セキュリティソフトの会社から、先月何百件もブロックしましたとか云う通知が来て、何か悪いことしたか? と思ったのだが、日本のニュースが信用出来ないので、海外のニュースサイトをせっせと覗いたせいらしい。それもこれも自宅待機が長く続いているからで、好い加減、身体がなまってきた。
実家にいた頃は毎日庭に撒く風呂水をバケツに十数回往復して注いで、撒いて、30分くらいだったか、かなりの運動になったのだが、今の家でも風呂水を流すのはもったいないので、枯れそうな近所の植え込みに撒いている*1のだけれども2日に1度でそんなに時間もかからない。女子高講師時代、流石に寄る年波で腰回りが太くなってきて、腹筋背筋スクワットを毎日やっていたこともあるのだが、女子高を馘首されたら Motivation が低下したのか、疲れやすくなり花粉症が酷くなって激しい運動が堪えるようになったのか、止めてしまった。だから今は水撒き以外にはせいぜい、勤め先から帰りに1駅歩いたり、都内の図書館に行ったり、と云った程度であったのが、両方とも難しくなってしまった。
家人が久しく使っていなかった体温計を掘り出して、切れていた電池まで買って来てくれたのでここ数日検温している。3月31日付「赤いマント(224)」の付け足りに書いたように、ここのところ寒くて目が覚めて、見ると掛け布団をまくって腕など冷え切っているのだが、一昨日から肩当てを着て寝ているので、冷え切ってはいるけれども風邪は引かずに済んでいる。蒲団と毛布の重ね方を考えないといけない。それはともかく、起きたときは別に熱っぽくはないのだが、起きて暫くすると顔が火照ったような感じになるのだが、朝食後に検温して見ると昨日も今日も35.8℃であった。花粉に反応し始めて火照ったような感じになるのだろうか?
コロナウィルスは、当初、インフルエンザみたいなもので、罹患しても大したことない人も多いし、悪化したら死ぬと云って、インフルエンザでも毎年何万人も死んどる、と云うので、そんなものかと思っていたのだが、日本人の何割かは罹患することになる、と云う予想もあって、それならもう罹患せずに済ませるのは難しいかも知れないな、とも思っていたのである。罹って軽く済ませて抗体を身に付けた方が良いのじゃないか知らん、と。
ところが、ここに来て、罹ったら危ない、と云った風潮になって来た。重症化するかどうか分からないし、火蟻じゃないが「死ぬこともあんで死ぬことも」なのである。そうじゃなくても、3月8日付「図書館派の生活(3)」の最後に構想だけ述べた小説のように、今の日本だと(いや海外ではどうなのだか知らないが)罹った奴が悪い、みたいなことにされそうである。外出禁止になってしまえばそもそも誰も出勤出来ないのだから問題にならない(?)が、外出自粛要請レベルだと出勤出来なくなって、かつ発症前の濃厚接触が問題になるから、同僚たちも出勤出来なくなる。或いは、無症状の同僚がいて、そいつから伝染されたのだとしても、結局最初に発症を訴えた人間が悪者にされるのである。
それなのに、抵抗力を保持し続けないといけないのに、身体がなまってきた。しかし、春は花粉のせいでどうしても外出を控えてしまう。そして、花粉の時期が終わっても、何だか体調の優れないまま夏になって、何年か前なら炎天下を歩いたものだったが、今は暑過ぎる上に、眼科の心配をしないといけないので、それも難しい。かつ、以前から汗っかきだったと思うのだが、最近、それが甚だしくなって、冬も着込んで歩くと電車の中で汗が止まらない。更年期なのかも知れない。家で運動すれば良いのだが、冷房を掛けていても物凄い量の汗が出て、全部着替えないといけなくなるので、それも面倒である。洗濯代を節約しようなどと思わずに、毎日少量でも洗ってしまえば良いのだけれども。
こうして、以前からの私の体力維持の手段が限られる(?)中、図書館通いが頼みの綱だった(!)のだが、それすらも奪われようとしている。
そこで、3月30日付「図書館派の生活(5)」にも書いたが今週、都内の図書館2館の返却期限が来るので、その機会を捉えて自転車の遠乗りをすることにした。花粉は「多い」という予想だったから、かなりダメージを受けるはずだが、暫く電車に乗らずにいるうちに、今、電車に乗って罹っては元も子もないと、ちょっと千両蜜柑のような大袈裟な発想のような気もするのだけれども、そんな気持ちになって、第一には運動も兼ねて、今日の昼前に出発するつもりであったが、返す本の確認とルートの確認、それから洗濯をしているうちに何のかのと掛かって結局昼過ぎに、出発したのであった。(以下続稿)
*1:実際、私が撒き始めるまでは毎年枯れて、その度に新しい苗を植えては、枯らしていた。私が撒くようになってからは新しい苗の補充はなく、順調に育っている。或いは、出入りの植木屋を儲けさせるためにわざとやっていたのか、と云う気もしている。