瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(53)

 それでは池内紀『悪魔の話』の次の節を見てみます。この節もやはり10月25日付(04)に引いた加太こうじ『紙芝居昭和史』に依拠して、独自の見解により標題である『悪魔の話』へと展開させています。新書版10〜12頁6行め、文庫版12頁12行め〜14頁13行め、

現代の悪魔紳士*1
 残された紙芝居の絵によると、赤マントはなかなかの紳士である。シルクハットに|蝶ネ/クタイ、黒い燕尾服*2にタテ縞のズボンといういでたち。鼻ひげをはやし、すらり|とした長/身で、手に細身のステッキをもっている。肩につけた赤マントは空を飛ぶ道|【文庫版12頁】具ともなった。/絵の一枚では、マン|トが魔法の絨毯*3のように少年をのせ|て大都会の上空を飛んでいく。少/年|のかたわらにシルクハットの紳士が|ステッキをかざしてさっそうと立っ|ている。
 どこかで見たことのある姿ではな|かろうか。戦前の伊達男*4たち――何|よりも江戸川乱歩/の『怪人二十面|相』でおなじみだろう。それはとき|には「青銅の魔人」であったり、|「夜光/人間」であったり、「透明人|間」だったりもした。自由自在に姿|を変え、念入りにも当の宿/敵明智小|五郎に化けたこともある。魔人、怪|人、妖怪博士と、さまざまに変身し|【文庫版13頁】たが、た/えず立ち返ったのは、シルクハットにステッキの優雅な紳士である。
 加太こうじによると、赤マントのデマは、おりから拡大の一途をたどり、いつ終る|かわ/からない日中戦争のために、子どもの世界にすら不安感が生じたことと、さらに|は忠君愛/国を口癖にした息苦しい世相のなかで、子どもたちが「エロ・グロなどの強|い刺激に抑圧/された気持の捌*5け口」を見出したためだという。
 そうにちがいない。とともにもう一つ、少年たちはシルクハットと黒い燕尾服の、|絵に/【新書版10頁】かいたような紳士のなかに、ひそかな悪の原像といったものを敏感に感じとって|いたので/はあるまいか。時代に合わせて洗練され、おそろしく現代化した悪魔紳士で|ある。世の紳/士録にピッタリの姿をとったサタンの末裔*6
 あきらかに赤マントや怪人二十面相には、おなじみのアルセーヌ・ルパン物をはじ|めと/する神出鬼没のヨーロッパ産怪人たちのお手本があった。さらにそのお手本をた|どるとき、/中世のグロテスクな肖像から、ものの見事に変貌をとげた、いとも優雅な|悪魔像にいきつ/く。


 新書版11頁及び文庫版13頁の上半分に『紙芝居昭和史』の挿絵を転載して、横組みで新書版は明朝体、文庫版はゴシック体で「「紙芝居「赤マント」」とキャプションを附しています。
 さて、『赤マント』と題する紙芝居があったという説明は、ネット上にはそれなりに流布しています。検索窓に「紙芝居 「赤マント」」と入れて検索するに、「紙芝居『赤マント』」と二重鍵括弧で括った、すなわち題名扱いしているサイトがいくつもヒットします。尤も『悪魔の話』の書名を挙げていないところもあり、また前回指摘した池内氏の独自(らしい)部分も踏襲していないので、池内氏に従って誤ったのではなく、池内氏と同様、加太こうじ『紙芝居昭和史』の挿絵に「『赤マント』」というキャプションの附されていることでそういう題の紙芝居があるような気にさせられて、本文の方に「題名はわすれたが」とあるのをすっ飛ばしてしまった人が、いるのかも知れないという気もしてきました。池内氏につられて誤ったのではなく、池内氏と同じように誤ったのだ、と。それに、加太氏の本にも池内氏の本にもつかずに、誤っている他サイトをコピペもしくは若干書き換えただけだという人も、いるのでしょう。
 それはともかくとして、池内氏は「残された紙芝居の絵によると」としていますが、これは事実誤認でしょう。加太氏が「題名はわすれたが」といっているくらいで、大阪の警察が押収して焼却したと警視庁から画劇会社に通告があったというのですから、そんなものの写しがあったとして会社が処分せずに保存したとは思えません。そもそも『紙芝居昭和史』の図は紙芝居そのものではなくて、加太氏が回想して書いた素描だと思うのですけれども。加えて、魔法使いの紳士についてはこの挿図1つに依拠して書いているはずなのに「絵の一枚では」などとしているのは、これも随筆独特の筆法なのでしょうけれども、やはり悪い癖であるように思えます。(以下続稿)

*1:文庫版は1字下げ。なお新書版・文庫版ともにこの前1行分空白。

*2:文庫版のみルビ「えんびふく」。

*3:ルビ「じゆうたん」。

*4:ルビ「だておとこ」。

*5:ルビ「は」。

*6:ルビ「まつえい」。