瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(42)

 昨日の続き。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(22)「一」12節め①
 いよいよ「一 白馬岳の雪女伝説」の最後の節、44頁9行め~47頁6行め「北安曇の「雪女郎」の正体」を見て置こう。44頁10行め~45頁6行め、

 日米開戦を半年後にひかえた一九四一年六月、長野県飯田市の小さな書店から『信濃の伝説』/という本が出版された。この時代によくこのような本が出版できたものだと感心するが、どのよう/な仕組みなのか、戦時の統制下、意外なほど多くの民話や伝説の単行本が、地方の小さな書店から/出版されていた。戦後のものといわれる民話ブームだが、その萌芽は実はこの頃にあったらしい。/【44】『信濃の伝説』も、こののち、すぐに続編が刊行され、また、正続をあわせ編集しなおし、『信濃伝/説集』と改題のうえ、一九四三年に再刊されている。ただし、どの版も部数は多くなく、流通もも/っぱら信濃地方に限られていたのではないかと思われる。とくに最初の一九四一年の『信濃の伝/説』は稀覯本で、わたしの近隣でこの本を所蔵していたのは、大阪の国立民族学博物館だけで、わ/たしもその一本を閲覧させていただいた。
 この珍しい本の中ほどに、「雪女郎の正体」という、「北安曇」の伝説が記されている。


 昭和16年(1941)には社團法人日本出版文化協會や日本出版配給株式會社が設立され、用紙の配給など出版への統制が行われた。そのため、以後、審査を通り易い学術的な出版物が多くなる傾向があったようだ(舟橋聖一『花實の絵』)。ここに伝説や昔話などが入って来る。――2019年9月16日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(119)」の「年表「白馬岳・蓮華温泉」の怪談」に示したように、長野の信濃郷土誌刊行會から昭和9年(1934)に刊行された杉村顕『信州百物語』が、この流れに乗じて昭和17年(1942)に『信濃怪奇傳説集』と改題して再版され、昭和18年(1943)に五版まで、さして面白くもなく内容的にも優れている訳でもないのに*1、版を重ねることとなっている。
 柳田國男の指導の下、昭和初年から軌道に乗り始めた昔話採集の成果が、柳田國男 編『全國昔話記録』全13冊(三省堂)として昭和17年(1942)から昭和19年(1944)に掛けて刊行されたのも、この流れに乗ったものである。私の出身大学の図書館に所蔵されている本は、見返しに前線兵士に宛てた女学校生徒の激励文が書いてあって、慰問袋に入れて送られたものと思しい。何処の誰が受け取ったかは分からないが、無事復員して後に古本屋に売ったのを、私の大学の教授が購入しその急逝後、民俗学関係の稀書が多いので図書館に納まったのである。――私が昔話に興味を持った頃には昭和47年(1972)から昭和48年(1973)に掛けて、口絵写真を添え新字新仮名に組み直し、一部を入れ替えた函入上製本の『日本昔話記録』全13冊(三省堂)が新本で入手可能であった。
 それはともかく、今、私の手許に『信濃の傳説』はない。しかしながら右に述べた某教授旧蔵の『信濃傳説集』が大学図書館に所蔵されていたのを*2、一昨年の秋には借りて手許に置いていたのである。しかし、当時は記事にしなかったので目を通したのみ、戦中の刊行物で紙質も製本も悪く、手荒に扱うと壊れてしまいそうだったので複写も取らなかった。
 その後、一昨年度末以来大学図書館には学生教職員しか入れないらしく、当時借りていた本は未だに私の手許にあって、督促もない。いや、一度返しに行こうと思ったのである。しかし、返却にも及ばないと図書館HPにあったので、そのまま1年以上になる。手許にあると、私のような図書館派は却って何もしない。困ったものである。
 それもともかくとして、遠田氏は稀覯書であることを強調しているが、村沢武夫『信濃の伝説』に白馬岳の雪女の話が載っていることは、既に大島廣志「「雪おんな」伝承論」に指摘済みである。――大島氏の論文も一緒に眺めながら見ていこうかとも思ったのだが、大島論文は別に頭から検討することにしたいので、追って取り上げることとしよう。(以下続稿)

*1:『信州百物語』については「・杉村顯『信州百物語』の評価」として、2019年9月14日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(117)2019年9月15日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(118)2019年9月19日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(122)2019年9月20日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(123)2019年9月21日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(124)」まで5回にわたって私見を述べた。他の記事にも間々触れるところがある(検索窓に「信州百物語」と入れて検出されたし)。

*2:こちらには『全國昔話記録』と違って女子学生が慰問袋に入れて、と云ったような由来はなかった。