瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田口道子『東京青山1940』(11)

・写真(4)
 掲載される写真について、最後に出所が明示されていないものを挙げて置こう。
 23頁、キャプションは1月22日付(02)に引用したが「クラスメート(積田せつ子)のクリーニング店」の写真で、洋風2階建、2階の窓の下、間口ほぼ一杯に「色染 グンニーリクイラド純」と手書きの看板、左端は電柱の影になっていて見えない。隣の店の袖看板(突出看板)の側面に縦に「電話青山4985」とあるのが読める。なお2月9日付(09)に引いた「あとがき」283頁9行めにも、写真を提供した同期生5人の4番めにやはり「積田せつ子」とあるけれども、285頁「青南小学校36回卒業」22名の中には見えない。しかしこれは17番めに見える「志村せつ子」なのであろう。
 91頁「男の服装の変遷」の3枚、大正12年(1923)昭和3年(1928)昭和19年(1944)は同一人物で、同期生(もしくは田口氏)の父親ではないかと思われる。大正12年には20代、昭和19年には40代のように見える。144頁下は田口氏の親世代、いや祖母の若い頃の写真のように見える。やはり同期生(もしくは田口氏)の親族の写真であるらしい。それとも宇和川写真館に保存され(戦時中疎開して戦後まで伝わっ)た古写真であったろうか。
 95頁上・下と144頁上、249頁は田口氏本人の写真だが、95頁は一緒に写っている同期生の提供かも知れない。144頁は一緒に写っている姉たちからの提供の可能性もあるが、285頁〈写真・資料協力〉にそれらしい名前は見えないから、やはり本人が保存していたのであろう。
 49頁上・中の日記の写真は本書のために撮影したもので、153頁の日の丸弁当の再現、193頁の一升瓶での精米の再現も同様である。
 79頁上の脳病院の原っぱで写生する青南小学校生徒の写真は恐らくは同期生の提供、170頁下の戦時下の教室の写真は青南国民学校の高学年の女組で、女子の同期生の提供であろう。
 34~35頁の「風俗画報」挿絵は復刻版からの複写のように見える。78頁の青山脳病院の写真も網目があって本に載っていたものの複写だと思われる。89頁のマレーネ・ディートリッヒの写真も本か雑誌の図版を転載したように見える。49頁下の日本青年館の写真は絵葉書らしく、かつ、寄せ書きがなされている。79頁下の出羽ヶ嶽文治郎の写真、127頁の訪日したヒットラーユーゲントの写真、174頁下の山本五十六「男の修行」を毛筆で写したものも、同期生などが保存していたと云うより、何か典拠がありそうな気がする。しかし171頁上の昭和十六年十二月八日夕刊「國民新聞」、174頁上の昭和十八年五月二十四日付「朝日新聞」1面は原紙からの複写もしくは撮影のようであり、同期生の中にこのような当時の資料を多々保存していた者があったのかも知れない。(以下続稿)