瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤堀又次郎伝記考証(17)

・赤堀象万侶②和歌
 赤堀象万侶の名は「犬山壮年會雑誌」にも見える。3月25日付(04)に、印刷発行日と本体の頁数のみメモした、明治22年(1889)2月23日印刷・出版の第五號、「講義」に続いてノドが綴じ込まれているので見えないが、第六號と同様の「犬山壮年會雑誌第五號附録」と思しき八頁があり、五頁下段13行めまでは会の規約等、そして五頁下段14行めから八頁上段までが「犬山諸士ノ住所」で、その最後、八頁上段26人めが、

美濃武儀郡吉田村       赤 堀 象 万 侶

なのである(下段は余白で中央に紋様)。吉田(きった)村は現在の岐阜県関市の中心部、新長谷寺(吉田観音)の辺りである。
 前回見た近藤秀胤写本『犬山里語記』巻之二の、嘉永二年(1849)の書写奥書に見える針綱神社神官「赤堀象麻呂藤原朝臣秀雅」とは40年の隔たりがあるが、こんな名前の人が何人もいたとは思えないし、わざわざ「犬山諸士」の最後に配しているところからしても、同一人物なのであろう。
 どうも、赤堀象万侶は明治に入ってから、犬山の針綱神社から離れて岐阜県武儀郡の関に移っていたらしいのである。
 赤堀象万侶の名は、明治前半の御会始などの歌集にしばしば見えている。
・飯山綱之助 編輯『同風歌集』二編(明治十二年四月廿一日版權免許・定價五拾錢・洋々堂(飯山綱之助))
 3巻3冊で巻上(三十五丁)巻中(三十八丁)巻下(三十七丁)、巻上の見返しに袋の子持枠の題らしきものが貼付されていて中央に大きく「同風歌集〈二編/三冊〉」右に「明治十二年一月御會始」左に「 東京 洋々堂藏版」とある。3月27日付(06)に見た『〈明 治/十七年〉御會始歌集』の5年前、明治12年(1879)1月の御会始(歌会始)に寄せられた和歌を集めたもので、上ノ二十五丁表8行めに、

あら玉の年のはしめのほきことを栄えあるへき我ならなくに 赤堀象万侶

と見える。これには居住地もしくは出身地が入っていないが、次のものには入っている。
・橘道守 校閲大塚新三(眞彦)・橋本省吾(信行)編輯『〈新/年〉勅題歌集』(明治十五年十月二十九日御屆・同   年十二月廿八日出板・定價三十五錢・金花堂佐太郎・三十五丁)
 内題下に「明治十五年一月/御歌會始」とある。十九丁表2行め、地名は殆ど行間に小さく添える。

都鳥いさこととはん角田川すミにし水の幾世へぬると    赤堀象万侶


・橘道守 校閲大塚新三(眞彦)・橋本省吾(信行)編輯『〈新/年〉勅題歌集』第二集(明治十六年九月廿七日御屆・同   年十月二十八日出版・定價六十錢・丸屋善七/金花堂佐太郎・六十七丁)
 三十六丁表1行め、「同」は2人前の「關」。

和田の原はるけき四方の國人もきたなき心なき世也けり    赤堀象万侶


 同じ面々により続刊されたのが既に触れた『〈明 治/十七年〉御會始歌集』である。
・遠藤彌作『邦光社歌會』第一集(明治廿一年八月十一日印刷・明治廿一年八月廿一日出版・定價十二錢五厘・遠藤彌作(京都)・51丁)
 丁付はない(原本を見ればノドにあるのが見えるかも知れないが)。1~2丁、邦光社幹事/近藤芳介(1822.正.二十三~1898.12.29)の「邦光社歌會第一集序」は「明治二十一年六月」付、3丁は「明治廿一年四月廿二日」付の「邦光社亰都幹事」の祝辞で刊行の経緯が窺われる。4丁表1行めに内題「邦光社歌會第一集」に次いで2行め「兼題 都 花」が示されてこれが38丁まで。その34丁裏4行めに、

内日さす都の花のまさかりをミれはむかしをおもひやるかな  赤堀象万侶


・多賀𪀚 編輯『佐美多禮集』(明治二十八年七月十六日出版・同 二十八年七月二十日發行・非賣品・多賀𪀚
 題簽には「佐ミ堂礼集」、木版の序の題は「梅雨集序」、活版印刷の歌集本文から丁付があるらしいのだが、裏のノドにあるので殆ど見えない。ただ活版印刷の最後の丁のみ「一五四」の丁付が見えるので遡ると、確かに前記推測通りの丁付に違いないようだ。一丁表1行め、内題「佐美多禮集」に添えて2行め「贈從二位前田慶寧二十年靈祭追悼歌」、そして3行め「雨 中 郭 公」の題がある。まづ一丁表に皇族、裏に「東京」の華族から、和歌が並ぶ。地域別で七四丁表~七六丁裏10行め「美濃」の4人めが、

そのかみを忍ひねになく杜鵑なミたの雨に羽袖しほりて        赤 堀 象 万 侶

である。前田慶寧(1830.五.四~1874.5.22)は第十三代加賀藩藩主。(以下続稿)
4月12日追記明治13年(1880)7月刊、佐々木弘綱 編輯『明治開化和歌集』巻下国立国会図書館蔵本では巻頭にある「開化和歌集作者氏名録」はその末尾、九丁裏11行めに「以上作者七百七十八人」とあって、いろは順に分けて1行5人ずつを列挙するが、七丁裏4~9行め「き」に24人挙がる15人め、7行めの一番下に「象万侶〈ミノ/関 〉 赤堀」が見える。詳しい書誌は国文学研究資料館の「近代書誌・近代画像データベース」の『明治開化和歌集』にあるので省略。