瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

阿知波五郎「墓」(6)

 主人公「しま」は「死にたい」と「決心」して、自ら書庫に閉じ込められます。
 七月十九日の朝、出勤してきた渋谷が、417頁5行め「夏の閉館前で忙しい」と言うのを6行め、しばらく「手伝い」、そして418頁1行め、渋谷に「しまさん、もういいよ。‥‥」と言われて419頁8行め、「一度館外に出」、418頁15行め及び16行め「誰も見て居ない」のを確かめて、16〜17行め「小走りに、もう/一度館内に滑るように忍びこ」み、419頁1行め、書庫の「二階の書棚の隅」で、2行め「息をこら」します。そして11行め、「閉館を待」ちます。11〜13行め「‥‥。四時には閉る――もうそれで、一ヶ月の間、この巨大/な書庫は眠ってしまうのだ。その中へしまが、身自ら飛込む……渋谷は、それを少しも知らない。しま/は今も帰ったものとばかり信じて居る。‥‥」そして15〜17行め、閉館した「四時になって、渋谷」が書庫に戻って来て「自分の椅子に腰かけると、抽/斗を開けて整理し出す」のを「二階の本の蔭/から、じっと見つめ」ます。渋谷が書庫を出て420頁1〜3行め「そのまま重い鉄扉がしめられ、がちりと鍵の音がする/……それと童子に、空の防火用鉄製扉のスウィッチが切られたらしい。がががが……と扉が降り始め/る。だんだん書庫の中が暗くなって行く……」
 10月5日付(2)に引いた『こんな探偵小説が読みたい』カバー表紙折返しにある紹介文には、予期せぬ事故で閉じ込められてしまったかのように書いてあるのですが、それはこのときの主人公の反応、420頁3〜5行め「しまは思わず、本の間から飛出す。あっ――と声が出て/了うが、もうそれが外へ聞こえそうにない。助けて――と叫んで見る。ががが……と軋る鉄扉の音に遮/られてゆく。」を踏まえているようです。しかしすぐ後(5行め)に「しまはこれでいい、これでいいと、惨めな自分に云い聞かせ乍ら、‥‥」とあって、これは咄嗟に、所謂「ダメもと」で最後の機会を試してみたくなっただけのことなので、主人公はやはり自ら、内部からは脱出不能な環境に閉じ込められたのです。
 それから数日、照明と水だけは確保出来ている環境で、主人公は空腹と暑さと籔蚊に苦しめられながら過ごします。七月二十日・二十一日と二十三日・二十四日は保育園での生活を回想しながら、そして*1二十三日から二十五日までは渋谷に宛てた、440頁5〜6行め「復讐にみち/みちた」表面的には「虚ろの愛情の文字が羅列し続けられ」た手紙を書き綴ります。遺書の執筆が遅れて始まったのは、二十一日の段階では、425頁10行め「何か書き残して死に度い欲求に燃えたが、暑さの苦しみに、そ/れを敢えてする勇気もなく」という状態だったからで、二十三日に執筆を始めるのは432頁7行め、肉体的に「もう駄目だ……。」と自覚して、書庫内に火を付けてしまおうと考えるのですが、11行め「……捜しに捜してもマッチはない。」そこで12〜13行め「この書庫の中で、植えた鼠のように死ぬとなれば、最も華々しく死にたい。」と考え、ようやく「原稿用紙を取/出す」のです。
 遺書の冒頭、432頁14行め〜433頁4行めには、

『わたし、とうとう出られないのよ。声を限りに叫んでみたの。敲いてみたの……誰も来てくれない/渋谷さん、もう逢えないのネ。あなたのせいじゃないわ。わたしが悪いの……お声がしたような気が/したわ。わたし二階の書庫で聞いて、はッとした……渋谷さん……と大声で呼んだときには、もう遅/い、鉄扉が、ががが……となって鎖*2されてゆくところだったわ。はっと思って、らせん階段をまろび/こけて降りたの、窓に走って手を出し……助けて……って呼んだの、わたしの力では扉を支えきれな【432】い、刻々、じじ……としまってゆく、力一杯支えたのだけれど……もう駄目、手が、手が、手が危い。/到頭この手も引込めて了う。ごとり――と最後の音がして、書庫の中は真の闇よ。もう泣いても、笑/っても駄目。どうしよう、一ヶ月閉館なの、一ヶ月この書庫は開かないの。私はこの書庫に閉じこめら/れて了う――ああ、ながい一ヶ月、‥‥

とありますが、これも『こんな探偵小説が読みたい』カバー表紙折返しの紹介文に影響しているのかも知れません。しかしこの文面は、自殺ではなく事故だと擬装するためのもので、事実とは異なる訳です。それも433頁6〜11行め、「‥‥。渋谷さん、/わたしは、せめて渋谷さんの手で、あのスウィッチが切られたことを満足に思うの。渋谷さんが私を/書庫に閉じこめて了ったの。愛して愛して、私を閉じこめて了ったの。この書庫全体が、渋谷さんの/大きな胸のようなの、その胸に抱かれて、私は眠って居るの、満足だわ、……もう、これでいいの、/もうこれでいいの、本当にうれしい。ありがたい……騒がないわ、あばれないわ。静かに待つの、静/かに死を待つの。‥‥」と云うわざとらしい、表面的には渋谷への愛に満ちた、しかし実はお前が私を殺すのだと渋谷にだけ伝わるように書かれた、恐るべき復讐の念に満ちた手紙なのです。(以下続稿)

*1:10月30日追記】この文の頭にあった「そして」をここに移動した。

*2:ルビ「とざ」。