瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(325)

 昨日の続きで、ブログ「古新聞百物語」に紹介されていた、昭和14年(1939)2月23日付「東京朝日新聞」のコラム「青鉛筆」の内容について、簡単に確認して置きましょう。
・東京のラジオ放送の日時と内容
 さて、当時はテレビ放送はまだ開始されておりませんので「二十二日午後七時ニュースの放送時間に」と云うのはラジオ放送(AK=日本放送協会東京放送局)です。この放送については既に他紙の記事に出ていたものを紹介しております。
・「都新聞」昭和14年2月24日付(23日夕刊) 2013年11月05日付(015)

 ‥‥、更に廿三日午後七時のラヂオニュースの時間に一般家庭に対し、かゝる流言に惑されぬ様との放送をすることになった


 岩佐東一郎「赤いマント」は恐らくこの記事を使用。

‥‥、更にAKから一般家庭に対し、かかる流言に惑されぬ様との放送をすることになった」‥‥


・「報知新聞」昭和14年2月24日付(23日夕刊) 2013年11月15日付(025)

 なほ警視庁では流言飛語の徹底的取締を期するため二十三日午後七時からのラヂオニュースで布告を発する


 放送の内容については、2013年11月19日付(029)に引いた「東京だより」中央公論昭和14年4月号)にも、

‥‥。それから一両日するとラヂオのニュースの時間に、警視庁公示事項で『‥‥

と前置きして紹介されていました。
 そして、放送後に、警視庁情報課の江副課長のコメントを記事にしたのが、
・「都新聞」昭和14年2月24日付 2013年11月30日付(040)で、

AKでは昨廿三日夜七時のニュース、官庁告示事項後警視庁情報課発表として

と前置きして放送内容を記し、さらに放送のあった23日の夜に情報課長の家に詰めて、江副課長と娘2人との会話まで記事にしているのです。
 さらに、2月25日執筆と流言終熄前に書かれた唯一の雑誌記事、
・近藤操「旬評赤マント事件の示唆」
経済雑誌ダイヤモンド」第二十七巻第七号) 2018年9月5日付(163)にも、

‥‥、事実無根の旨を各方面に徹底させるやうに、管下の警察署宛てに達示し、二十三日の晩には其旨をラヂオでも放送した。‥‥

とあります。
 この他にもラジオ放送に触れる記事は幾つかありますが、放送日時を示している訳でも内容について詳しく触れている訳でもないのでここには挙げなくても良いでしょう。
 以上、共通しているのは2月23日夜、午後7時のニュースだと云うことです。
 しかるに「東京朝日新聞」は2月23日付で、2月22日午後7時のニュースとしています。しかし「都新聞」の放送前(23日夕刊)と放送後(24日朝刊)の記事からして、放送があったのはやはり2月23日夜だったのでしょう。
 そうすると「東京朝日新聞」は、警視庁から事前に報道機関宛に回って来た「警視庁公示事項」もしくは「官庁告示事項後警視庁情報課発表」の内容を、前夜に放送が済んだものと勘違いして書いてしまったもののようです。内容的には「此の男のために警察官までも犠牲となった」と云った辺りが他の新聞雑誌には見えないことが注意されます。(以下続稿)