瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(198)

 田辺聖子の赤マントについて、時期と登場人物につき少々長くなってしまった。河合隼雄との対談では、昨日の引用に続く「大きな意味をもって存在する男の子」の節に、登場する男子のモデルについて(『私の大阪八景』には触れずに)語っており、小説との関連ではそちらの方が重要なのだろうけれども完全に赤マントから離れてしまうので確認作業には取り掛からないで置く。
 それでは7月6日付(194)に予告した、昭和14年(1939)に大阪で赤マント流言に接した人の回想を見て行くこととしよう。
黒田清『そやけど大阪』 1994年6月10日初版第1刷発行・ 1994年6月25日初版第2刷発行・定価1553円・東方出版・244+5頁・四六判並製本
 1~2頁「ま え が き」の冒頭、1頁2~3行め「 この本は、一九九二(平成四)年一月から二年間、大阪新聞に連載した記事をまとめたものであ/る。」とある。
 3頁「◇ 目  次」の扉、4頁は「まえがき」と明朝体太字「第一章 ああ天満橋、愛惜の町明朝体で小さく2段組で25節、各節にのみ頁が添えられる。5頁は「第二章 いとはん、あなたは強かった」23節、6頁は「第三章 父が愛したお茶屋遊び」26節、7頁は「第四章 ”わてはわてや”の街に住みたい」15節そして「あとがき」と「登場人物名一覧」これが左開き横組み左右2列で5頁、左下に明朝体でごく小さく「装幀 森本良成」。第一章と第二章が平成4年(1992)、第三章と第四章が平成5年(1993)、若干の加筆はあるようだが誤りを指摘する読者の手紙を引用するなど、掲載順に本文には余り手を加えずに収録しているらしい。
 黒田清(1931.2.15~2000.7.23)は大阪のジャーナリストで、版元も大阪だが全国的に知られていた人なので東京の公立図書館にも所蔵されていた。私も学部生時代・院生時代にTBS「筑紫哲也 NEWS23」で何度か見て、覚えている。大阪のテレビ番組には多数出演していたようだが、私は昭和62年(1987)4月から3年間の高校時代を兵庫県で過ごしているのだけれども、当時の私は2017年4月9日付「大澤豊監督『せんせい』(1)」に触れたように、山岳部で疲れ切って帰って来て、夕食も摂らずにまづ寝てしまうような生活で、テレビ番組を見た記憶が殆どない。2017年12月31日付「宇井無愁の上方落語研究(1)に述べたように上方の藝能に接する機会も殆どないまま過ごし、上方落語を音で聞き、実演も見るようになったのは2012年10月4日付「四代目桂文團治の録音(1)」に述べたように東京で大学に入ってからなのである。――もし過去の自分に連絡が取れるなら、小遣いをやって(!)いろいろ見て置け、と言ってやるところなのだけれども、まぁ仕方がない。その時分に(2016年2月23日付「松葉杖・セーラー服・お面・鬘(15)」に述べた中学時代の自転車遠乗りの延長なのだけれども)矢鱈と歩き回ったことで、30余年後の今も脚力自慢なのだから。
 それはともかく、黒田氏も田辺氏と同じく早生まれで、赤マント流言当時小学6年生だった昭和3年生の田辺氏の3学年下、昭和14年に小学3年生でこの流言に接しているはずである。(以下続稿)