瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

図書館派の生活(4)

 今日の夕方、某図書館に出掛けたら閉まっていた。行く前に HP で確認したのだが、HP では通常時に予定している開館時間をそのまま表示してあった。だから開いているものだと思って行ってみると閉まるところであった。とにかく返却ポストに貸出期限の本を投げ込んで、さて帰宅して HP をよく見るに、隅の方に貼り付けてある公式 Twitter に「変更のお知らせ」が出ていた。しかしながら、その変更を全体に反映させていないのである。トップページのトップに大きく示し、開館時間の表示にもしっかり変更したものを示してもらわないことには困る。ここらが公立図書館との違いで、いや、以前何か別の災害のときに、同じようなことがあって、気を付けないといけないとは思っていたのだが。年度末で貸出券更新の時期も迫っているし、今日、受け取るつもりで予約して置いた本を取置期限――ここ数日のうちに、受け取らないといけない。いつ行こうか。
 こうなると私などには公立図書館の方が気持ちが良いので、早く再開して欲しいと思っているのだけれども、やはり瀬戸際は延長されるようで「今後10日間程度はこれまでの取組を継続」とのことだから、図書館の休館はさらに延長されるであろう。
 商売をしている人は大変である。私の母方の祖父母は教員で、母も結婚前は幼稚園の教諭、そして父は貧農の出で、大卒後会社員になってからずっと総務で、営業や自営業などで物を売る努力をしている人が身近にいなかったせいか、具体的な感じをつかみにくいのだが、しかし外に出ても人通りが少なく、都内のターミナル駅はさすがに混んでいたけれどもやはり3月になって学生が通学しなくなっただけではなさそうな減り方で、もうこれは、そのうち戦時下の再現に近くなるのではないか、と思われたのである。下手をすると経済の方も戦時下みたいになってしまうかも知れない。
 既にメディアは大本営発表みたいなのを垂れ流し始めている。私は Abenomics が始まった当初、こんな簡単な方法で景気が回復するのなら、何故これまでの内閣はこの方法を採用しなかったのだろう、と疑問に思った。そして、――これでは当座は誤魔化せても結局上手く行かないと考えたからだろう、との結論に達した。それがどうも、証明されつつある。しかし憲政史上最長の期間を騙し続けてこられたのだから、大本営よりは上なのかも知れない。
 いや、もう解っていたのだ。外国人旅行者を増やす、とか言い出したとき、私なぞはむしろ、日本人にたまに旅行に行けるくらいの経済的・時間的余裕を与えて欲しい、と思ったものだった。その当時は私の家でも旅行に行こうかと、結局実行には移さなかったがたまに考えないでもなかったのが、そのうちに全く考えられなくなった。前政権の頃には八百屋で買い物をしてお札が1枚で済んでいたのが、同じだけ買って2枚必要になって来た。他の物も軒並み値上がりした。給料はまるで上がらない。
 オリンピックは本当に来て欲しくなかった。巨大な利権でしかない。だから2016年大会の誘致に失敗したことで、本当に安堵して胸を撫で下ろしたのである。これで無駄遣いの得意な官僚とそれで儲けようとする政商みたいな連中をのさばらせずに済む、と。それなのに余計なことをしたものだ。これで日本全体が盛り上がって、それこそ恩恵が行き渡るような構造にはなっていない。中止になって、誘致して儲けようとしていた連中が大損失を被るならまだしも、結局彼らは損をしないように立ち回って、ツケは下々に回すのである。いや、普通に開催出来て儲けても、儲けはそちらに流れて、こちらは何のかのとツケを回されて、毟り取られるだけだろう。いづれにせよ、どうせ碌なことにはなるまいと思っていたが、これも今や最悪の形で証明されつつある。現状、日本がコロナウィルスを抑え込めていると思えないし、もし本当に抑え込めているとしても、世界で7月までに抑え込めるとは思えない。真夏にやることになっているのはアメリカの放映権のせいだとか云う話だったから、こうなったら無観客で参加出来そうな選手だけ集まってもらって開催して、放映権料だけでもアメリカにしっかりお支払いいただかないことには割に合わない。しかし、アメリカのことだからそこは損をしないように立ち回って、日本に押っ被せて来そうである。無観客だと観戦出来なくなってしまうが、そもそも高額のチケットを購入しようと云う余裕のある方々なのだから、払い戻しなしでこの国難を切り抜けるために堪えていただきたい。やるだけやって放映して、余り損の出ないようにしてもらいたいものだ。
 と思っていたのだが、どうも、マラソンが札幌に勝手に移されたように、開催についても IOC が勝手に決められるみたいで、結局こちらだけが損になるようになるようだ。だから IOC 会長も今のところ、やりたがっている JOC 関係者に同調しているのであろう。しかし直前に掌返しをすることであろう*1。もうその環境は整いつつある。最後の最後までやりたがっている人たちに寄り添う振りをしてさ。
 しかし、何もしない訳には行かないので、最低限のラインは維持しないといけない。商売をしている人は、開けて儲からなくても、閉める訳にもいかないからやはり開けるだろう。もう規制は大概にして、それなりに再開させて行くしかないのではないか。――そこで私はどうしても、もう失敗したと断言しても良い、東日本大震災のことを思ってしまう。
 2月17日付「朝日新聞」48025号の1面に「大規模かさ上げの陸前高田 街は整う 人は戻らない」と云う記事が出た。解説として「沿岸部の人口/流出止まらず/震災後 8.2万人減」との記事も附されている。
 別に予言者ぶる訳ではないが、歎息せざるを得ない。4年前、2016年3月11日付「八王子城(05)」の前置きに書いた文を引用して置こう*2

 残念ながら、復興は殆ど進んでいないようだ。その前段階の、大袈裟に過ぎる嵩上げとか防潮堤とかをモタモタ作っているうちに、莫大な予算をつぎ込んで人の殆どいない街を拵えることになりかねない様相だ。いくら安全な街を作ってもこんなに待たされては、人は毎日生きてかなくちゃいけないのだから、何年も工事のために追い出されているうちに別に生活基盤が出来上がってしまう*3。2012年3月11日付「夏目漱石硝子戸の中』の文庫本(1)」及び2011年4月15日付「港屋主人「劇塲怪談噺」(3)」にも述べたことだが、何十年後、何百年後かに津波に洗われることになるとしても、その場に直ちに再建させるべきだったと思っている。今でもそう思っている。このまま計画通り最後まで続けるよりも、大概にして置いて止めて、直ちに人を集めて住ませて経済活動を再開させた方が良いと思っている。


 いや、全然予言だなどと思っていない。文中の2011年4月15日付「港屋主人「劇塲怪談噺」(3)」或いは2012年3月11日付「夏目漱石『硝子戸の中』の文庫本(1)」に指摘したようなことくらい、当時だって普通に考えれば直ちに思い付きそうなものだ。予算主義の官僚が下手に巨額の予算を動かすことが出来るようになってしまった、その悲惨な結末こそが、今日3月10日付「朝日新聞」48047号1面の「かさ上げ宅地 35%未利用被災3県 国交省、検証へ」なのである。今頃になって何を寝惚けたようなことを言っているのか。国土交通省の役人風情に検証なんか出来る訳がないのだから、それこそ、ここにこそ「民間の力を活用して」検証してもらうべきだろう。妙なところを民営化したり民間にタダ同前に払い下げたりする前に。(以下続稿)

*1:この辺り『山猫』の家付神父と侯爵の、教会と貴族を巡る会話みたいになって来た。

*2:当初「丁度1年前、2019年3月11日付「森於菟『父親としての森鴎外』(09)」に付け足りとして書いた文を」としていたが差し替えた。

*3:【原註】早めに(期待を込めて)無理して戻った人たちは窮しているようだ。――東北は人口が少ないからうっかりこんな工事を始めようという気になってしまったのかも知れぬが、南海トラフ地震朝日新聞DIGITAL「南海トラフ地震の被害想定」)で同じような工事をしたら日本は破産するのじゃないか。復興のためにはこういう工事よりも街の活動を再生させる方が先である。現状は優先順位が間違っているとしか思えない。