・和田登『民話の森・童話の王国 信州ゆかりの作家と作品』(3)
昨日、和田氏が白馬岳の雪女について「物語としても一級である」と評していることに疑問を差し挟んだのであるが、「白馬は民話で名高い「雪女」の里です」と云う案内板が設置されるくらい、地元の伝承扱いが定着してしまっているのである。8月9日付(13)に触れた浅川欽一のように見識を示して、無視することも出来たであろうが、捨てるに忍びなかったのであろう。スルーした場合、連載している「信濃毎日新聞」の読者から何故触れないのか、と苦情が来たかも知れない*1。しかし、そう云った反応を気にして取り上げたのではなく、『富山の伝説』に同工の「雪女」を取り上げた大島廣志のように、別の話(十六人谷)との類似にも注目して敢えて残した、と云うのでもなく、やはり「物語としても一級」と思っているので、取り上げてコメントして置きたかったようにも、思われるのである。
では、和田氏が民話の取り扱いに無頓着であったのかと云うと、そんなことはないので、「第1部 民話編」の最後、「民話編のためのエピローグ」に、次のような記述がある。118頁2~14行め、
現代において民話について語るとき、もっとも戸惑*2うのは、たとえば「つつじの乙女」ならどの本に収め/られているそれがもっとも原形に近いのか、といったことについてである。活字文化は、確かに私たちに/至福*3をもたらしたけれど、民話に関していえば多くの混乱におとしいれた。活字、文字に置き換える作業の/なかで、文章でよく表現したいがための文学的粉飾*4が行われるようになった。
そこには自ずと、再話者の文学的表現上の願いが重ねられていく。まだ活字が普及しておらず、純粋な/口承*5文芸であったその間は、口から口への伝承であったがために、肉体の一部で語られるその素朴な温もり/が、そのままに伝えられた。が、一度ペンと活字を手中にしてしまった大衆は、ときとして民話を自由自在/に紙の上でいじることのできる神の立場になった。
そこから、民俗学的研究をしたりする者にとっては、不都合が生じるようになってしまった。もっとも何/が元の姿であったかを、推理作家のように推理したり、探検家のようにそれを訪ね歩く楽しみもなきにしも/あらずだが、基本的には無原則の民話の改変には賛成できない。
そうした意味からすると、『信濃の昔話』(日本放送出版協会)の箱山貴太郎氏を中心とする編者たちの業績や、/浅川欽一氏採録*6の同名書物(スタジオ・ゆにーく)などにおけるその仕事ぶりには敬服せざるを得ない。
浅川氏の『信濃の昔話』は、中学1年生のときに県立図書館で借りて、カセットテープを聴いた記憶がある。いや、聞いた内容までは覚えていないのだが、カセットテープ付きであることが印象に残っているのである。箱山氏の『信濃の昔話』も見ただろうと思うのだけれども、記憶に残っていない。