瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

阿知波五郎「墓」(13)

 昨日、ちくま文庫『絶望図書館――立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語の「入れられなかった幻の絶望短編」についての情報募集告知の、前置きに当たるところを引いて置いた。
 頭木氏が「トラウマのように、心に焼きついてしまった」と云うその作品について「ミステリーに分類されていた」そして著者は「医師が本業」で「作品数の少ない人」だと云う辺り、非常に正確な記憶であると云えよう。
 少々不審なのは、ちくま文庫であれば日下三蔵(1968.2.21生)による探偵小説のアンソロジーが何冊も出ていることで、『絶望図書館』編集中に同じ編集部で何とかならなかったのか、と云う点である。日下氏は編者として2001年に『怪奇探偵小説傑作選』全5冊、2002年から2003年に掛けて『怪奇探偵小説名作選』全10冊を出している。それからしばらく空いて2017年から2018年に掛けて『ミステリ短篇傑作選』が5冊出ている。その間も2004年から2005年に掛けて『山田風太郎忍法帖短篇全集』全12巻を出し、2008年には山田風太郎のエッセイ集を2冊編集、2016年に今日泊亜蘭の短篇集を編集、2017年には長篇小説の解説を執筆している。刊行物から見た限りでは、数年疎遠になっていたのが『絶望図書館』刊行の前年辺りからまた復縁(?)したような按配だったので、ちょっとお知恵拝借と行かなかったのか、とも思うのである。しかしながら、そこで解決してしまっては「入れられなかった幻の絶望短編」は書かれなかった訳で(『絶望図書館』に「墓」を収録したかどうかはともかく)、分からなくって良かったのかも知れない。
 それでは、粗筋を紹介した箇所の、まづ前半(345頁2~13行め)を抜いて、阿知波五郎「墓」と対照させながら見て置くこととしよう。後で纏めて検討する際の便宜のため、仮に段落ごとに【A】の如き符号を付けて置くこととする。

【A】ある男性を好きになった女性が、自分の愛情を証明するために図書館にこもります。/たしか、大学だか研究所だかの図書館で、夏休みの間、長期間閉じられることになっ/ているのです。好きな男というのは、大学の先生か研究所の研究者で、その図書館を/よく使うんだったと思います。
【B】休み明け、図書館にやってきた男性は、餓死した女性を見つけることになるはずで、/それが女性のもくろみなのです。その男性は、女性が餓死するまでの間ずっと書きつ/づっていたノートに気づき、それを読んで、女性の強い愛情に心を打たれるだろうと/いうわけです。
【C】そのノートが、この作品なのです。女性はトイレだかに隠れていて、図書館が閉ざ/されて無人になった後に出てきて、ノートを書き始めます。女性は、自ら死ぬことに、/むしろ高揚しています。愛のためなら、死ぬことはまったく怖ろしくありません。ノ/ートを読んだ男がどれほど感動するか、そればかりを楽しみにしています。


 舞台と登場人物については、2016年10月9日付(04)に纏めて置いた。大学附属の文化研究所の書庫だから【A】に「大学・研究所・図書館」を挙げているのはほぼ正確だと云えよう。男の身分は正確には「司書」で、だからこそ【B】に述べてあるように、休み明けに餓死した女性の第一発見者になるはずなのである。
 やはり気になるのは、女性の立場、何故そんなところに閉じ籠もって餓死しようと思ったのか、そう云った点が抜け落ちていることである。
 これが、家柄の宜しくないために、研究者である男性の親族に結婚を反対され、しかし男性との愛にしか生きる喜びを見出せない女性が、思い余った挙句に思い付いた究極の自殺方法、――愛する人が過ごしている場所の空気に包まれながら(その意味で、やはり「よく使う」のではなく「司書」すなわちそこにいつもいる存在であるべきだろう)ノートに自分の愛情を切々と綴りながら死ぬまでを過ごす、と云うことであれば、美しい悲恋物語と云うことになったであろう。残酷なのは、せいぜい次回引用する【E】にあるように「作者が医者」だけに「飢え」の「描写がリアル」であると云うことだけで。どうも、頭木氏の記憶は、この作品の別のリアルな側面を、全てこの「飢え」の「リアル」さに集約してしまったようで、記憶とは得てしてそうしたものなのであろう。
 それはともかく、頭木氏が忘れてしまった女性側の事情だが、愛には満ちているのだけれども、そんな甘いものではない。
 女性がこのような自殺を企てるまでの経緯は、2016年10月10日付(05)に纏めて置いた。自分は身も心も男性に夢中にさせられてしまったのに、あろうことか男性には他に女がいることに気付いてしまったこと。それを、書庫が閉鎖されるその日に最終的に確認して、計画の決行を決意するのである。
 だから【C】「強い愛情」があって、男性のことを思い切れないから死ぬには違いないのだけれども、それは男性を自分の死後も(生前よりも確実に)束縛するための、復讐を兼ねた自殺なのである。
 ところで遺書を書くのは「ノート」ではなく、原稿用紙である。頭木氏の記憶では、【B】閉じ込められた直後から、それが目的であったかのように書き始めているようだが、2016年10月11日付(06)に確認したように、閉じ籠められて5日めから7日めまでなのである。従って、作品中に占める遺書の割合は僅かで、【C】「そのノートが、この作品」と云うような、一人称の告白体小説ではない。ただ、主人公の女性「しま」の主観を、「医者」である「作者」が「リアル」に「描写」して行くので、読後感として女性が死に至るまでの詳細を書き綴った作品であったかのような印象になるのは、記憶の残り方としてそんなに無理なものではないように思う。(以下続稿)