瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

長沖一『上方笑芸見聞録』(10)

花菱アチャコの藝名(4)
 昨日の続きで『ジゴマ』についての長沖氏の回想を見て置こう。「横山エンタツ」の章の「三」節め、44頁13行め~45頁6行め、

 『悪漢ジゴマ』という映画は私も見た記憶がある。たしか道頓堀の朝日座であったと思う。ま/だ小学校へはいるかはいらないかの頃だ。私の父は、ことに若い時分、演劇のたぐいには全く顔/をそむけ家族にも見せなかったが、新しがり屋とでもいうのか、パノラマとか活動写真は好きで、/それまでに鶏のマークのフランスはパティ社なんかという活動写真を見に連れていってくれてい/【44】た。ジゴマはたいへんな人気であった。連日大入満員で、父が私を連れていってくれた晩も二階/の人垣のうしろでの立見で、抱かれて見た。ストーリーもなにも憶えていない。前の人垣の頭ご/しに、パッとジゴマの恐ろしい顔が大写しになり、それが真っ赤に写ったのを憶えているだけで/ある。が、ジゴマの顔の大写しを見て記憶に残っているだけに、エンタツアチャコのジゴマに/ついて話したとき、なるほどアチャコならジゴマの真似をし、きっと人気があったろうと頷くこ/とができた。あるいは探偵ニック・カーターと二役変りで笑わせたのかもしれない。‥‥


 フランス映画『Zigomar』については、以前図書館で立ち読みした次の本に纏まった記述があった。

 それから、標題に「ジゴマ」を謳う本も出ている。 しかし、今見に行くことが出来ないので、今仮に Wikipedia「ジゴマ」項を参照するに、日本では明治44年(1911)11月11日封切、一大ブームとなるが明治45年(1912)10月20日に上映禁止となっている。すなわち、長沖氏が父に抱かれて見たのは小学2年生か3年生のときと限定出来る。
 さて、この相方が活動弁士の真似を演ずるのに合わせて髪を振り乱す藝については、アチャコ本人も長沖氏に語っている。「花菱アチャコ」の章の「三」節め、74頁2行め~75頁4行め、

‥‥、/結局、二十五歳のときに、また神戸へ戻って一座を組み座長格で広島の堀川にあった八千代座で/喜劇を上演したりしたが、それも解散になって、いよいよ大阪へ帰って万歳一本に打ち込むこと/になる。そして、大八会というのにはいり、浮世亭夢丸と組んで万歳をやった。
 「大八会というのは新世界の活動写真館でデブという渾名で人気のあった大山弁士と易者の宮/崎八十八というひととが二人で経営していましたので大八会と言うてたのだす」
 と、アチャコは言う。無声映画時代のデブという渾名の大山弁士の名は私も記憶している。な/お、浮世亭夢丸というのは近頃大坂仁輪加に熱を入れている浮世亭歌楽の兄であった。アチャコ/は夢丸と下関で知り合っている。
 そして、大八会にはいる前に、すでに二人で万歳をやっていて、後にそれが吉本興業にはいる/キッカケになったという。
 「高垣町の青龍館という小屋に出たことがおました。それが吉本の小屋で、今の会長の林正之/助さんに認められたのだした。どんなことをやっていたかと言いますと、夢丸君が無声映画の弁/士みたいに喋ります」
 二人が下関で知り合ったことに関係があるのだが、後に話そう。
 「……ああ、彼女の運命や如何に。このとき、突如として現われた快漢ロローは獅子奮迅、悪/【74】漢めがけて飛びかかった……てなことを夢丸君が弁士口調でまくしたてますと、僕は彼の説明に/のって頭髪を振り乱し舞台の上をあばれまわるのだす。その万歳を見て林会長は、この男はもの/になると思いはったそうだす。もちろん、そのときは僕はなんにも知りまへん。後に聞いて知っ/たのでした」


 宮崎八十八は明治18年(1885)から大正14年(1925)に掛けて、易占の本を自らが発行人の「(宮崎)一二堂」から出している。浮世亭夢丸(1896~1978.4.3)は浮世亭歌楽(1900~1983.5.1)の兄。
 『快漢ロロー』はアメリカの連続活劇映画『Liberty』の邦題、大正5年(1916)11月11日封切。ロローは登場人物の名前でエディ・ポーロ(Eddie Polo、1875.2.1~1961.6.14)が演じている。但し『Liberty』に於けるエディ・ポーロの役名はペドロ(Pedro)で、ロロー(Roleau)と云うのは大正4年(1915)10月10日封切の連続活劇『名金(The Broken Coin)』に於けるエディ・ポーロの役名。当時の洋画は6月9日付(09)に引いた杉浦エノスケの話にあったように女性を皆「メリー」にしてしまうなど、登場人物の名前を原語通りにしていなかったのだが、この場合は前年の映画での役名が、翌年の映画の邦題になってしまったので、原題の『Liberty』はマリー・ウォールキャンプ(Marie Walcamp、1894.7.27~1936.11.17)演ずる主役の名前である。
 浮世亭夢丸と「下関で知り合ったこと」を「後に話そう」と云うのは、「四」節めに、「鯉奴という芸者」と結婚して、その父親の「名古屋」の「土建屋の親分の養子」になったが「土建業はとても勤まらぬ」ので、81頁11~14行め、

‥‥。下関まで逃げて、そこで当時人気のあった山長の無声映画村雨・松風』の/声色屋になった。弁士が解説をやるのではなくて、登場人物のそれぞれに声色屋がついて台詞を/喋るのだ。暗いところでやるから顔を知られる心配はないだろうというわけであった。そこで浮/世亭夢丸と会い、しばらく二人で万歳をやることになったというのである。‥‥

と果たされている。
 山長は山崎長之輔(1877.12.18~1924.8.23)、『村雨・松風』は謡曲『松風』に基づく演目で普通は姉の松風が先である。すなわち天然色活動写真株式会社(天活)大坂撮影所で制作された『松風村雨』、但し大正4年(1915)の映画なので時期の特定には関係しない。(以下続稿)