瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田口道子『東京青山1940』(10)

・写真(3)
 もうしばらく、285頁「〈写真・資料協力〉(順不同 敬称略 カッコ内は掲載ページ)」について、細かく見て置こう。
 2行め「港区みなと図書館〈25(中)、29、30、31、55(上)、73〉」。昭和16年(1941)の大通りや軍などの施設の写真が多い。25頁上と下の写真提供者は示されていないが、2つとも「高樹町」の写真なのでその辺りに居住していた同期生の提供であろうか。55頁下は日記の広告ページの写真で新たに撮影したもの。
 3行め「江崎グリコ株式会社〈169〉     ハーシージャパン株式会社〈169〉 森永製菓株式会社〈169〉」――いづれも169頁。これが2月8日付(08)に引いた「あとがき」にあった「製菓会社」の「若い担当書」が「懸命に見つけてくださった」写真や資料と云うことになる。
 4行め「朝日新聞社フォトサービス〈229〉  毎日新聞社情報サービスセンター〈51、71、107、163(上)、189、211、215〉」。毎日新聞社の写真は報道写真、著名人の写真が多い。163頁下の写真については前回、2月9日付(09)に触れた。
 5~6行めは纏めて示して置こう。「株式会社講談社〈167〉 東京都交通局〈159〉 大映株式会社〈115〉/東宝株式会社〈111〉 日活株式会社〈111〉 図書新聞社」3行めと同じ高さに揃えて3段になっているが空白が多くなるので1字分空けるだけにした。講談社は漫画、交通局はバス、映画はスチル写真。
 7行め「株式会社 仕事  日本カメラ博物館・真継美沙〈221〉」2段めは3・5~6行めと同じ高さ。221頁の書影には「JCII ライブラリー」のバーコードが貼付されており日本カメラ博物館の蔵書である。戦後刊行された次の写真集にも、同じ写真が表紙に使われている。

 真継美沙は真継不二夫(1903.9.10~1984.6.11)の著作権継承者であろうか。
 8行め「小澤 恒二  小澤 章    河崎 俊二」この3人については「あとがき」に、282頁2~5行め、書き上げた本書の初稿を「‥‥。読みやすくするためにワー/プロ印刷からDTP印刷に昇格させ、知人、友人にアドバイスを仰いだ。とくに学友の小澤恒/二・小澤章・河崎俊二の三氏からは,共感と同時に気づくたびに貴重な意見や、私の記憶ちが/いを指摘していただいた。‥‥」と見えている。青南小学校卒業生とは別記されているから慶應義塾大学の学友らしい。慶應義塾 編『三田評論総目次*1』(昭和五十五年九月三十日発行・定価二〇〇〇〇円・慶應義塾・411+索引123頁)を見るに「三田評論」第721号(昭和47年12月1日発行・144頁)に小沢恒二「小泉基金の運営状況」が見える。そして「三田評論」第752号(昭和50年10月1日発行・120頁)に小沢章「海外事情/フランスの小学校」が見える。河崎氏及び田口氏の名前はこの『総目次』には見えない。河崎氏は神戸商科大学(現・兵庫県立大学)を同姓同名の教授が平成9年(1997)に退任しており、年齢から見ても同一人物のようだ。(以下続稿)

*1:扉には標題の下に「付・執筆者索引/創刊80年記念出版/(1898~1978年)」とある。