瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

日本の民話1『信濃の民話』(10)

 ここで「信濃の民話」編集委員会について改めて見て置こう。
 瀬川拓男・松谷みよ子夫婦は編者で、再話を担当している。
 瀬川氏は【1】及び【9】【17】【24】【25】【27】【33】【46】の8話を担当、そうすると松谷氏は「わらべうた」を除く50話のうち42話を担当したことになる。瀬川氏は常体、松谷氏は敬体なので文体からも区別出来る。
 すなわち、本書の原稿は全て瀬川・松谷夫妻で分担して執筆している訳で、2019年12月20日付(1)に挙げた諸本のうち⑤新版のカバー表紙・背表紙、扉では「瀬川拓男・松谷みよ子 編」となっていて、奥付の最後に以下のように断っているのも故なしとしない(松谷氏の逝去から丁度1ヶ月半後の刊行で、松谷氏の諒承は取っていたものと思われるのだけれども)。

本書の編者名はこれまで『「信濃の民話」編集委/員会』と表示してきましたが、今回より実質的な/企画・再話・編集者である『瀬川拓男・松谷みよ/子』に変更しました。


 但し奥付の前の頁(頁付なし、313頁の裏)の下部中央にごく小さく、

本文中、現在では用いられない表記・表現がありますが、刊行当時/の資料的意味と時代性を尊重し、そのままにしてあります。
ご了承ください。
また、再刊にあたり、連絡のとれない関係者のかたがいらっしゃい/ます。ご存じの方がおられましたら、弊社までご連絡ください。
                          (編集部注)

とあるから印税の支払いはなされているようだ。実際、編集委員にはどの程度支払いがあったのであろうか(と少々腥いことを考えて見る)。
 楜沢龍吉・児玉信久・牧内武司・村田宗之は「採 集」として複数の資料を提供しているが、牧内氏については著書から採ったものが少なくないようだ。
 興津正朔は「採 集」1話のみ。黒坂周平は【33】の「附 記」に名前が見え、和田亀千代は「はしがき」に採用出来なかった話の提供者として見えている。太田正治・高見沢博一・田中磐・向山雅重の4人は「はしがき」に名前が挙がるのみ。それぞれの居住する地域などで話者の紹介や話の選定に関わったのであろうか。
 うち幾人かについては著書もあり、それらを確認すればもう少し判明することも多いと思うが、後日の課題としよう。――『民話の世界』では話者との偶然の出会いなどが強調されていて、編集委員会には触れていなかったように思う。しかしながら、話者のうち若林多助や生駒勘七は小学校教員の傍ら郷土史の研究をしていた人物で、当然のことながら、資料や話者はこういった人脈を辿って得て行ったものが少ないないであろう。
 そんな中で「採 集」として資料提供者のように見えて、編集委員会に入っていない人物が4人いる。うち2名、小山真夫と岩崎清美は「はしがき」に断ってあったように「故人」で、その「文献」から採ったのであるが、もう2名、村沢武夫と杉村顕も、やはり文献から採ったのである。
 このうち岩崎氏については10月20日付(08)に簡単に確認したが、他の3名については牧内氏の著書ともども、追って詳細に及びたいと思う。実はこの資料の選定と扱いに、本書の問題点が(遠田勝が「雪女」について指摘しているような)存するのである。
 それから挿絵について一通り確認し、サインを点検し直し、微修正を加えたが煩雑になるので一々註記しなかった。
 挿絵を担当した「太郎座美術部」のうちサインがあるのは「ゆ」と「や」そして「比」=「比呂也」の3名だが、判明したのは「ゆ」の金沢佑光のみで「や」と「比呂也」はまだ見当を付けられていない。他に無落款で描いている人物が最低でも3人はいる。
① ペン画のようなタッチで線で輪郭を描く【1】の作者。「や」も線を主とする画風だが細かくグロテスクである。暖かい画風で【20】も同一人の手に成るものであろう。【14】もやや似るが同一人物かは確定出来ない。
② 落ち着いて端正な日本画風の【3】【4】の作者。【19】【32】【34】【44】も同一。
③【21】【31】【33】【36】【40】【46】【48】【50】も似ているがやや簡略で同一人物かは確定出来ない。
③ 系統としては「や」に似た日本画風の【8】の作者。
④ やはり「や」と同系統で線のみの【45】の作者。
 太郎座については、松谷みよ子・曽根喜一・水谷章三・久保進『戦後人形劇史の証言――太郎座の記録――』がある。これを見たら見当が付けられるであろうか。(以下続稿)