瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

石崎直義 編著『越中の伝説』(6)

 伝説集は、2019年8月24日付「杉村顯『信州の口碑と傳説』(3)」等にも述べたように基本的に編纂物である。中には直接取材して得た話もあるだろうが、殆どが先行する文献から得たものである。しかし戦前の伝説集は、当ブログで取り上げた杉村顯『信州の口碑と傳説』や『信州百物語』、青木純二『山の傳説』等を見ても判るように、依拠した文献を示さないことが多かった。そのため、殆ど独自の材料を有さないただの編纂物であるにも関わらず、民俗学の資料として活用されてしまうようなことがあった。私はこういった伝説集の典拠を突き止めて、原典の方を使用すべきであると思っている。当ブログに於ける『信州の口碑と傳説』及び『信州百物語』の典拠研究はその一環である。
 今でもそのような、典拠を明示せずに古老の話を聞き集めたかのように装った伝説集は出ているであろうが、本書は民俗学者も多く参加した、昭和50年前後に刊行されたシリーズの1冊なので、依拠した文献は169~170頁「参考文献」に纏めて示している。但し一々示すようなことはしていないので、本書に載る話を使おうと思ったときには「参考文献」を参照しつつ原典を探し当てないといけない。しかしながら、関東ではなかなか富山県で出版された文献を参照するのが難しい。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧出来ても検出するのが手間である。出身大学の図書館が利用出来たら、書庫の市町村史の棚で原本を幾つも並べて、目次や索引と往き来しながら頁を繰ってざっと見てしまうのだが、昨年の2月から入れない。そうでないと、面倒な上に時間ばかりが掛かる。
 いや、むしろ本書の原典に当たる本について、典拠を確認する作業を行いたいところなのだけれども、都下の公立図書館から借りられる、話数の少なくない富山県の伝説集は本書と云うことになろうと思って、一応細目を示し、そして「参考文献」は丸々抜いて、今後、越中の伝説について考える際の1つの基準にしようと云うのである。
 169頁、2行取り3字下げでやや大きく「参 考 文 献」とあり、2行め以下は小さく書目を列挙。以下、当該の書影の貼付は不可能であるので、別版の書影を貼付した*1

奇談北国順杖記 鳥翠台北茎(文化四年)
喚起泉達録 野崎伝助編著(大正一五年・中田書店刊)

三州奇談 堀麦水(昭和八年・石川県図書館協会刊)
近世民間異聞怪談集成 (江戸怪異綺想文芸大系)

近世民間異聞怪談集成 (江戸怪異綺想文芸大系)

  • 発売日: 2003/04/01
  • メディア: 単行本
越中志徴 森田柿園編著(昭和一七年・富山新聞社刊)
越の下草 宮永正運編著(昭和二六年・富山県郷土史会刊)
肯構泉達録 野崎雅明編著(昭和四九年・KNB興産刊)
高志の白鷹 富山県女師附小編刊(昭和九年)
立山千夜一夜(第一~六集) 池上秀雄編著(昭和二二~二五年・中田書店刊)
有峰を探る 上新川郡文化協会編刊(昭和三二年)
越中伝説集 小柴直矩編著(昭和三四年・富山県郷土史会刊)
となみむかし昔 砺波市小教研編刊(昭和三七年)
越中の民話(第一集) 伊藤・石崎・佐伯編著(昭和三八年・未来社刊)
赤尾谷昔むかし(一) 西赤尾校下育成会編刊(昭和四二年)
大沢野ものがたり 大沢野高校社会科研究部編刊(昭和四三年)
郷土史研究(第一号) 山田村青年学級編刊(昭和四四年)
伝説とやま 北日本放送編(昭和四六年・KNB興産刊)【169】
秘境・越中五箇山 石崎直義(昭和四七年・北国出版社刊)
立山風土記の丘 佐伯幸長(昭和四七年・北日本出版社刊)
利賀の民話 利賀村教育センター編刊(昭和四九年)
井口村伝説・史話 井口村郷土史研究同好会編刊(昭和四九年)
越中八尾 成瀬昌示(昭和四九年・マツザキ書店刊)
富山の秘境 石崎・中川(昭和四九年・巧玄出版刊)
越中の民話(第二集)石崎直義編著(昭和五〇年・未来社刊)
おやべの伝説 小矢部市商工観光課編刊(昭和五一年)


 そして最後に「県下市町村史・誌・広報」として、2字下げで3行、以下の書目を列挙。

宮崎村の歴史と生活 宇奈月町史 入善町史 黒部市誌 魚津市史 上市町誌 大山町史 大沢野町誌   /八尾町史 婦中町史 小杉町史 高岡市史 氷見市史 戸出町史 中町町史 砺波市史 城端町史 福野町史/井波町史 庄川町史 小矢部市史 福光町史 広報「ふくみつ」 その他


 本書の成立を考える上では、これらの「参考文献」の全てに目を通す必要があるのだけれども、本書だけでその作業をしても仕方がない。所詮は編纂物なのだからそこまでの値打ちがあるとも思えない。伝説の系統を総合的に、近世地誌から読物まで通覧出来る研究が、地域ごとに現れないものだろうか。労多くして功少ない扱いを受けるかも知れぬが、得体の知れない伝説集に依拠し続ける状況をなくすためには是非とも必要だと思うのである。(以下続稿)