瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(192)

 昨日の記事(の冒頭)を見た家人から「拗らせてるみたいだ(から止しなさい)」と言われたのですけれども、この件に関して、私はかなり(近年諦念に支配されて激するようなことはないものの)立腹しているので、一昨日書いたことは当然の苦情であり、是非とも、何らかの、目に見える形での対応を求めておるのです。いえ、当時の東氏の Tweet にすぐに返信して、今度是非書かせて下さい、くらい言っておれば、良かったかも知れませんが。
 とにかく直接絡むような面倒臭いことはこれまで通り致しません。必要があれば抗議しますが、まづは粛々と課題をこなして参りましょう。昨日の続き。

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 昭和9年(1934)刊、杉村顕『信州百物語』所収の「蓮華温泉の怪話」では、事件のあった年を明治30年(1897)としております。そこで、当ブログを始めた直後の2011年1月11日付(005)にて、その3年前の明治27年(1894)に蓮華温泉経由で大蓮華(白馬岳)に登った Walter Weston(1861.12.25~1940.3.27)の登山記録、東洋文庫586『日本アルプス登攀日記』と岩波文庫33-474-1『日本アルプスの登山と探検』から、蓮華温泉や案内人の巡査の記述などを抜いて、「蓮華温泉の怪話」との関連を探ろうと試みたのでしたが、これは全くの無駄足でした。
 その後、東雅夫 編『山怪実話大全』に、昭和3年(1928)の「サンデー毎日」の懸賞応募作品「深夜の客」が紹介されましたが、大正3年(1914)のこととしております。この作品は「越後國高田市馬出町六八、青木方」を住所とする「白銀冴太郎」が応募しています。但しこの住所は、この、筆名であることが明らかな作者の、正体を探る重要な手懸りであるにもかかわらず、『山怪実話大全』には全く記載がありません。私は、東氏が「深夜の客」発見を報告した Tweet に添付した掲載誌の写真に拠りました。


 白銀冴太郎「深夜の客」を書き換えたのが杉村顕「蓮華温泉の怪話」であることは間違いありません。そこで東氏は、この書き換えを同一人物によって行われたものと見ました。「白銀冴太郎=杉村顕」説です。元々その可能性を考えていた東氏は、単行本『山怪実話大全』第一刷刊行(2017年11月)直後に Twitter(現 X)でこの考えを表明したところに、杉村氏の遺族からも同様の示唆があって、単行本『山怪実話大全』第三刷(2018年1月)の「編者解説」の【追記】等に加筆した訳です。
 さて、私も当初、この「白銀冴太郎=杉村顕」説に従って、両者の関係を考えて見ました。2018年8月11日付(030)には、創作事情について恐ろしく大胆な妄想(!)を述べたりしております。
 一方でウェストンの山行記録の検討については「「蓮華温泉の怪話」の信憑性と云う点からして空振りであ」ると、その検討の初回である2018年8月5日付(024)に結論付けたのでした。同一人物が大正3年明治30年に改めたのだとすれば、それはこの話が「事実怪談」などではなく、岡本綺堂「木曾の旅人」に想を得た創作だと、自ずから白状しているようなものだと考えたからです。
 それはともかく、2018年8月5日付(024)には、単行本『山怪実話大全』第一刷の「編者解説」に、当ブログへの言及があるとて、当該箇所を引用して置いたのでした。今改めて、ヤマケイ文庫版から抜いて置きましょう。272頁11~17行め、

 なお、「蓮華温泉の怪話」については、加門七海*1による原書房版『異妖の怪談集』/(一九九九)解説中に「知人に照合したところ、蓮華温泉というのは信州に現存する/温泉であり、記されている怪談は、登山家の中では実話として、今に語り継がれるも/のだと聞いた」という注目すべき一節が認められ、samatsuteiのブログ「瑣事加減」/にも「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺」と題して、阿刀田高「恐怖の研究」/やウェストン『日本アルプスの登山と探検』ほかへの詳しい言及がなされていること/を申し添えておく。


 ところが、2019年8月に「深夜の客」を「晩秋の山の宿」と改題して収録する、青木純二『山の傳説 日本アルプス』と云う本の復刻版を偶然手にしました。ほぼ同文なのですが事件の起こった年が明治30年と書き換えられています。
「深夜の客」は昭和3年(1928)、そして『山の傳説』は昭和5年(1930)、『信州百物語』は昭和9年(1934)です。上記の通り「白銀冴太郎」の住所は「越後國高田市馬出町六八、青木方」なのですが『山の傳説 』の著者青木純二は昭和3年当時、東京朝日新聞高田支局(高田通信局)の記者でした。従って「白銀冴太郎」は「青木」純二の筆名とするのが穏当な判断でしょう*2。『信州百物語』は「蓮華温泉の怪話」以外にも『山の傳説』掲載話を流用しており「白銀冴太郎=杉村顕」説は全く成り立たないと云わざるを得ません。
 大正3年明治30年と書き換えた理由は、2018年8月15日付(034)の註に、北陸本線開通後では設定が破綻することに気付いたからだろうと述べましたが、私は、これは間違いないだろうと思っております。青木氏は大正8年(1919)に函館日日新聞から高田新聞に移って来たので大正2年(1913)の北陸本線開通時には高田にいませんでした。そこでうっかり間違えてしまい、後で気付いて時代を遡らせたと見るのが妥当でしょう。
 そうすると、ウェストンの山行記録と照らし合わせる作業なんぞは、いよいよ意味を成さないこととなります。
 かつ、この話に絡めてウェストンを持ち出したのは当ブログが2011年1月ですから最初なのですが、蓮華温泉辺りのウェストンの動向を探った論稿は既に1998年に発表されておったのです。それが2013年刊行の本書に第二章として収録された「ある村のウェストン伝説」だった訳です。
 ですから、ウェストンへの言及も、中途半端に扱った当ブログよりも、出来れば本書に差し替えた方が宜しいのではないか、と、ずっと思ってきたのでした。
 しかし今、改めて上に引いた「編者解説」の書き振りを眺めて見ると、別に、当ブログと差し替えて本書を挙げるには及ばない、と云う気がしております。
 それが随分、気に懸かっていたと云うのは、――人は最初の取っ掛かりで引っ掛かったこと(先入主)にどうも引き摺られてしまうものだからでしょう。私が当ブログの記事を、一気に書き上げずに飛び飛びにしたりしているのは、ある程度余裕を持たないと、一歩下がって眺めることが出来ない、と考えたからで、それで甚だ読みづらくなっているとするならば、それはそれで、誠に辛いところです。
 そんな訳で、本書の存在は実際のところ『山怪実話大全』の「編者解説」の書き換えを要請するほどのものではありません。ないのですが、明治30年頃の実際の蓮華温泉がどのような按配だったのかを、碧眼の登山家ウェストンではなく地元の資料から検証した文献として、当記事に本書を取り上げて置く意味は、十分あると思うのです。(以下続稿)
12月31日追記】一昨日「本題は次回に回す」と予告しながら本題に入れなかったのだが、色々確認しているうち、初出誌を確認して置きたくなった。よって「本題」は年明けに、初出誌を見てから投稿することとしたい。

*1:ルビ「なな み 」。

*2:なお『山怪実話大全』第三刷「編者解説」の【追記】にて、東氏はとして「白銀冴太郎=杉村顕」説の根拠として二三四頁6~7行め(文庫版271頁11行め)「若/き日の顕道が、越後高田(現在の上越市の友人宅に寄寓していた時期がある」との遺族からの「御教示」を挙げておるのですが、上記のように『山怪実話大全』の単行本・文庫版ともに「深夜の客」が「越後高田」から応募であったことを明示していません。従って、ここにその根拠として「越後高田に寄寓していた時期」を持ち出されても、何故それが根拠となるのか分からぬ読者も多かったことでしょう。私の見解を書き込まないとしても「越後高田」からの応募であった旨は、今からでも文庫版に書き足すべきでしょう。