瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(273)

五木寛之の赤マント(1)
 中村希明『怪談の心理学』には、2014年1月7日付(077)及び2014年1月4日付(074)に見たように、中村氏が昭和14年(1939)に朝鮮・京城で「赤マントと青マントの怪人」に恐怖した体験が述べてあるが、作家の五木寛之も同様の体験を述べていた。
 五木氏は「ネットミュージアム兵庫文学館」の兵庫ゆかりの作家「五木 寛之」の「■プロフィール」には「昭和7年(1932)9月30日福岡県八女市に生まれる。生後まもなく教師であった父の赴任先・朝鮮に渡ったが、平壌第一中学1年の時、敗戦。昭和22年(1947)福岡に引き揚げ、‥‥」とあって、敗戦時に旧制中学2年生であった中村氏の1学年下である。すなわち五木氏の昭和14年(1939)に小学校に入学している。それから「八女市」は当時存在しなかったから、八女郡(現・八女市)とするべきである。
・さたでいぶっくす『七人の作家たち』インタビュー集
 1983年9月20日発行・定価1300円・土曜美術社・205頁・四六判並製本
 奥付には「著者」として「井上ひさし大岡昇平野間宏柴田翔/大西|巨人/埴谷雄高/五木|寛之/ 岡庭昇・高橋敏夫」とあって、最後の2人、岡庭昇(1942.12.19生)と高橋敏夫(1952.4.3生)が編者である。カバー表紙には上部、標題と副題の下に横組みで「井上ひさし大岡昇平 |野間宏  |柴田翔  |大西巨人 |埴谷雄高 |五木寛之 」とあり、カバー背表紙には標題の下に「井上ひさし大岡昇平野間宏柴田翔大西巨人埴谷雄高五木寛之    」と割書。改行箇所は「|」で示した。
 205頁の裏、奥付の前の頁の中央上寄りに縦組みで、「七人の作家たち 初出一覧」とあって、1行分空けて、

井上ひさし・哄笑する精神             『同時代批評』4号
大岡昇平野間宏・戦争と文学            『第三文明
柴田翔・自我を捨てる文学             『詩と評論』創刊号
大西巨人 ・『徒労のような格闘を』         『同時代批評』2号
埴谷雄高 ・『不合理ゆえに吾信ず』から『死霊』まで    〃  創刊号
五木寛之・“光州” を超える想像力             〃   3号
野間宏 ・『暗い絵』の青春                〃  創刊号

とある。「ききて」は岡庭氏が7篇全て、高橋氏は井上・大西・埴谷・五木とのインタビュー4篇に加わっている。但しどちらの発言か、区別されていない。
 五木氏のインタビューは「詩と思想」8月号・増刊「同時代批評」3(昭和56年8月・土曜美術社)に掲載されたものである。

 初出誌は未見。
 131頁(頁付なし)が扉で、中央上部に、

五木寛之氏に聞く
“光州” を超える想像力 情況に対決する性根をもとめて
●――――――ききて 岡庭昇/高橋敏夫

とある。これは3~5頁(頁付なし)「目次」、5頁5~7行めにほぼ同じものが入っている。但し「目次」は斜体ではなく、また副題と「ききて」をより小さくして、5行めの下に2字分空白を挟んで「131」と頁が入る。132頁から本文、7節に分かれているが1節めには題がない。3行取りゴシック体斜体の見出しを列挙して置こう。135頁1行め「アジアに対してどう責任をとるか」138頁1行め「引揚げ文学は成立しない」143頁14行め「生命をすてても何かが残る」148頁12行め「近代合理主義をのりこえるもの」152頁10行め「韜晦を戦略化してゆく」155頁15行め「“雄々しさ”をのりこえるバイオレンス」158頁6行めまで。
 赤マントに触れているのは2節め、背景を窺うために、1節めも見て置くこととしよう。(以下続稿)