瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

西澤裕子『風の盆』(1)

西澤裕子『風の盆』昭和五十六年三月五日 第一刷発行・定価 一、三〇〇円・日本放送出版協会・274頁・四六判上製本
 私は風の盆については殆ど知識がなかったので、高橋治『風の盆恋歌』に先行する文学作品と云うことで、1月14日付「成瀬昌示 編『風の盆おわら案内記』(3)」に本書の書影を示したのだが、内容が分からないので奥沢九品仏の「お面かぶり」や銀河テレビ小説「やどかりは夢をみる」のことばかり書いてお茶を濁したのだった。銀河テレビ小説の、脚本家本人による原作小説なのだが、検索しても、何せ41年前の小説なので、本書を読んだと云う人は殆ど引っ掛からず、銀河テレビ小説を見た人も、ごく少数の人が僅かな情報を上げているばかりである。本書は公立図書館にも殆ど所蔵されていないのだけれども、隣の市の図書館にあったので借りて来た。
 ドラマの原作で読み易いが、気持ちの良い話ではない。よって晩に少しずつ読んでなかなか捗らなかったのだが、先月中旬、3回めのコロナワクチン接種の折にかなり読み進めることが出来、2週間ほどで読み終えた。
 本書の本体には何処にもドラマ原作であることは書かれていない。版元が日本放送出版協会なのでNHKの番組に関連するであろうことが察せられるばかりである。尤も、ドラマのことは帯に断ってあったのだが、図書館蔵書は帯を保存しないので分からなくなっている。Amazon詳細ページの書影に掛かっている帯の文字を見て置こう。表紙側しか分からないが、全体が黄色地で左側におわらを踊る菅笠を被った主演の梶芽衣子の写真、その右上に横組みで大きく「NHK銀河テレビ小説の原作」とゴシック体、その下右に明朝体横組みで「『越中おわら風の盆』の/祭りを背景に若者たち/の愛の真実を描く。」その下右寄せで2本の横線の間にゴシック体横組みで小さく「総合テレビ *好評放送中!! /<月~金>よる9時40分~10時」とある。
 放送は昭和56年(1981)3月2日~27日まで全20回、41年前の今、私がこの記事を書いている頃に第1回の放送があった訳である。丁度春休みに入る頃だから昭和59年(1984)の同じ時期に放送された「やどかりは夢をみる」同様、再放送を普段はこういうものを見られない学生が見る可能性も高くなる訳だが、ちょっと内容的にどうかと思うようなところがある。
 カバー表紙はAmazon詳細ページの書影にある通りで色の着いた和紙をあしらった地に、明朝体縦組みで上部中央に紺色で大きく標題、その右に青でやや大きく著者名、カバー背表紙、上部に紺色で、幅一杯だが表紙よりは小さい標題、中央やや下に表紙と同じ色と寸法の著者名、最下部にゴシック体横組みで小さく2行に「日本放送/出版協会」とある。地の模様はカバー表紙からカバー裏表紙まで連続しているが、カバー背表紙は(私の見た本は褪色しているが)全体に赤い色を被せて、和紙の色と模様で標題や著者名が見えづらくならないようにしてある。
 カバー裏表紙は右上にゴシック体横組みでカバー背表紙最下部の版元名が1行で、右下にゴシック体横組みで「0093-006094-6023 定価1,300円」とある。
 私の見た本はカバー折返しがほぼ完全に保存されていて、表紙折返しは右(4.3cm)が和紙の地の続きで左(4.0cm)は白地、裏表紙折返しは左(4.4cm)が和紙地で右(3.8cm)白地。
 見返し(遊紙)は細かい凹凸のある藤色の用紙。
 コート紙の扉は白地で右上から下、それからやや左上に淡い赤で和紙の柄を印刷してある。文字は藤色で上部中央に大きく標題、左やや下にやや大きく著者名、以上は明朝体縦組みで、最下部左寄りにゴシック体横組みで小さく版元名。裏は白紙。
 1頁(頁付なし)は左上に明朝体縦組みで「風 の 盆 ・ 目次」とあって、2~3頁(頁付なし)見開きに各頁6章ずつ、上部に章題と3字空けてオールドスタイルの算用数字で頁。4頁(頁付なし)は下部中央に明朝体縦組みで小さく「表紙・扉 三 田 恭 子/  装幀 土 方 弘 克」とある。三田恭子(1942生)は田中千夭夫(1905.10.10~1995.11.29)田中澄江(1908.4.11~2000.3.1)夫妻の長男聖夫の妻で洋画家、昭和63年(1988)12月に東京都中野区野方の住宅地に嫁菜の花美術館を開館したが、10年以上前に閉館したらしく、建物はそのままだが今は集合住宅になっているようだ。土方弘克(1941.2.1生)はグラフィックデザイナー。
 5頁(頁付なし)中扉は上部中央にやや大きく「風 の 盆」とある。
 7頁から頁付があり1章め、8行取り4字下げで中扉より一回り大きく「坂 の 町」とある。
 本文は1頁18行、1行44字で組まれているのだが、余裕の出来たところでは2014年8月12日付「川端康成『古都』(04)」に注意した川端康成『古都』(昭和三十七年六月二十五日発行・昭和三十七年八月三十日三刷)と同じく、いやそれ以上に分ち書き風に組まれている。
 表記で気になるのは名詞の「話」を「話し」としていることである。39頁13行め・42頁10行め・48頁10行め・60頁5・10・14行め・100頁2行め・103頁14行め・104頁18行め・108頁3行め・109頁17行め・144頁11行め・149頁3行め・175頁16行め・176頁8・9行め・204頁16行め・214頁10行め・215頁13行め・225頁16行め・236頁18行め・237頁7行め・245頁13行め・249頁12行め・259頁3・13行め。「長話し」185頁13行め。「世間話し」212頁1行め・213頁7行め。――途中で止めれば良かったのだが一応最後まで拾ったので、示して置く。
 それから56頁3行め「殆んど」。87頁14行め・99頁17行め「気持」。
 202頁15行め「口をつむんだ。」は「噤む」が「つむぐ」になったものらしいが、それならガ行で活用するから、マ行の「つぐだ」のように撥音便にはならなくて「つむだ」とイ音便になるはずであるが、今、ネットで検索してみると「口をつぐんだ」も相当数(もちろん「口をつぐんだ」が圧倒的多数だが)ヒットする。そのうち辞書も「つぐんだ」の変化した語、として立項するであろうか。そうなったら、これは早期の例と云うことになるであろうか。
 誤植や破損は138頁11行め「この問から」は「間」、12行め「ね」の右下欠損。(以下続稿)