瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

幽霊弁士(2)

 5月2日付(1)の続きで、それぞれの違いを見て行くこととしよう。
 まず、舞台となった場所と、幽霊になった弁士の名前を見るに、以下の通り。
【A】名古屋の今春館、佐川秋水
【B】京都、ある説明者
【C】不明、鶯清次郎
 鶯清次郎について何か資料が得られれば、場所も判明すると思うがネット上は活動弁士の情報に乏しく、それらしい名前はヒットしない。もちろん佐川秋水についても何も分からない。
 次に、弁士の死因について。
【A】(感冒→肋膜→)肺病
【B】肺病
【C】心臓麻痺
 肺病(肺結核)は次第に衰弱して行く訳で、【A】032頁上段5行め〜034頁上段2行めは佐川秋水が斯界に身を投じてからの刻苦勉励ぶり、そして発病後も手を抜けない性格のためにいよいよ病勢が募る様を小説風に描いて行く。佐川氏が実在したのかどうか確かめられないが、とにかく当時このような境遇に陥った弁士はいただろうと思わせる描写で、活動弁士の実態を窺わせる資料として位置付けられそうである。【B】及び【C】はこのような弁士個人の境遇に及ばないが、【B】は【A】とほぼ同じと考えて良いだろう。
 怪異の起こったタイミングであるが、
【A】「椿姫」の封切
【B】「椿姫」の封切
【C】「椿姫」の千秋楽
となっている。【C】のみ念願していた「椿姫」の説明を務められずに死ぬ、と云うのではなく、急死して務めきることが出来なかった、と云うことになっているのである*1
 もちろん、【A】【B】の方が思いが残ったであろう。――アメリカ映画「椿姫」の日本での公開は大正13年(1924)10月であったが、名古屋や京都にフィルムが回ってくるまで、さらに余計に時間が掛かる勘定になる*2
 さて、名古屋の佐川氏は「或る寒い夜」に「楽屋に戻」るなり倒れ、そのまま「近所の病院」に入院して「絶対安静」の状態になってしまう。そして入院から「五日程経っ」て「熱に馴らされて」意識が「常人と変りない程はっきりし」たところで、佐川の「椿姫」への思いが噴き出すのである。【A】034頁上段14行め〜035頁上段9行め、

 佐川は見舞に来た男をつかまえて、
「ねえ君、『椿姫』の封切は今日だったかね」
「えッ!」と、男はびっくりして、佐川の顔を/【034上】のぞき込んだ。こんな重態でも、映画のことを/考えてるかと思うと、恐ろしく思えたのである。
「……明後日からですよ……」*3
「明後日! そうか、俺は、あれの来るのが待/遠しかったんだ。いよ/\来たか。ねぇ君明後/日は僕出るよ、『椿姫』をやるんだ、主任にそ/う話して置いて下さいよ」
 その翌日だった。主任が見舞に入って来た。/と、直に佐川は、*4
「ね、主任、明日の『椿姫』は是非私にやらし/て下さい」*5
「えッ!」
 主任も、さすがに呆然とした体であった。四/十度の重病人が……*6
「馬鹿なことを云っちゃ困るよ。君は当分動い/てはいけないんだ。まあ、静かに心を休めてい/【034下】たまへ、あせることはありやしない」*7
「でも、私はあれをやりたいのです。今まで待/ちこがれていた『椿姫』です。どうか、私の願/いを許して下さい」
「まあ、そんなことを言わないで、安静に寝て/いなさい。重くなると困るから……」
「いゝえ、私は、これで元気です。一週間とは/申しません。たゞ一度、初日だけ、私にやらし/て頂きたいのです」


 続いて主任が呼んできた医者にも食い下がる様(035頁上段10行め〜下段7行め)が描かれているのだが、そこは割愛する。(以下続稿)

*1:【2017年7月7日追記】「務めきるころ」と誤入力していたのを訂正した。

*2:アメリカでは大正10年(1921)9月に公開されており、海外での評判を知る機会があったとすればさらに待たされる時間が長くなる勘定になる。当時の名古屋の新聞「新愛知」等も調べるべきであろうか。

*3:ルビ「あさつて」。

*4:ルビ「/すぐ」。

*5:ルビ「ぜひ/」。

*6:ルビ「てい/」。

*7:現代仮名遣いに改めているはずだからここは「たまえ」それから「ありゃしない」だろう。