瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

阿知波五郎「墓」(23)

・「七月二十三日。」条(4)遺書執筆開始
 昨日は、5日め「七月二十三日。」条の3段落めの中盤を確認するだけで終わってしまった。当ブログは結論を述べると云うより確認作業ノートみたいなものだから、往々にして全く進まなくなり、そのうちに飽きるか本の返却期限が来るかして、中絶してしまう。
 3段落めの残り、430頁3~6行めは「山海の珍味をたべる夢」について、「餓鬼のような太郎の正しさ」すなわち「人間は喰べることが第一」で、文字・絵画・小説・歴史なぞは「みんな腹がふくれたときの遊戯」だと毒づいている。
 太郎については6月14日付(16)に触れた。6月17日付(19)の引用にも見えている。学問や芸術を「遊戯」とする考えについては6月18日付(20)に、これまでの記述を纏めて置いた。
 7~11行め、4段落めは、籔蚊で目を覚まし、喉が渇いて水を飲み、――生理的な必要に迫られない限り床で睡り込んで、何をする気力もなくなってしまった主人公が描かれるが、12行め、5段落め、

 夢の中で、この苦しみを一月堪え忍べば蘇生することが出来る――と思う。

との有り得ない希望的観測を挟んで、6段め、13行め~431頁9行め、全体を( )で括って「 」は用いずに、伊豆の里子を、学校にも通わせずに働かせている里親から取り戻したときのことが回想されている。学校に行かず漁船に乗っている方が良いと言う、荒々しく健康的な里子の姿に驚き、里親に喰って掛かると、自分たちはあの子を可愛がっている。学校に行かないのは本人の希望で、小遣いをやって、芝居や活動を見せている。寝る前の歯磨きも朝の顔洗いもしないが、自分たちもそんなことはしない、と、のらりくらりと答える里親に、8行め「通知次第里子を園へ送り返して下さい」と命じると、9行め「はい、そうでごぜェますか、困ったことになり申した。」とあっさり引き下がる。
 この伊豆等に里子に出された旧園児たちについては、6月15日付(17)の後半等に見たように、主人公が外泊する口実になっていた。こうして主人公が主導することになった里子問題は、結果、園を焼く火事の原因にもなってしまった訳だが、ここに来て主人公を徹底的に打ちのめすのである。8段落めの前半まで抜いて置こう。431頁10~17行め、

 困ったことになり申した……しまは今になって、その時のわが身の仕草が腹立たしい。日が暮れた/帰りの川堤で、若い男女が抱きあって居て、しまが、堤の上を通っても離れない。蛇のつるみを見て、/石ぶっつけた幼いときの想い出に、爬虫類のぬめぬめした鱗のない皮膚を想い出し、ペッペッと唾を/吐いて逃げ帰った。
 今、それを静かに嚙みしめて居る。――文化、文明、教養、文学、美術、芸術――そしてそれが一/たび食を絶たれると、染めの悪い布片のように水に漬けた瞬間じ……と溶け出て了う――木綿の生地、/矢張り生物、歯をむいた動物……思わずうなりたくなり、ふらふらと立上ってこの東洋文庫稀覯本/を片端から床上へ投げつける、(略)


 こうなってしまうと、6月15日付(17)の前半の引用、3日め「七月二十一日。」条に想定していたような「悲壮美」も何もあったものではない。
 そして8段落めの後半、431頁17行め~432頁5行め、男女の睦み合いを思い出したところからの連想か、「頭でっかち」で「陰部が目立って小さ」い「渋谷の偽善者」の幻想を見る。
 そこで現実に戻って、6~7行め、9段落め「油気の切れ果てた頭髪が針金/のように立って居る」ことに気付いて、以下は2016年10月11日付(06)に略述したように「もう駄目だ――。」となったところで、10段落め、8~10行め、「遠くの方で消防自動車の警笛が吹奏され」るのを聞いて、本を燃やしてしまうことを思い付く。しかし、11行め、11段落め、

 大急ぎで、抽斗を捜す……マッチはないか、マッチ、マッチ……捜しに捜してもマッチはない。

となって、そこで漸く、12~13行め、12段落め、

 この書庫の中で、飢えた鼠のように死ぬとなれば、最も華々しく死にたい。抽斗から原稿用紙を取/出す、それを展げて白い紙を見る……。

と云うことになり、2016年10月11日付(06)に冒頭を抜き、2016年10月31日付(07)に、この日の執筆分の末尾(と、それに続く地の文)を抜いた、表面的には愛に満ちた遺書を、書き始めるのである。(以下続稿)