瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

池内紀「雑司が谷 わが夢の町」(5)

 昨日の続きで中公新書2023『東京ひとり散歩』の「鬼子母神懐古――雑司ヶ谷」の問題点について、もう少し突っ込んだ指摘をして置こう。

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 いや、そもそも「雑司が谷 わが夢の町」では、王子電車の牛乳運搬から「武蔵野の面影」を想起し、さらに「そういえば」として初句が「武蔵野の」の赤彦の短歌を連想しているので、牛乳運搬と赤彦とは何の関わりも持たせていなかったのである。――池内氏の軽妙にして奥行きも感じさせる文章力は流石だけれども、細部がかなり好い加減なようだ。残念ながら「鬼子母神懐古――雑司ヶ谷」は、「雑司が谷 わが夢の町」と云う下書きがある分、そこがさらに甘くなっているようである。
 知識も見識もある人が細部を詰めずに気楽に書いているから、読み易いのに滋味が感じられる。そこに池内氏がエッセイストとして成功した理由があろう。しかしそれは必ずしも、完璧な知識の中から一流の見識を以て細かい部分を省いて要点のみを鮮やかに示した、と云うことにはならない。やはり最低限の点検は必要なのである。編集サイドのチェックも甘かったと云わざるを得ない。いや、池内氏本人の読み方も、そのエッセイと同じように少々甘いところがあるように思われる。――私は池内氏の読者ではないので豊富に例を挙げることは出来ないが、当ブログでは1例、2013年12月11日付「赤いマント(51)」に取り上げた池内氏の『悪魔の話』にて、2013年12月12日付「赤いマント(52)2013年12月13日付「赤いマント(53)」に検討したように、加太こうじ『紙芝居昭和史』を池内氏が読み誤ったことが、赤マント流言の原因となった「赤マント」と題する紙芝居が存在する、と云うデマ(!)の一因になった可能性を指摘し、その筆法に苦言を呈したことがある。
 もちろん、所詮は随筆であるものを素直に読み飛ばさずに、すぐに引っ掛かってしまう私がイケないのかも知れない。しかし随筆であっても正確さは求められるはずである。その上で読み易く滋味溢れるものであれば良いのだから。
 それはともかく、「雑司が谷 わが夢の町」では赤彦の短歌に続けて194頁16行め~195頁4行め、前回の最後に引用した「東京人」寄稿に際して訪問したときの印象記になるのだが、ここで、赤彦の短歌の「灯ともしにけり」が、195頁3行め「しかし、鬼子母神の境内は‥‥昔のまま」4~5行め「古ぼけた売店が一軒。日暮れともなると、小さな電球が一つともる」と照応していたのであるが、「鬼子母神懐古――雑司ヶ谷」では175頁14行め~176頁4行め、

 本堂に向かって正面左手、いまどき珍しいオンボロの駄菓子屋がこれもまた昔にかわらず/【175】控えている。オンボロ駄菓子屋とは浮き世をしのぶ仮の姿。その名も上川口屋といって元禄/年間の創業というから、世の中はわからないものである。鬼子母神名物「すすきのみみず/く」は上川口屋の一手販売。地図が貼ってあって、横手の門を出てすぐの家が製造元、駄菓/子屋は昔からの出店なのだろう。

とこの「売店」について、別に詳しく述べて赤彦の短歌は少し離れたところに持ち出している。すなわち、176頁11行めに「お参りの人が以前とくらべて少ないようだ」として「中央公論」連載時の訪問での、境内の様子やその印象を一通り述べた最後に、前回引用した177頁2~3行め「午後まだ早いのに夕暮れのけはい」を感じさせると云う印象を述べて、4行めに赤彦の短歌を持ち出すのである。「夕暮れのけはい」からの連想にしたいがために、5行め「日暮れどきにきたのだろう」などと云うあらずもがなの推測を述べていたのである。
 ここには「雑司が谷 わが夢の町」にあった自然な連想の流れが失われている。僅かだが非常に効いていた恋人の面影も、何故か排除されてしまった。「鬼子母神懐古――雑司ヶ谷」はこれに色々と付け足しし、再構成した訳だが、流れが不自然になった上に牛乳と島木赤彦を結び付けて伊藤左千夫と混同するなどの不注意が生じている。なまじ短く完成度の高い「雑司が谷 わが夢の町」を書いていたため*1、そしてこれを池内氏は自著に再録していなかったこともあって、いづれ単行本に纏まるはずの「中央公論」連載の下敷きにしてしまったのだろう。しかしながら、これは失敗したと云わざるを得ないと思う。 
 同じ人が同じ主題で書いている文章を並べて読む癖が私にあるから、そんな印象を持つのかも知れぬ。しかしながら、やはりこうしないと、こうした奇妙な書き振り、不可解な誤りの原因は、突き止められないと思うのである。そしてその上でやはり私は「雑司が谷 わが夢の町」を買いたいと思う。同じ著者の同じ主題の文章の場合、新しいと云う理由でそちらを決定版と見る向きもあるが、そう単純ではない。比較検討して見るに初稿の方が優れていた、と云うことが、実際、少なくない。(以下続稿)

*1:日本の名随筆 別巻32『散歩』では「雑司が谷 わが夢の町」の前後、190~192頁に緑魔子「町屋 体内感覚を思わせる路地に迷いながら」、196~198頁に十返千鶴子「下落合 坂のある散歩道」と、同じ「東京人」一九九一年三月号を初出とする、長さも同じ3頁のエッセイを収録しているが、それぞれが思入れのある町について短く鮮やかに切り取って示していて、良かった。