瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(068)

 昨日の続き。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(29)「二」1節め②
 確かに、牧野陽子のように「白馬岳の雪女」はハーン「雪女」に基づくもので、原話などではない、と思っていたとしても、前回引用したように『信濃の民話』に載る「雪女」の最後に「採集 村沢武夫/再話 松谷みよ子」と添えてあれば、土地の伝承を村沢氏が「採集」したものだと普通は思う。松谷氏は村沢氏の「採集」した資料を提供されたのだと。そこを青木純二『山の傳説』からの書承であることを明らかにしたのは、遠田氏の手柄である。尤も、村沢氏が拠ったのは『山の傳説』ではなく別の本なのだけれども。
 それは良いとして、ここで牧野氏が批判するような「演出」が入る。それは「多くのハーン研究者同様、わたしも、この「村沢」を「信濃の民話編集委員会」の一人と思いこみ」との件である。
 「「信濃の民話」編集委員会」について、遠田氏はこれ以上説明していない。しかし、普通に、現地の資料提供者たちを共著者扱いしているのだろう、と思う。
 そこでこの辺りが実際はどうだったのか、先月隣の市の図書館で借りて今私の手許にある、2019年12月20日付「日本の民話1『信濃の民話』(1)」に挙げた諸本のうち、2020年3月12日付「日本の民話1『信濃の民話』(2)」及び2020年3月13日付「日本の民話1『信濃の民話』(3)」に取り上げた上製本(初版)第一刷にて見て置くこととしよう。
 1~3頁「は し が き」は、3頁5行め「一九五七年六月」付で、下寄せで3行、6行めは小さく「葛飾区金町四の三九」、そして7~8行めにやや大きく「瀬  川  拓  雄/松  谷  み  よ  子」連名である。さらに続けて頁の左側下半分に、9行め「編 集 委 員(アイウエオ順)」として2段に、13人を列挙する。1人に7字分でゆったり組んでいるが検索の便のため詰めた。上下段の間は2字分空けてある。上段「太田正治/興津正朔/楜沢龍吉/黒坂周平/児玉信久/瀬川拓男/高見沢博一」下段「田中磐/牧内武司/松谷みよ子/向山雅重/村田宗之/和田亀千代」で、瀬川氏の名前はこちらが正しい。
 それはともかく、ここに村沢武夫の名前はない。村沢氏は当時、恐らく飯田市在住で、下伊那郡の村誌執筆その他旺盛な著述活動を続けており、しばしば寄稿していた伊那史学会の機関誌「伊那」には、「信濃の民話」編集委員の牧内武司(1899.12.1~1989)や向山雅重(1904.7.6~1990.1.24)も寄稿しているから、連絡が付かなかったとも思えない。
 それはともかくとして、村沢武夫が「「信濃の民話」編集委員会」のメンバーでないことは「はしがき」によって直ちに判明するのだから「採集 村沢武夫」のカラクリが分かるまでメンバーと「思いこ」んでいたとは少々注意不足と云わざるを得ず、やはり「多くのハーン研究者」はこの件も「同様」に思われたくはないのではないか。
 いや、素で書いているのだとすれば注意不足だが、そうでない可能性、すなわち「演出」である可能性を(牧野氏のせいで)考えてしまうのである。そうだとすれば「左翼演劇青年でもあった瀬川の好み」と絡めて書きたかったからだと思うのだが、村沢氏が編集委員会のメンバーでない以上、そんなところを無理に結び付けて書く必要はないし、編集委員会に触れたいのであれば村沢氏はメンバーではないことを面倒がらずに書くべきであった。――すっきりした叙述にはならないが。
 さて、次回、『信濃の民話』の細目を点検して、13名の編集委員がどのように関わったのかを確認し、他に村沢氏のような関わり方になっている人がいないか、見て行くこととするが、まづ今回は「はしがき」から、編集委員会に関係しそうな箇所を抜いて置くこととする。1頁7行め~2行め3行め、

 信濃の民話を本にまとめよう……。この話ができたのは、一年前のちょうど今頃でした。幸い、信濃の昔/話や伝説については、柳田国男先生の御研究にもあり、また、すでに故人となられた小山真男、胡桃沢勘内、小/池真太郎、岩崎清美等の諸先輩の貴重な文献や資料も残されています。この他、編集委員である牧内武司氏をは/じめ、郷土の民俗研究者の、きわめて地味な活動が現にすすめられているとはいうものの、信濃全体の民話をま/とめ、しかも全国の人々に紹介するとなると、そこにはむずかしい問題がいくつも横たわっておりました。
 まづ、郷土の民俗研究者の横のつながりがなく、信濃全体にわたっての体系的な研究が不充分であること。次/に、方言で語られた原話をどのように再話するかが、学問の立場からも、文学の立場からも充分に明らかにされ/ていないこと。これらの基本的な問題にぶつかりながら、しかし、なによりも私たちをはげまし、勇気づけてく/れたのは、実に数多くの郷土の人たちの御協力でありました。
 養老院につとめながら、そこの老人たちの昔話を集めている木曾の山崎さん。狐の話にくわしく、桔梗原の狐/【1】の地図までそえて知らせて下さった松本の赤羽さん。その他、夜のふけるのも忘れて洪水に苦しんだ村の伝説や、/女の悲しみを話してくれた沢山の御老人や村の小母さんたち……。一人一人の名前はとてもあげることはできま/せんが、このような郷土の人々のかくれたご厚意と御協力によって、はじめてこの本がまとまっていきました。


 小池真太郎は『小谷口碑集』の編者小池直太郎(1894~1943)であろう。
 ついで13話の題を挙げて「信濃の特色ある物語」についてざっと説明し、2頁14~15行め、

 特に編集委員である和田亀千代氏のよせられた「鬼女紅葉」の大伝説。その他、多くの昔話や伝説についても、/私たちの研究の不足や紙数の関係ですべては次の機会にゆずらざるを得ませんでした。

とあるが、続刊されなかった。(以下続稿)