瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(104)

 以下、2021年8月22日に書き上げて23日に補訂して、仮に「白馬岳の雪女()牧野陽子の小松和彦説?」と題して保存して置いたものを、殆どそのまま投稿する。
「白馬岳の雪女」については一昨年の秋、信越古書店からネット注文で長野・飯田・富山で戦前・戦中・戦後に刊行された伝説集を、合計数千円で買って準備を進めていたのだが、その後、国立国会図書館デジタルコレクションの公開範囲が拡大してネットでの閲覧が可能になり、そうでなくても所有してしまうと何だか安心してしまって却ってやる気が起こらなくなってしまうところに、更に昨年末に全文検索機能も附加されたことでいよいよ Motivation が下がって(?)そのままにしていたのだが、この夏に仰天するような内容の近刊予告が出ていたことを秋になって気付いたのである。そこでやはり続けないといけないと思い返しているうちに、当時はまだ刊行前だったその本は今、某区立図書館から借りて私の手許にある。とても、直ちに準備が整うような問題ではない。そこでぼちぼち、昔書いて放置してあった草稿を投稿して、気持ちを高めて行こうと思っているのである。
 その手始めの本記事は、2021年8月14日付(018)の後半部で「牧野氏は今野圓輔や小松和彦の見解*6を取り上げて、」とした辺りの、小松和彦の見解なるものを確認したものである。私は牧野氏の説にほぼ賛成なのだが、ここは少々問題があると思っているので確認して見た。そして牧野氏に件の本について書いてもらいたいと思っているのである。私が言葉を尽くしても伝わりそうにないので。

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牧野陽子が小松和彦の見解として引いているナツメ社の「図解雑学シリーズ」の1冊、小松和彦『日本の妖怪』(2009年8月6日 初版発行・定価1500円・口絵XVI+239頁・B6判並製本

 カラーの口絵がXVI頁あり、続いて「編著者   小松和彦/執筆者代表 飯倉義之」連名の「はじめに」1~2頁。3~10頁「目次」、以下各章は扉(頁付なし)と最後の偶数頁「Column」を除く見開きごとに1項、横組みで左頁に解説、右頁はイラストとその解説、と云う構成になっている。11~42頁「第1章 妖怪とは何か」43~136頁「第2章 妖怪図鑑」137~182頁「第3章 妖怪からみる日本の歴史」183~214頁「第4章 妖怪と人間の関係」215~233頁「第5章 妖怪の現在/未来」234~237頁「索引」238~239頁「著者紹介」。
 114~115頁「吹雪の夜に現れる美女雪女
 114頁3~4行めのリード文「吹雪のなかに女性の姿を見出す日本人の感覚と、西洋文学の「宿命の女」がミックスされた。」1行分空けて、5行めの解説の見出しも「●ハーンによって脚色された男と女のストーリー」となっていて、何処かで見たような按配である。
 6~11行めに粗筋を要領良く紹介している。そして12~17行め、

 以上が書店に絵本として並び、今日最もよく知られている雪女であるが、/元来雪女は、ただ雪の中に現れては人に目撃されるだけの存在である場合/が多く、人を殺すような恐ろしい性格をもつような例は少なかった。場所/によっては子どもを連れ去ってしまう「山姥*1」のような性格を帯びていた/り、お風呂や囲炉裏*2の暖かさで溶けて消えてしまうといった笑い話のよう/な存在であったりもする。

18~26行め、

 人間の男と情を交わすようなタイプの雪女は明治時代に東京帝国大学で/教鞭をとっていたラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)が著書『』の中に発表したものが最初に現れたものといってよく、ハーン自身は/東京の調布村出身の使用人から聞いた話だとしている。しかしハーンは来/日前にも自然界の精霊の女が人間の男と夫婦となったのち男の許を去って/しまう話を執筆しており、そのため吹雪や大雪の中に女性を見出す日本人/の感覚にハーンが感銘を受けて、当時の西洋の文学界において流行してい/た「宿命の女*3」(男にとっての運命の女性、あるいは破滅させる魔性の女)/としての雪女のモデルを創作したのではないかとも考えられている。(広川)

最下部、横線があって、27~29行め、

<参考文献>小泉八雲『怪談』初出1904年、今野圓輔「雪女」『日本怪談集 幽霊編』/(社会思想社)1969年、『日本伝説大系』3(みずうみ書房)1982年、牧野陽子「ラ/フカディオ・ハーン『雪女』について」『成城大学経済研究』105 1989年

とあるのだが、ここは色々おかしい。まづ『日本怪談集 妖怪篇』1981年、だし、牧野氏の論文は講談社学術文庫1037『小泉八雲 回想と研究』に再録された方を挙げるべきだろう。
 115頁「各地に伝わる雪女」と云うイラストは、模様の入った帯に赤襦袢(青黒2色刷なので青襦袢だが)の、ただの美人画である。説明も他の項目に比して少なく「もともとの雪女は雪の中/で目撃されるだけだった。/後にラフカディオ・ハー/ンによって、現在絵本で/描かれているような雪女/になった。」とのみ。
(広川)は238~239頁「著者紹介」を見るに、編著者の小松氏の他に著者として50音順で12人、その最後(239頁15~18行め)に紹介される「広川英一郎」であることが分かる。当時「國學院大學大学院博士課程後期」の学生であった。以下、分担を確認して置こう。「~」は連続する記事。「*は編集協力者」。
小松和彦 12、38、222。
・飯倉義之* 14、40、42、80、110、128、176、184、224~226~228~230~232。
伊藤慎吾 142~144~146~148~150、200~202。
・伊藤龍平 88、90、106、154、198。
・井上綾子 60~62~64、66~68。
・今井秀和* 28、32、44~46、48~50~52、82、86、96、102、112、122、138、204。
・及川祥平* 20~22、30、98、130、132、134、158、190~192、206~208、210~212、216。
・木場貴俊 108、116、118、120、140、160~162~164。
・齊藤純  16~18、24、92、220。
・佐藤太二 124、126、152、156、166~168、170、194~196。
・清水潤 172、174、178~180。
・竹内邦孔 54~56~58、94。
・広川英一郎* 26、34~36、70~72~74、76、78、84、100、104、114、186~188、218
 編集協力者のうち飯倉氏は「執筆者代表」で13本、他の編集協力者3人はそれぞれ15本執筆している。
 内容から見て、広川氏は雪女の専門と云う訳ではないようだ。分担で「雪女」を受け持つことになり、どの程度資料を探索したのかは分からないが、牧野氏の論文(旧稿)に逢着して、これを元に執筆したから、牧野論文に基づいた内容になっているのである。小松氏が「編著者」になっているが、どの程度各執筆者の内容に介入したのかは分からない。小松氏の名で出ている以上は、小松氏も承認したと云うことにはなるだろうが、これをそのまま小松氏の意見だとするのは乱暴だろう。
 かつ、私が気になるのは、広川氏が國學院の先輩で、恐らく世間話研究会で顔を会わせているはずの大島廣志が牧野氏に反論している「「雪おんな」伝承論」を参照していないらしいことである。他の多くの学者と同じように広川氏も大島論文に気付かなかっただけなのか、牧野論文の方に分があると思って採用しなかったのか、どちらなのかも、これだけでは分からない。ただ、内容・<参考文献>とも牧野論文にべったりであるところからして、どうも前者らしく思われるのである。

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 以上が草稿で、少し加除訂正するつもりだったが結局無駄な空白の行(加筆するつもりで空けて置いたのである)を詰めただけにした。――要するに、小松氏が仕切った企画の分担執筆者が、大島氏の論文に気付かず、牧野氏の論文に依拠して担当分を書き上げた、と云うまでのことで、これを以て小松氏の見解とするのは如何なものか、と思ったのである。
 実は2022年4月8日付(103)に取り上げた、立山黒部貫光の『立山と黒部の昔ばなし』の内容を紹介したものを(104)として準備していたのだが、書き掛けで滞っている。それやこれやを、これを機にぼちぼち復習して行くこととしたい。(以下続稿)

*1:ルビ「やまんば」。

*2:ルビ「 い ろ り 」。

*3:ルビ「ファム・ファタール」。