瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

和楽路屋『東京区分地図帖コンパクト版』(1)

 雑司ヶ谷の高田書店には、私には勿論、ここまでする程の思入れがあるはずもないのだが、思い掛けず新たな切り口が得られることもあるので、事の序でに色々と、図書館に行く度に漁ってしまうのである。
 ところで、2020年2月撮影の Google ストリートビューに基礎工事をしているところが写っていることは、4月9日付「水島新司『ドカベン』(60)」に注意して置いたが、その後「cha chat」と云うカフェが新築開業している。

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 私は中学時代以来、矢鱈と歩き回る癖があって、中学のときは、学校の脇を東海道から枝分かれした金沢道が通っていたので、金沢道やその周辺の昔ながらの村落などをよく歩いたものである。高校のときは山岳部で、学校の裏が山だったから越す必要のない山を越して、普通の10倍回り道をして帰ったりしたものだった。東京に出て来てからは、1:10000地形図を手に、都内を歩き回った。夏などは大手町を下駄で歩いたりした。
 所謂文学散歩のようなことはしなかった。作家の旧宅跡に行き当たることがあっても、それは古そうな裏道を通るうちに偶然行き当たったので、目的地として事前に調べて行くようなことはしなかった。金も立食蕎麦代くらいしか持っていなかった*1ので、飲食店や本屋・古本屋に立ち寄ることは殆どなかった。だから私には都内の老舗・有名店などの知識が殆どない。そんな生活を若い頃から続けて来たので、今、自粛をしろと云われて、全く窮屈に感じない。そもそもが自粛生活だったのだ。将来金持ちになる見込みがないと思っていたので、酒も煙草も意識して避けた。手を出すとかなり生計を圧迫すると感じたからである。色事の方は、身だしなみに頓着しなかったので殆ど何事もなかった。いや、何事かを起こそうと努力する気力がなかったのである。
 こうしたやや消極的な生活態度は、昨年手術するまで常に片方の鼻腔が詰まった状態だったためかも知れない。1人で歩いていたり、黙って本を読んでいたり、そういうことは余り苦にならない。それとて集中してやっている訳ではない。休み休み、やっているのである。だから誰かと同行していると、相手のペースに合わせるのが一寸面倒である。家にいると矢鱈と茶を飲むので、湯を沸かしたり、小便に立ったり、何かと忙しい。気づいたら暗くなっていた、みたいな集中力は、ついぞないのである。
 だから、冨田均(1946.8.27生)の『東京徘徊』以下の都内の散歩を綴った本も手にしたことがなかった。久しく都内に出なくなった今頃になって、初めてこの妙に克明な記録を手にして、2019年11月10日付「芥川龍之介旧居跡(09)からしばらく検討した、Lyle Hiroshi Saxon が平成初年に撮影した東京の街歩き動画と対照してみたくなっている。
 そして、その冨田氏が推奨している地図のことが気になっている。
冨田均『住所と日付のある東京風景』一九八九年七月二〇日 第一刷発行・定価二〇〇〇円・新宿書房・268頁・四六判上製本
 30篇あって「日付」は「一九八一年…昭和五十六年|四月一日」から「一九八一年…昭和五十六年|四月三十日」まで、すなわち昭和56年(1981)4月1ヶ月分の散歩と、嘱目したもの等からの連想を書き連ねたものである。
 2篇め、021~031頁「小橋と富士と鈴江組」の冒頭、021頁9~12行め*2に、

 歩くときどんな恰好をしているのか、と聞かれることがある。特別な恰/好は何ひとつしていない。季節に応じた極くふつうの恰好で、持ちものは至って少なく、ショル/ダーバッグに地図が入っているだけである。以前は江戸絵地図、昭和戦後の新住居表示施行前の/地図、それに現代の最新地図の三通りを用意していたが、今は江戸絵地図は持っていない。‥‥

とある「昭和戦後の新住居表示施行前の地図」だが、10篇め、095~111頁「水景とプラタナス文房堂」の108頁6行め~109頁3行めに、

 地図を求めて古本屋を二、三覗く。収穫なし。出来のいい東京地図を探しているのだが、今の/今に至るまで、依然として昭和三十八年承認の記載がある神田神保町二―二十八和楽路屋*3発行の/『東京都区分地図帖コンパクト版』を超える地図がない。誤記はあるが、誤記はただせばよい。地図づくりの思想もアイデアも情熱もないのは、ただしようがない。私を散歩者に仕立てた一支/援者に和楽路屋の名を挙げるのに私はちゅうちょしない。このコンパクト版には二百六十円の定/価がついているが、私はそれよりずっと安く買い入れた。そしてその数百倍の恩恵を受けた。店/は豊島区雑司が谷鬼子母神参道入口の大ケヤキが二階部分にかかる高田書店(雑司が谷三―十六/―一)である。価値を知らなかったらしく、捨て値同然で店に出ていた。
 靖国通りから一本南側の裏通りに移る。すずらん通りである。「アクセス」あたりはどうかと/入ってみるが、地方や郷土資料に力を入れているわりには肝心の地図がなおざりだ。古地図をこ/の種の店に求めるのが無理なのは承知しているが。しかし、私がほしいのは、古地図と言っても/新住居表示法施行以前の、言わば東京オリンピックへ向けて「都市化」をスローガンに驀進して/【108】いた時代の地図なのである。たとえば昭和二十年代、あるいは二十年代から三十年代へかけての/地図なのである。これが意外と手にしにくい。戦後ばかりでない。昭和の戦前も手にしにくい。/今の時代は不思議なことに、江戸絵地図より昭和の地図の方が入手困難なのである。

とあって、鈴木則文監督映画『ドカベン』の「朝日奈書店」のロケ地になっていた高田書店で入手しているのである。今はネットで他店が幾ら付けているかすぐに分かってしまうが、当時はそうでなかったから「掘り出し物」も多々あったのである。今でも全て他店の値付けを調べた上で売りに出す訳ではないだろうから、なくなりはしないだろうが以前よりは少なくなったのではないか。(以下続稿)

*1:交通費も持っていなかった。定期券にJRの山手線内均一回数券(1600円)と営団地下鉄の160円区間回数券で済ませていた。

*2:最初は11字下げ。

*3:ルビ「わ ら じ や 」。