瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

阿知波五郎「墓」(24)

・「七月二十四日。」条(1)遺書の意図
 遺書を書き始めるまでの確認が随分長くなってしまったが、ここまで、主人公はまづ、2日めと3日めには里子に出した園児と、その園児を園に戻したことで起こった火災を回想し、それから、空腹は3日めから、4日めには1粒だけ残っていたキャラメルを口にし、5日めには飢えのため錯乱状態になる。稀覯書を床に投げ散らしたりした挙句、生気を失ってしまったことに絶望して火を付けようとするのだが、マッチが見付からなかったことで断念し、そこで初めて遺書に取り掛かるのである。
 この流れを、ちくま文庫『絶望図書館――立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語の、編者・頭木弘樹「入れられなかった幻の絶望短編」に記憶に従って述べてある本作の梗概と比較するに、6月14日付(16)に引いた【F】【G】に相当する内容の方が先に来ており、それから【E】によって絶望(と云うか図書館に閉じ込められた段階から既に絶望的な状況に陥っていた訳だけれども、閉じ込められた当座は、何か、6月9日付(13)に引いた【C】に指摘されるような達成感のようなものがあったのが、飢え死にの悲惨さにリアルに直面させられたことで、いよいよ絶望)したことによって、漸く【B】【C】のような内容の遺書を書こう、と云う段取りになっているので、順番が逆である。いや、6月15日付(17)に引いたように、3日めにも「何か書き残して死に度い欲望にも燃え」ているのだが、この時点では飢えではなく暑さと籔蚊のために実行せずにいた。
 それはともかく、頭木氏の覚えていた【A】愛情が【G】飢えに圧倒される、と云う構図――【J】「生理的苦痛がいかに大きく、絶対的であるかを描ききっている」――は、かなり単純化された上で合理化されている、と云わざるを得ない。その、抜け落ちてしまった要素、すなわち、書庫に自ら閉じ込められた理由が、そもそも【A】のようではなかったので、自分を弄んで裏切った男性に対する復讐から【B】【C】のような遺書を書くのである。もちろん、ここまでするのは主人公の男性に対する愛情が深かったから、と云うことにはなるだろうけれども、純粋な愛情を本心として書いている、と云ったものでは、初めからない。
 5日めに書き始めた遺書について、25行中、昨日改めて確認したように9行めの途中までと、最後の4行をこれまで引用して置いたけれども、その間の12行分は、特に歯の浮くような愛の言葉が書き連ねられているのである*1
 そして6日め「七月二十四日。」条は、まづ冒頭、434頁14~16行め、

 閉されてから六日目、机の端にペンでしるしをつけておく……六日目だ。
 しまの心は、もう渋谷に対する復讐以外にない。完全に生きる望みを絶たれた今、いかに渋谷を苦/しめるかがあるだけだ。

とて、前日と同じような、さらにそれをえげつなくしたような、愛の、取り憑くような愛の文面が綴られて行くのである。
 ところで、上記434頁14行めの書き方だと、日数を毎日「机の端」に「しるしをつけてお」いて「六日目だ」と確認しているかのように読めるが、6月20日付(22)に確認したように、5日めの3段落めに「折角覚えて居た日も記憶の中で戸迷い*2」と云うことになっていたはずである。そして4段落めにも、430頁7~9行め「‥‥。外は深閑とし/て音一つ聞えない。夜かしら……もうこれからは、いつが夜で、いつが昼か見定めがつかぬ。日も判/らぬ……そんなことにかかわりたくない。‥‥」とあった。(以下続稿)

*1:6月24日追記2016年10月11日付(06)の最後に、この箇所を5行ほど引用してある。

*2:読みは「とまどい」であろう。