昨日まで、5月4日付(01)に引いた「編者の言葉」を執筆している同盟通信社調査部長内海朝次郎(1900~1946.12.9)について、子息の内海紀雄による「メディア展望」への連載「一通信社記者の「昭和」~その軌跡を手紙と日記に見る」にて、同盟通信時代の経歴について眺めて置きました。本書については5月7日付(04)に引いた(Ⅳ)に記述がありました。
それでは本の紹介に戻って、「編者の言葉」の次にある「目次」を見て置きましょう。これも別に最下部中央に独立の頁付「―1―」があって6頁。
まづ7字下げで大きく「目 次」とあって、以下、章と章の間は少し空けて、上部にナカネくんの2019年4月2日22:04の tweet に掲出されている写真にあるように、漢数字で章、半角分下げて算用数字で節、2字分下げてアルファベットで項を並べています。頁は下部に半角の漢数字(1桁の場合、2桁め空白)で並べ、見出しとの間を三点リーダを連ねて繋いでいる。しかしながら三点リーダまで打ち込むと表示に支障が出るのでこれを省き、空白に変えた。
一 ま へ が き 三
二 第二次歐洲戰と宣傳戰 七
1 戰 爭 へ 七
A 戰 爭 と 平 和 七
B 宣傳とアセニア號事件 一二
2 宣傳戰「第一期」 一六
A 獨波戰を繞つて 一六
B 文 書 暴 露 合戰 二二
C 西部戰線膠着と「紙の礫」 二九
3 北歐戰局と宣傳戰 三七
A 「バルカン」が掘つた墓穴 三七【― 1 ―】
B 北海の擊沈發表戰 四三
C 英 獨 新 聞 合戰 五〇
4 獨佛講和までの宣傳戰 五四
A 「アメリカ參戰」を繞つて 五四
B 佛降伏に働らいた三つの力 五九
5 戰局と宣傳戰の型 六五
A イタリー參戰とバルボ事件 六五
B ドイツの民心統一 七〇
C 檢閲制度の手際 七五
6 ラヂオ宣傳戰の登場 八〇
A 宣 傳 の 新 武 器 八〇
B ドイツの對外放送 八二
C 英獨の對外放送 八九
D 暴れるデマ電波 九三【― 2 ―】
三 支那事變と宣傳戰 九七
1 日本は宣傳戰に敗けたか 九七
2 支那の反日宣傳陣 一〇三
A 蒋介石の宣傳教典 一〇三
B 踊 る 重 慶 一〇五
C 赤い反日宣傳陣 一一一
D 反日宣傳第三列 一一六
3 反日宣傳の明暗 一二〇
A 蒋介石の對米宣傳 一二〇
B 重慶を見限る南洋華僑 一二五
4 二つのニユースの拔穴 一三〇
A 上 海 一三〇
B 香 港 一三六
5 反日デマ宣傳の種々相 一四二【― 3 ―】
パネー號事件とフーバー號事件 一四二
ヒューゲッセン奇禍事件 一四四
遭難ジャンクを種に 一四五
「日 本 空 襲」 一四六
臺兒莊會戰のデマ 一四八
「冬 季 攻 勢」 一五〇
南寧奪回のヨタ宣傳 一五二
宜昌作戰の逆宣傳 一五三
脱落分子の和平デマ 一五五
四 各國の宣傳陣 一五九
1 英――傳 統 と の 摩 擦 一五九
2 米――ニュース本位主義 一六八
3 佛――「文化と自由」は何處へ? 一七七
4 獨――鐵 の 組 織 一八一【― 4 ―】
5 伊――統 制 の 先 驅 一八九
6 蘇――赤 い 宣 傳 の 網 一九三
五 日 本 と 宣 傳 一九九
1 東京に渦卷く列國の宣傳戰 一九九
A 在京各國特派員 二〇〇
B 東京を狙ふ電波 二〇四
C 在京大使館の活躍 二〇八
2 伸びる日本の電波 二一九
A 對外宣傳陣の活躍 二一九
B 海 外 放 送 二二八
C 同 盟 放 送 二四〇
3 國内宣傳の實際 二四四
A 官廳宣傳街の中心 二四四
B 新聞雜誌の檢閲線 二五三
C 新聞の統制と記事の傾向 二五六【― 5 ―】
D 官廳發表から記事まで 二六一
E 國内放送の實力 二六七
F 邦人通信員の進出 二七四
G デ マ の 傳 播 二七六
六 宣 傳 と 人 二八三
1 ナチス宗の開祖ヒトラー 二八三
2 宣傳博士ゲッペルス 二八八
3 「黑色」シユトラッサー 二九〇
4 親分ムソリーニ 二九四
5 「靈父」ピオ十二世 二九八
6 大番頭ルーズヴエルト 三〇二
7 頑固爺チヤーチル 三〇五
8 スターリンと宿敵トロツキー 三〇八
七 文 獻 三一三【― 6 ―】
目次では拗音は小さくなっていませんが、本文では現行の表記と同じく小さくなっています。
今、こうして目次を打ち込んでみるとなかなか面白そうなのですが、5月3日付「赤いマント(243)」に述べたように閲覧時、詳しく内容を確認する余裕がありませんでした。以下、当日の私のメモのほぼ全てを示して置くつもりです。(以下続稿)