瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(190)

 他のことにかまけて後回しにしているけれども、材料がない訳でもなく、追究を止めた訳ではないので、この題で年に1回は投稿して置きたいと思っておるのですが、いざ、過去に集めた材料に取り掛かろうとしても中々確認が難しい。しかし、このままだと当記事のこれまでの成果が、最近いよいよ過疎化している当ブログとともに忘れ去られてしまいそうなので、しばらく前に存在を知った次の本を見て置こうと思ったのです。
・ヤマケイ文庫『山怪実話大全 岳人奇談傑作選東雅夫 二〇二三年三月五日 初版第一刷発行・定価 900円・山と溪谷社・275頁

 文庫版が出ていることを知ったのは、次の東氏の Tweet(現 X)を見たからでしたろうか。
 版元や購入者の Tweet も少なからずありますから、それらのうちのいづれかに逢着したのでしょう。
 いえ、図書館OPACで文庫版を見付けて、それから Twitter の方に行ったのかも知れない。
 その、都立図書館HPの横断検索を見るに『山怪実話大全』は都内の殆どの図書館が単行本を購入しているせいか、文庫版は余り所蔵されておりません*1
 それで昨日、僅かな、来年からもう止めにしようかと思っている年賀状を書き上げてから、年末年始を越すだけの預金を下ろしたり、食品やら薬品やらの買い置きをするついでに、遠乗りをしてこの文庫版を見に行ったです。
 私がこの本を見る必要があると云うのは、やはり東氏の Tweet に説明してもらいましょう。
 この、2つめの Tweet から察せられるように、東氏は単行本の第三刷の「編者解説」に加筆を行っております。
 これについては別アカウントでの東氏の当時の Tweet を引いて置きましょう。
 東氏はここで第四刷実現の砌に更なる加筆をしようと表明していました。
 この、単行本の第四刷は実現しなかったようですが、それに当たるものとして文庫版が刊行されている訳です。
 従って、この文庫版で、私の「新発見に触れることができ」なかった「残念無念」を霽らされたのではないか、と思った訳です。
 が、実は、余り期待はしていませんでした。
 と、云うのも、当記事「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺」の閲覧が、文庫版が出た頃に増えたと云う印象がなかったからです。別にメモを取っているとか云う訳ではありませんが、Google アナリティクスを止めてから、はてなブログアクセス解析くらいは眺めるようにしております。もし東氏が文庫版で当ブログの「新発見に触れ」ておれば、僅かであっても当記事の閲覧は増えるはずで、それによって直ちに文庫版刊行を知ることが出来たはずだからです*2
 実は、東氏には当ブログを始める前に一度会ったことがあって、その後、少々連絡を取ったこともあり、しかし、私はどうも怪談とか怪異小説などと云ったものに東氏のように接することが出来ないので*3、まぁ向こうからは何も言って来ませんし、こちらが何も言わなければ自然そのままになって、方向性の違いと云うこともあり、かつ、僅かなものですが東氏が不明としていたことについて情報提供したことが、何故かその後の増刷や別の選集に収録した際に活用されていなかったり、間違って使われていたりしたと云ったこともあって、別に今から連絡を取ろうとも思っておらぬ訳です。
 そもそも、私が当記事を続けている理由は、東氏からの刺激ももちろんありますけれども、それ以上に、中学生の頃だったかに読んだ、阿刀田高「恐怖の研究」に於ける、岡本綺堂「木曾の旅人」の再話が印象的だったからで、実は私は12月10日付「森満喜子「濤江介正近」(02)」の前置きに触れた、高校時代の文芸部の部誌(1989年6月刊)に「木曾の旅人」を犯人の視点にした再話を載せております。ですから私にとってもある意味ライフワークみたいなもので、記事の題を「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺」としたのも、どうも「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」とを特に強調し、そこに色々な材料を収斂させようと云う傾向の見える東氏に対し、この話型には、阿刀田氏の短篇小説もそうですし「現代民話考」の現代風に写真を使った怪談、それから最近朝里樹が無理矢理「おんぶ幽霊」などと云う名称*4にしようとしている話群など、もっと広がりもあれば細かい変遷もあったはずだと云う思いから、敢えてこのように付けた訳です。
 それはともかく、本題に入りましょう。
 単行本『山怪実話大全』第三刷「編者解説」の加筆については、2019年8月8日付(095)にその前段階で東氏の考えが纏まって行く過程を追い、2019年8月9日付(096)に加筆箇所とその内容の検討、2019年8月10日付(097)に「白銀冴太郎=杉村顕道」説の難点を挙げ、2019年8月11日付(098)以降、杉村顕道が直接依拠したと見られる青木純二『山の傳説 日本アルプス』を検討、2019年8月22日付「杉村顯『信州の口碑と傳説』(1)」から暫く、「蓮華温泉の怪話」の載る『信州百物語』の前年に杉村氏が著した『信州の口碑と傳説』が如何なる書物でどれだけ『山の傳説 日本アルプス』に依拠しているかを検討し、さらに2019年9月1日付(106)以降、しばらく『信州百物語』の典拠及び評価について詳述しました。東氏が上記 Tweet に指摘している通り、時々飛び飛びになりますし、毎日内容及び分量について大体の見当を付けて少しずつ書いて行っておりますので、なかなか読むのが面倒かと思いますが、そこは記事本文の右側にある検索窓や「月別アーカイブ」で同じ月の一覧を目次代わりに示して、新しいタブで記事を開きながらお読み頂けると幸いです。
 とにかく、私はこれだけの検証作業を重ねて昭和9年(1934)刊『信州百物語』の典拠は昭和3年(1928)刊「サンデー毎日」の「深夜の客」ではなく昭和5年(1930)刊『山の傳説 日本アルプス』の方で、『山の傳説 』の著者青木純二は昭和3年当時、東京朝日新聞高田支局(高田通信局)の記者だったことから「越後國高田市馬出町六八、青木方」を住所とする「白銀冴太郎」は青木純二の筆名と判断するのが妥当だとの論を立てた訳です。
 この辺り、時系列の整理は2019年9月16日付(119)に示した「年表「白馬岳・蓮華温泉」の怪談」を御覧下さい。――そして、東氏も上に引いた Tweet に見たように、当ブログでこのような検証作業が進められていたことを承知していたはずなのです。
 ところが、文庫版『山怪実話大全』に追加された274~275頁「文庫版のためのあとがき」*5を見るに、1行分空けてその後半、274頁10行め~275頁6行めに、

 さて、本書の単行本が二〇一七年に上梓された後になって、収録作家のお一人であ/る杉村顕道のお嬢様から、一通の書状が届けられた。顕道の作品「蓮華温泉の怪話」/と並べて掲載した白銀冴太郎「深夜の客」は、実は若き日の顕道自身が、変名で投/【274】稿した作品の可能性がある……という興味深い御指摘であった、そのように考えれば、/作品の筋立や描写が非常に似通っていることも得心がゆく。
 はなはだ遺憾ながら、すでに掲載から百年近い時間を経ており、また別名義による/コンテスト投稿作品という特殊な事情もあって、確かな事実を検証することは困難で/あったが、関係者の御遺族から、そうした御指摘が齎*6されたことを、この得がたい機/会に御報告しておきたいと思う。

と、私が検証して非とした遺族の意見をそのままなぞる、と云うより若干補強するような按配で特記しておるのです。確か、書状ではなく電話と Tweet にはあったはずなのですが。いえ、そんなことは良いでしょう。流石に、これには、幾ら期待していなかったとは云え、仰天しました。――杉村氏の遺族の顔を立てて、無視したのでしょうか。しかし、既にこの遺族の証言、2019年8月9日付(096)に引用して検討した、この文庫版では258~273頁「編者解説」の【追記】とその前後(271頁7行め~272頁3行め)については、飽くまでも印象や記憶であって正直、当てにならないことを当ブログでは種々材料と照らし合せて、ほぼ確認しております。この遺族が杉村氏が「サンデー毎日」に投稿したことを記憶していたことを「深夜の客」のことだとして、この遺族の意見を是とする補強材料にしているようですが、これは2019年8月17日付(104)等に指摘したように樺太時代に応募して佳作となった「先生と青春」と見るべきでしょう。――正月休みでお時間のある方は、今こそ上記リンクを辿って、それ以外にも検索窓に記事名を入れて(試行錯誤を繰り返している上に要らんことも仰山書いておりますが)私の検証を確認してもらいたい。いえ、まづは東氏本人に、きっちりお読み頂きたいところです。
 実は、上にちらっと書きましたが、東氏にはちくま文庫版のアンソロジーで「不明」としていた初出について情報提供したこともあって、これは返信ももらっているのですが、その後、同じ話を採録したアンソロジーでは相変わらず初出誌を不明のまま、単行本を挙げて済ませております。それから別のやはりちくま文庫の東氏の編著書の中で、私の名前と論文に触れているのですが、名前が間違っております。こうしたことからすると、単に忘れていた可能性も高い*7。或いは、私が余りに緻密な検証を発表して、東氏の推論を粉砕してしまったものだから、意欲を失って、余り思い出したくないことの方に頭の中で整理してしまい、文庫版刊行に当たっても思い出しもしなかった。もしくは、頭の中で小さくして置いたことがすなわち内容の過小評価と云うことになって読み直しもしなかった、と云うことも考えられましょうか。
 宜しい。切れ切れのブログ連載で読みにくく、御自身では扱いづらいのであれば頁数・字数の制限に合わせて書き直しましょう。今なら、この記事を書くために(とてもでないが昨日の今日では全部は無理でしたが)ある程度見返しましたので、遅滞せずに書けそうです。やはり、全く期待せずに、御待ち申し上げております。(以下続稿)

*1:念の為、私も単行本の第三刷は購入して所蔵しております。

*2:そうすることで、余り世間の話題とリンクしない当ブログの題材に関連した、新しい動きがあった場合に見逃すことのないようにしているつもりでした。しかしながら、以前は映画やドラマの放送に合わせて当ブログへのアクセスが増えるなどと云うこともありましたが、最近それもなくなりました。どうも Twitter などもフォローでの囲い込みが進んで、以前ほどの反応は得られなくなったようです。

*3:最近では2022年7月10日付「新聞解約の辯(4)」に述べました。東氏が無邪気に興じているとは思いませんが、やはりどうしても「甘い」と云う印象を持ってしまうのです。

*4:この名称に賛成し兼ねる理由は2018年8月22日付(039)等に述べました。

*5:「二〇二二年十一月」付。

*6:ルビ「もたら」。

*7:ならば遺族の記憶だって当てになりそうにない理屈になりましょう。