

 
出版社からのコメント
 
より多くの若い人たちに・・・
1940年、この戦時体制に入ろうとした年、「皇紀」2600年の文字が躍る赤い日記帳に毎日の出来事を記していた著者は8歳の小学生でした。当時の東京の暮らしと移りゆく世相風俗を、貴重な写真を交えて綴った「子供たちのもう一つの昭和」。ドラマというにはあまりに大きな犠牲を払った時代の激動を、より多くの若い人たちにも感じていただきたいと願っております。
 
内容(「BOOK」データベースより)
 
戦時体制が台頭し始めた西暦1940年…東京青山はどんな事になっていたのだろう。8歳の少女だった著者は健気にも愛国に燃え、それでもたくましく生きた一瞬を「皇紀」2600年の文字が躍る日記帳に克明に記していた。当時の街の暮らしと変わり行く世相風俗を現在から逆照射し、時の旅人となって70点に及ぶ貴重な写真とともに瑞々しく綴った「子どもたちのもう一つの昭和」。
 
内容(「MARC」データベースより)
 
戦時体制が台頭し始めた1940年、東京青山はどんな事になっていたのだろう。当時の街の暮らしと変わり行く世相風俗を現在から逆照射し、時の旅人となって瑞々しく綴る「子どもたちのもう一つの昭和」。70点の写真も収録。


 仮に【A】版元HPの紹介文、そして Amazon 詳細ページの「内容の説明」を【B】出版社からのコメント、【C】「BOOK」データベース、【D】「MARC」データベース、と整理して置こう。
 まづ標題にも採られている西暦「1940」年と云う年が「戦時体制」とともに持ち出されることは全てに共通、次いで8歳の著者が表紙に皇紀2600年の文字が躍る日記帳を付けていたことに及ぶが、この日記について【D】は触れていない。
 本書の存在を知ったとき、標題からしてこの皇紀2600年、昭和15年(1940)1年間の日記の紹介が主たる内容なのだろうと私は予想した。カバー表紙には一月二十日付・一月二十一日付見開きの写真を掲出しているし、カバー折返しにも、赤地に白く「記日年靑/2600」と凹ませた表紙のカラー写真が大きく掲出されている。
 しかしながら、日記本文の紹介はそんなに多くない。本文にこの日記が持ち出されるのは1月22日付(2)に見たように46頁、第一章【12】からである*1。すなわち第一章【11】までは青山と云う街の素描である。日記からの引用は159頁、第三章【6】までである。第二章も日記の引用は多くなく、1月23日付(3)に示した細目からも分かるように昭和18年(1943)公開の映画、【28】に黒澤明監督『姿三四郎』、【30】に稲垣浩監督『無法松の一生』を取り上げて、やや詳しくその印象を述べているのである。すなわち【D】で主たる内容のようになっている「現在から逆照射し、時の旅人となって」と云った辺りの方が、実は日記の紹介よりも重点が置かれている。当時の様子をリアルタイムで記録した、貴重な資料であるはずの日記の存在に【D】が触れていないのは、その意味では正しいと云えるかも知れない。
 しかし、それにしても、やはり折角の原資料を生の形で殆ど紹介しないでしまったことが残念でならない。8歳の子供(小学2年生の3学期から小学3年生の2学期まで)の日記には、劇的な記述の方が稀であろう。かつ、個人の記録の公開に当たってはそのままでは理解不能な点が多々出て来るので註釈・解説は是非とも必要である。しかし、どうもその解説の方が主になって、それこそ284頁〈参考文献〉に挙がる、田口氏が参考にした本で確認すれば良いようなことが多くなってしまったような按配である。私としては、そうでない日常がどのように流れていたかが知りたいのだけれども、【B】の見出しにも使われている「エピローグ」の一節、282頁11行め「より多くの若い人たちにも読んでもらいたいと」の田口氏の思いからしたら、当然このような作り方にならざるを得なかったのであろう。しかし、出来れば全文を資料篇として、2段組・見開きで半月分くらいになる程度に詰めて、収録して欲しいところであった。この日記は今、どうなっているのだろう。注文を出してばかりで恐縮だが、出来ることなら昭和館辺りにでも収まらないものだろうか。
 なお、田口氏はその後、同じ岳陽舎から一東瑛(いちひがし あきら)の筆名で次の本を出している。

大正ベンチャー ラヂウム温灸器立志伝

大正ベンチャー ラヂウム温灸器立志伝

 これは同名異人との区別のためであろう。
 すなわち、料理研究家に田口道子(1938.4.18生)、
味と料理の約束 (1983年)

味と料理の約束 (1983年)

  • 作者:田口 道子
  • 出版社/メーカー: 三月書房
  • 発売日: 1983/08
  • メディア:
料理のうんちく学(秋・冬編)―手作りで成功するコツがいっぱい

料理のうんちく学(秋・冬編)―手作りで成功するコツがいっぱい

 そして、オペラ演出家にも田口道子がいる。 他にもポルノ・性暴力被害者の支援団体代表の田口道子がいる。(以下続稿)

*1:この「日記」のことは「プロローグ」にも略述されている(14頁2~12行め)が、そこでも「1940年体制」すなわち戦時体制を窺う取っ掛かりとして位置付けているようなのである。