瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(117)

・杉村顯『信州百物語』の評価(1)
 確認した典拠から容易に推測されるように、本書も8月24日付「杉村顯『信州の口碑と傳説』(3)」に述べたような編纂物である。前回述べたように、転居先の樺太廳豐原支廳豐原郡豐原町で、十分に資料を揃えられない状態で書かれたものであって、独自の取材による内容は、殆ど含まれていないものと思われる。
 しかし、当ブログで今後問題にして行くつもりだけれども、どうも「伝説」は、昔話・世間話(私は余り使いたくないが)と並んで口承文藝の1ジャンルとされているせいか、文献に拠らず、土地の古老に聞いたもののような先入観が、あるらしいのである。
 確かに、土地の神社仏閣、古木や霊山、淵瀬や滝、橋などの由来を、古老は知っているであろう。しかし、そんなものは江戸時代から編纂されてきた地誌に、あらかた掬い上げられているのである。信濃であれば、藤澤衞彦編著、日本傳説叢書『信濃の卷』に典拠として頻出した井出道貞『信濃奇勝録』の類である。
 私は小学6年生から中学の3年間を過ごした横浜市で、栗原清一『横濱の傳説と口碑』を愛読したのだったが、その後、大学院生時代に再度横浜市民になって、初出まで確認して『横濱の傳説と口碑』の一覧(740KB)を作ったことがある。今、開こうとしたがどうも上手くいかない。それはともかく、幾つかの話について、中学生当時は気付かなかった江戸時代の地誌類と対象させることで、栗原氏が多くの話を地誌類から拾っていることが分かったのである。
 しかし、それは考えて見れば当然のことで、東海道筋の横浜市域は江戸時代の前期から紀行文や道中記・案内記等に街道沿いの伝説が記載されており、地域によっては鎌倉との近さからそれ以前の文献もある。そして江戸時代の後期になると『新編武蔵風土記稿』『新編相模国風土記稿』が編纂される。これら信頼出来る地誌類に拠るのは、むしろ当然のことで、栗原氏はこれら古文献の記述に、現地を踏査して写真撮影などを行い、昭和初年の「横濱貿易新報」(現「神奈川新聞」)に連載したのが『横濱の傳説と口碑』だったのである。
 いや、このようなローカルな例でなくとも良い。昔話の「採集」に意を用いた柳田國男も、その著『日本の伝説』では、江戸時代の地誌と大正期の郡町村誌や伝説集を並べて扱っている。大正期の郡町村誌や伝説集も、その記述は江戸時代の地誌類に由来することが少なくないのだから、選ぶところがないのである。
 だから、私は嘗て叢書東北の声11『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』にて本書を通読した際、これらは所謂「採集」したものではなく、何らかの文献に拠っているのであろう、とすぐ見当が付いた。しかし信州の地理や文献に明るい訳でもないのでそれ以上の探索を試みることもなく過ごしていたのだが、1つだけ突出して小説じみた「蓮華温泉の怪話」の(私も昨年の段階では、東雅夫の推測に従って、懸賞入選作品を1つだけ、伝説集に紛れ込ませたものかと考えてみたのだが)典拠が判明したことによって、パズルのピースが次々嵌まるように短期間に1話を除いてほぼ全ての典拠を明らかにすることが出来た。典拠研究は往々にしてかくの如く進むもので、1つ、編著者が参照した本が判明すれば、他の典拠もそれと同じような性質の本と見てほぼ誤らない。多く大正・昭和初年の活字本から書き抜いている編著者が、他方で江戸時代の写本に取材したり、物識りの古老を訪ね歩いて聞き書きをするようなことは、まづない。
 さて、このような研究はその書物の性質を正しく査定するのに必要不可欠と思われるのに、一般には余り関心を持たれないらしい。しかしながら、この土台を構築しない上で、収録されている話や、編著者について論じるとしたら、それは(偶然上手く本質を見抜くような意見を提示することもあるかも知れないが、普通は)甚だ危ういものとならざるを得ない、はずである。
 私はこれから、戦前の伝説集が、如何に、古老に取材せず、先行する書物から丸取りし、しかしその書物の名を明示せず、古文献や古老に取材したかのように装ったものが多いかを、しばらく論証して見ようと思う。その意味では、杉村顕『信州の口碑と傳説』の「自序」は正直な方である。しかし利用する側に、伝承を取材したかのような思い込みがあるために、話がおかしくなってしまう。これ以上の混乱を避けるためには、ここでやや大掛かりな典拠研究を行い、伝説が口承ではなく書承で広まり、そこから口承化した例が少なくないことを明らかにするよりなさそうである。本当なら民俗学者たちが『日本伝説大系』の折に、そのような作業を全都道府県で推し進めてくれたら簡単だったのである。しかし、結果はどうも中途半端で使いづらいものにしかならなかった。
 それはそうと、最近、伝説集の類を幾つか眺めて、私は小学6年生の頃に左程深く意味を考えもせずに叩き込んだ、口承文藝は文飾を加えず、出来るだけ忠実に記録すべきであると云う柳田國男の考え方が骨髄まで染みていることを意識せざるを得なかった。その意味で私は柳田 ism の忠実な僕である。だから民俗学者が『学校の怪談』のような児童書を濫発するのがどうにも信じがたい暴挙のようにしか思われない。しかし、民俗学者でない者が同じような書物を出すことには、余り抵抗がなくて、青木純二『山の傳説』も、柳田國男の嫌味たっぷりの序文「山と傳説」ともども愉しく(?)読んだのである。そして、まづ杉村顕道に於ける影響を一通り確認したが、資料を探索するうちに、他にも非常に影響力のあった書物であることが分かって来た。
 そこで、提案したい。2018年3月23日付「田中康弘『山怪』(7)」に挙げた版元の河出書房新社でも山と溪谷社でも、他のどこでも良いのだけれども、瑣末亭編で『山の伝説』を復刊しませんか、と云う提案である。或いは、目敏い編集者は既にその企画を温めているかも知れない。しかし、ただ新字現代仮名遣いにして、当ブログを参考にしたような簡単な解説を附して刊行するのでは、余りに藝がない。活字本ならば一草舎出版(解散)から10年ほど前に8月11日付(098)に言及した「信州の名著復刊シリーズ」の1冊めとして出ている。国立国会図書館サーチ『山の伝説』青木純二著、或いは国立国会図書館オンライン「山の伝説 (信州の名著復刊シリーズ ; 1. 信州の伝説と子どもたち)」を見るに、解説などは附されていないらしい。だから、ただ新字現代仮名遣いにしたのでは、10年前の二番煎じである。そこで少しでも当ブログの研究成果を反映させたものを作りたいと思っている。もちろん一般書であるから(研究書にはならないから)余り煩い注記にはしないつもりである。
 すなわち、各話について【典拠】と【展開】として、青木氏が依拠した文献と、『山の伝説』から引かれた話がその後、どのように伝説集・民話集に継承されていったかを、巻末、或いは巻頭の凡例に添えた文献一覧に示した略称、著者の姓+刊年-話の収録順(もしくは頁)によって「【展開】→杉村’33-北安9⑤→村澤’43-129→松谷’57-安6、→巌谷’35-は123、→小柴'37、→山田’62-21、‥‥」、或いは「【展開】→杉村'34-19→丸山'18-22、→末広’56-1→末広’92-1」の如く示します。余りにも簡略と云うなら話の題も添えましょう。そして解説としては「青木純二『山の伝説』の成立と展開」そして「青木純二略伝」の2つを附けるつもりで、細かいことは探索記録たる当ブログに縷々メモしてあるから、本当に概要のみを記すつもりである。
 仮に企画が進行中であったとしても、まだ左程進んではいないだろうから、どうかこちらに回してもらいたい。いや、こちらの方が先ではないか、と思うのだけれども。今後、陳情ではないが折々アピールするつもりである――閲覧数の少ない過疎ブログなので。(以下続稿)