瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(096)

・白銀冴太郎は杉村顕道に非ず(2)
 さて、問題の東雅夫 編『山怪実話大全』第三刷(二〇一七年一一月二五日 初版第一刷発行・二〇一八年 一 月二八日 初版第三刷発行・定価1200円・山と溪谷社・二三五頁)の追記だが、二二三~二三五頁「編者解説」の、昨日引いた箇所を一部差し替える形で追加されている。二三四頁3~14行め、書き替えられた箇所を仮に太字にして示した。

・・・・。全体の構成や描写の共通性に照らして、顕道が「深/夜の客」にもとづいて再話したことは明らかだろう。もうひとつ考えられるのは、白銀冴太郎が顕道の筆名である可能性だ。
【追記】本書の刊行後、「深夜の客」をお読みになった杉村翠さん(顕道の御息女)から、若き日の顕道が、越後高田(現在の上越市)の友人宅に寄寓していた時期があること、そしてサンデー毎日」の懸賞募集にも何度か投稿していたようだという御教示を賜わった。確証こそ無いものの、「深夜の客」が顕道の作品である可能性は極めて高いといえよう。
 さて、次に問題となるのは、果たして「深夜の客」が「木曾の旅人」の書き替えなのか、/それとも両者に共通する何らかの原話があるのか、という謎だ。発表のタイミングから見て、/「深夜の客」の作者が綺堂作品を目にした可能性は高いように思われるが、綺堂もまた巷間/に伝わる怪談奇聞をしばしば創作の素材としており、後者である可能性もいちがいに否定は/できない。


 ここで1行多くなったため、以下の段落は第一刷に比べ、1行ずつ後にずれている。東氏の2018年1月15日13:48の tweet の時点で版元から増刷の連絡を受けてから、前回引いた2018年1月24日22:58の tweet までの短時日に急遽執筆したためか、説明にも不十分なところがある。二三五頁には第一刷で3行分の余白があったのでまだ2行分余裕がある。もう少し書いても良かったのではないか、と思うのだけれども、結論を先に言えば、この【追記】は破棄されるべきもので、そもそも「蓮華温泉の怪話」を(杉村氏の作として)アンソロジーに入れる処置自体が、今後なされるべきではないと云わざるを得ないのである。
 少々先走ってしまったが、ここで東氏が杉村氏の次女から得た情報について整理して置こう。まづ、前回引用した、第一刷刊行直後の電話の内容の tweet に、
  ① 文体に、杉村顕道の文章に共通する感じがある。
  ②「サンデー毎日」に投稿したことがあった。
とあったが、この【追記】では①の印象論は排除され、代わりに③が追加、②も微妙に変化している。
  ③ 若き日の杉村顕道が、越後高田の友人宅に寄寓していた時期がある。
  ②’「サンデー毎日」の懸賞募集に何度か投稿していたようだ。
 このうち②については、2018年12月1日付(71)に取り上げた、東氏の2018年11月28日18:51の tweet に、

>前RT 「サンデー毎日」の懸賞応募といえば、若き日の杉村顕道!(『山怪実話大全』参照)(雅)

とあって、どうも東氏は確定事項の如く扱っているようだ。これについては(私が第三刷の【追記】を見たのは、2018年8月8日付(27)の【2019年6月14日追記】に述べたように、今年の6月中旬なので【追記】では「何度か投稿していたようだ」と改められていることは知らずに)2018年11月28日付(68)に「サンデー毎日」大衆文芸第19回(昭和11年/1936年度・下)佳作の杉村顕「先生と青春」が、杉村氏の娘が知っていた件であろうとの見当を示して置いた*1
 そして③については、このままでは読者の多くが東氏の意図を理解出来なかっただろうと思われる。すなわち、私は2018年8月6日付(25)に言及した、東氏の2017年9月4日1:03 の tweet に掲載されていた写真にて「越後國高田市馬出町六八、青木方/白 銀 冴 太 郎」と応募者の住所が「サンデー毎日」に掲載されていたことを知っていたので、これは或いは、2018年8月11日付(31)の後半に灰色で「NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場」ばりに書き連ねた妄想も、案外当たっているのかも知れない、と思ったものだが『山怪実話大全』の本文では越後国高田市の住所は省略されており、「編者解説」にも越後からの応募であった件には触れていなかったから、ここで唐突に「越後高田(現在の上越市)の友人宅」と切り出されても、地理に疎い読者は東氏の意図するところが分からなかったろうと思われる。
 それはともかく、この「越後高田」の件は電話の内容の tweet になかったことと、少々上手く出来過ぎていることが引っ掛かったのである。(以下続稿)

*1:「複数」と云われると考え直すべきか、とも思うのだが、tweet の「あった」が「いたようだ」に変化しているのも少々自信のない回想と云った風情であるし、昭和11年(1936)の大衆文芸の佳作入選も娘たちの生まれる前、昭和3年(1928)の「サンデー毎日」事実怪談懸賞公募入選の「深夜の客」はさらに遡るのである。「何度か」が事実であったとしても、特にこれを指しているとすることには、慎重であるべきだろう。